最適解 |
「子どもの頃、夏休みの宿題を夏休みの後半にしていた労働者は、長時間労働や深夜残業をする傾向が強いという研究もある」 『行動経済学の使い方』(大竹文雄、岩波新書)p.106
知り合いは、この本を「人をどうしたら動かせるかという、何とも納得いかない研究」と評している。簡明な「批評」だと思う。「批」には、たたく、ただす、主権者が承認する、という意味がある。 「おべっか」と「おちゃらけ」と憎しみに満ちた上目遣いの評価許りを見聞きしていた僕には、久しぶりの涼しい薫風であった。
小学生のころ隣の席の女の子は、有るとき「あのね、夏休みの宿題を先生はどうするか知ってる? 職員室に積んどいて、スタンプも押さずに燃やすんだよ」と耳打ちして笑った。だから彼女は宿題を殆どやったことがない、夏休みの宿題以外でも。ラジオ体操もサボった。「だつて、後でまとめて叔父さんがスタンプくれるよ」と平然としていた。
その女の子が国体で活躍し1964年のオリンピック強化訓練に参加するようになるのだから、世の中は分からない。
僕は夏休みの宿題は、受け取ったその日のうちにやり始めた。宿題が好きだったわけではない、寿司の盛り合わせを前にすると嫌いなものから先に口にする気持ちだった。はじめの数日で大方終わらせたが、どうしても残る。似たようなドリルが続くから見るのも嫌になる。でも宿題が残っている限り、落ち着かない。好きなことに取りかかれない。近所の探検や博物館や図書館に行くのもどこか後ろめたかった。残りが僅かになれば、安心して好きなことが出来る。
彼女は担任に気に入られ、身近でいろんなことを観察できた。何も知らない僕は、我武者羅になる。
しかし「長時間労働や深夜残業をする」ようになるのでは堪らない。子どもは大人の行動をよく観察をして、「最適解」を求める必要がある。小学生だった頃の妻が発見したように、「最適解」は意外に手近で手軽である。先ず平然とサボる。
日本人の宿題漬けは外国から見れば異様である。小学生の頃から宿題に依存する性向を植え付けられた日本人が、世界で突出して働き過ぎ。死に至ってもやめる気配がない。
会社で無闇に頑張ってはいけない。過労で倒れる前に、財務諸表を読み込み世界情勢を判断し、社内の勢力動向に敏感にならねばならない。あらゆる組織について同じことが言える。
米国製兵器の爆買いや自衛隊の海外派遣が、日本の平和にとって「最適解」でない許りか、最悪解であることは歴史や世界情勢を観察すれば分かることだ。中村哲医師の生き様がそれを我々に伝えている。
ブルキナファソのサンカラ、チリのアジェンデ、コンゴのルムンバ・・・最適解を民衆に身を挺して示した指導者は、悉く暗殺されている。平和と独立を目指したが故に。中村哲医師も惨殺されてしまった、彼の指し示した方向を嫌悪する勢力は余りにも巨大であった。
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