倶楽部の醍醐味は、日々の練習と仲間との語らいにある、試合にではなく。

日が暮れても氷が張っても、内緒で
 一日の練習が終え、息を切らせて草に寝転ぶ。仲間から「今日のアレは良かったね」と褒められたり、批判を受けて克服することは、試合に勝ち進むことの数倍の喜びである。その精神的高揚は、弱いteamにも弱いteamにも公平に訪れる。下手も上手も関わりなく関係を形成できる。試合は、定期試験のように日常の切磋琢磨と友情を中断する災難でしかない。自由な読書や観察実験に打ち込んでいる時の、定期試験も心底恨めしかった。

 僕が小学校級友だけの草野球から部活の野球に移行出来なかったのは、部に公平な人間関係や相互批判の雰囲気がまるでなかったからだ。僕は中学や高校に進学してからも小学校の級友たちに、「野球はどうしてる、試合は」などと聞かれ続けるほど野球が好きだった。
 山岳部や漕艇は、逆に公平性と相互批判及び協働なしには成り立たない。
 

 山岳部は装備のムシ干しと点検から春が始まる、事情通のOB も心待ちにしてやってくる。装備一つひとつの穴や傷に歴史が刻まれていることをOBが新人に伝える場でもある。駄目になった装備を確認し、登山道具屋を回るのも楽しみだった。
 そして一年間の山行計画を練る。同時に地図の読み方、天気図の書き方読み方も始める。この時もOB参加は欠かせない、見たことのない卒業生までやってくる。計画作りが一段落した後の、焼き鳥屋が楽しみでやってくるのだった。
 最初の山行が決まれば、装備の確認と食糧計画を立てる。日を改めて実際に作り試食するのも大切なことだ。高価な食材を寄付する卒業生もやってくる。これは彼らの楽しみだった。
 旨いものや高いものは山行の後にして、荷物を軽くすることを考える僕とは発想が違う。飲み物は麦茶や即席で済ましたいのだが、豆もミルもパーコレーターも自前で持参し、主食なども、帝国ホテルのレトルトを全員分持ち込みたがる。工場勤務で日頃忙しい彼らは、一年間の山行計画に基づいて工場や会社で年休の交渉をして参加する。だから正月や盆並の行事であり、山でこそ旨いものを喰う。増えた荷物と費用は潔く個人で受け持った。
 山行は原則として両夜行だから、仕事で参加出来ないOBが差し入れ片手に真夜中のホームに押し寄せて賑やかだった。新人歓迎の初山行は隊列の組み方から地図の読み取り、足の上げ下ろしから装備の使い方や緊急処置まで伝授確認する。山行の最後は必ず温泉に立ち寄った。

 山行が終わると、部誌の編集に取りかかる。山に登るのは、文学や自然科学にも及ぶ行為だから記録は欠かせない。山岳部は文化部としても機能していた。俳句や和歌、紀行文、地域研究、自然観察を掲載した。
 
 そういうわけで部員同士とOBや教員も含めた人間関係は、個人の都合優先の思いやりが基本になる。ここに効率や競争が入り込む隙間はない。強い弱い、早い遅いなどは問題にせず、如何に友愛的に聡明に振る舞うかが間断なく問われる。
 筈だった。しかし競技化を図りたがる連中が1980年代に現れた。その執拗さに、僕は官僚的統制の匂いを感じた。都立高校山岳部顧問会議に彼らはそれを度々提案したが、長い間受け容れられなかった。しかし何時の間にか、高体連の下部組織に再編され、競技化が進んだ。アマチュア精神の崩壊が始まっていた。
   2017年栃木県高体連登山専門部会主催「春山安全登山講習会」事故(講習会3日目、雪中歩行のラッセル訓練を開始。約30分後に雪崩が発生し、雪崩で48名(生徒40名、教員8名)のうち、県立大田原高校の生ら8名が死亡した)が起きるべくして起こった。事故の分析は、天候や地形と行動計画を中心に行われ、高体連の責任を回避する論理のために長引いた。僕は登山の競技化に伴う官僚化が原因だと思っている。大編成の勝敗を目的とする集団は、官僚化の誘惑を抑えきれない。同時に自律性を失い適切な判断を見失う。それは1902年日本陸軍の八甲田雪中行軍遭難事件に典型的に現れている。適切な判断は上意下達の機構とは相容れない。

 漕艇は隅田川の早慶レガッタ(お花見レガッタ)を除けば観客も僅かで、クラブ自体が少ない。東京では殆どが古くからの名門大学の付属高で、公立工高のボート部は例外である。中学卒業間もない部員には、最初に克服しなければならないことがあった。先輩後輩関係を忘れることだ。平等な関係に彼らは馴れていない、指示されることが楽で気持ちが良いのが困る。

 ひとつのクルー=チームはコックス=舵手を含めて平等でなければ、オールを合わせることも難しい。一旦舵手を含めて紳士的で平等な関係が成立すれば、彼らは顧問の僕らの目を盗んで学校から片道1時間も掛かる戸田の艇庫まで足を運んだ。暗くなれば懐中電灯を舳先に点け、氷が張っても練習を止めようとはしなかった。ボート指導の鉄則も、出来る限り早く生とたちの前から消えることであった。
 
 五輪の熱狂から醒めた時、一時の気まぐれによる「おもてなし」費用の膨大な精算と環境破壊の深刻さは、五輪史上最悪となる。その混乱と非難を食い止めるのは、メダルの数だとJOCは踏んでいる。湿度の高い酷暑の中で競技を強行すれば、ヨーロッパや米国のplayerたちは能力を発揮できない。 そうなれば、暑さに馴れた日本にとってはメダルラッシュとなる。史上最悪の事態に日本国民は浮かれて気が付かない。少なくとも軽く考えるだろうと踏んでいる。

 官僚化がもたらす愚かな判断である。熱狂ほど怖いものはない。蒸し暑い最悪の事態をJOCは心待ちにしているのだと思う。そして日本の中高校生が、勝ち負けと偏差値だけにしか価値を認めないように五輪以前から誘導してきた。そう僕は思う。
  日本が、特に部活が試合優先を克服し、勝敗と偏差値の連鎖から脱することが熱狂を食い止める鍵である。

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