服装には思想がある 制服は道化をつくる

 「日本政府は、燕尾服とシルクハットを新年祝賀の公式礼装に制定することが適当だと考えたのである。かくて喜劇的な点では全く奇想天外ともいうべき姿が首都の街路をうろつくことになった。…それも大人だけではなく、十歳から十二歳の坊やまでがこの道化の犠牲になっている。この街頭風景と謁見控え室の一群を親しく目撃したものでない限りは、その情景を想像することはできない。しかもこれらの人々は自国の式服姿であれば実によく似合い、それどころか時としては、威厳があって気高くすら見えるのだ。」 ベルツの日記
ガンジーが燕尾服を着ていたら、大英帝国と戦えない

 お仕着せというものは誰であれ、似合わない。自らの内面を反映する外見こそが、威厳に満ちている。砂漠や熱帯の貧しい種族も、ヨーロッパ人聖職者のあてがった衣服を脱ぎ捨て、伝統的な衣服になるや輝きを増すのである
 制服を「カッコイイ」「カワイイ」と言う人が少なくないが、まさしく制服だけが「カッコイイ」「カワイイ」に過ぎな。それを着た少年/少女や業界人は、服飾業界に踊らされる道化に過ぎない。

 中学生も高校生も制服を着て「喜劇的な点では全く奇想天外ともいうべき姿」をさらす必要はない。
 「自国の式服姿であれば実によく似合い、それどころか時としては、威厳があって気高くすら見えるのだ」から。 自国の式服とは、ベルツの頃は紋付き袴を指しているのだが、時代が変わった。今、それに相当するのはTシャツにGパンである。 TシャツにGパン姿の高校生は、燕尾服の道化姿の校長たちに対して、「実によく似合い、それどころか時としては、威厳があって気高くすら見える」のだから、道化の犠牲になった校長に付き合って見苦しいまねをする必要はない。
 ベルツは東大医学部のお雇い外国人医師であった。彼は日本のハンセン病隔離に公然と反旗を翻し、ハンセン病患者と他の皮膚科患者を区別しなかった。病室も一緒であった。

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