バレリーナの階級意識 

バレリーナも労働組合員である
 フランス全土170カ所で「年金守れ」のデモがあったばかりだ。労働総同盟、統一労組連盟、連帯の3労組と全国高校生連合、全国学生連合が呼びかけ、フランス国鉄労働者も呼応してスト決行。年末になってパリ交通公団の大規模スト、弁護士・パイロット・医師らのデモに続く大行動だった。(こうした大行動の主体として高校生が位置づけられていることに注目せずにおれない)
 CGT書記長は「負担は増し給付は減る年金改悪に反対する最初の集中行動」であり、政府が対応しなければ、今後もさらに行動を継続する決意を示した。

 フランスの年金は、労働の特性に応じた多様な制度になっている。例えば、オペラ座のバレリーナは激しい訓練と舞踏を考慮して17世紀以来、42歳で引退し年金生活に入る権利を闘い獲得してきた。バレリーナの一人は「8歳からバレエ学校に通い、親元から離れて、毎日5時間の練習を続けてきました。17~18歳で、他くの人が慢性的なケガ、腱(けん)炎、疲労骨折、膝痛に苦しんでいます」と語り。別のバレリーナは、「42歳までレベルを維持することは難しく、まして(政府の年金改定案の定年年齢)64歳まで働くのは不可能」と訴えている。

 オペラ座とコメディ・フランセーズの組合員も、公演をキャンセルしてストに参加した。冒頭の写真はストに入り、劇場前で「白鳥の湖」を舞いながら文化の危機を訴える組合員たち。
 
  長い階級闘争に鍛えられた階級意識が、こうした闘いを国民各層に広げている。 
 仲間を出し抜いてタイトルやメダルを目指し、スポンサー企業からの高額契約獲得に鎬を削る日本の競技プロの発想とは、質的に異なっている。連帯の思想がない、仲間を作れず思いやることも出来ない。少年/少女までが競技プロ宣言して賞金稼ぎや契約獲得に走る風潮を、恰も希望や進歩であるかのように囃す光景を僕は背筋が凍る思いで見る。

 海外のチームから高額の費用をかけて移籍させたメンバーの活躍で勝利を得て、民族・国境を超えた「ワンチーム」の成果と酔い痴れるのなら、過酷な労働環境に喘ぐベトナムなどからの研修生に対しても「ワンチーム」同様の暖かさが表明されねばならない筈だ。死者や行方不明者を多数出しているにも拘わらず、研修生を「ワンチーム」と見ないのだ。酷い仕打ちである。スポーツマンシップに反していないか。大戦中、朝鮮人や台湾人を勝手に大日本帝国臣民として「ワンチーム」意識を強制。死に至る過酷な徴用労働や兵役に駆り立ておきながら、敗戦後は、一転して「ワンチーム」ではなくなったと外国人扱い。強制労働させた責任や補償から逃げている。
 そんな日本の姿をトンガからのplayerが知ったら、「ワンチーム」と囃されることをどう思うだろうか。

 金でメンバーを世界から集めて「勝利」を買い、舞い上がるのであれば、もはや競技自体を国単位でおこなう意味はない。オリンピックも国旗・国家を廃して、国家別のメダル数勘定の出来ない形態こそスポーツらしい国際性に相応しい。企業をスポンサーとして抱える競技団体が,公正であるはずはないのだ。ノーベル賞も例外としない。

 2018年2月28 日「世界で一番企業が活躍しやすい国を目指します」と安倍晋三が 第183回国会施政方針演説で強調した。お陰で、政府は次々と巨大企業を以前にも増して優遇する。以前なら海外なら違法行為であったことも合法化した。だから憂いなしに利益の極大化に励むことが出来る。だからベトナム研修生や非正規労働者は、筆舌に尽くせぬ苦難を強いられ続けるのだ。

 無邪気なおばさんが、「「ワンチーム」のお陰でラクビーが好きになり、ルールも憶えました」と手放しのコメントをしながら、他方ではベトナム研修生のお陰で、製造業や第一次産業が支えられ、安い食材や加工品を口にしていることにも気づかない。徴用工の補償問題や研修生の労働条件や制度も大切な「ルール」ではないか。
 社会的無知はこうして量産される。そこに競技プロ化が関わっていることにplayer自身が「私は商品ではない」と強い怒りを表す必要がある。メディアへの露出度の高いsports playerには社会的責任がある。
 政府が競技に大幅な予算を組むのは、少年の夢を叶え国民の健康を増進するためではない。階級意識や社会的関心を抹殺するためである。企業が体育会系学生を採用したがるのも、体育会的体質が組合を忌避するからである
 フランスの労働者や学生だけではなく、我々にも階級意識が必要なのだ。テレビカメラの前で金メダルを火事って見せるプロ意識ではない。高校生が高い偏差値やスポーツ実績でで名門大学に合格して,飛び抜けた待遇を獲得することを当然とするのであれば、この国の働くもの=国民に生活向上はない。そこに連帯はないからである。


記 徴用工問題について、「過去の個人請求権は1965年の日韓請求権協定で解決済み」という立場がある、安部政権もそこに執着している。確かに個人の請求権は国が肩代わりできるとするのが当時の国際的解釈であった。しかし、国際人権法が確立した後、この主張は根底的に退けられている。
 日本がこの国際人権法に加盟したのは1978年のこと。国際人権法を構成する国際人権規約B規約第2条3項は、「この規約において認められる権利又は自由を侵害された者が、公的資格で行動する者によりその侵害が行われた場合にも、効果的な救済措置を受けることを確保すること」と規定している。ここで「権利」や「自由」を「侵害された者」には、
従軍慰安婦や徴用工が当然含まれる。
 国際人権規約B規約第7条は「何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰を受けない」と規定。「従軍慰安婦」問題はこれに該当する。
 また第8条3項(a)は、「何人も、強制労働に服することを要求されない」と規定、これは徴用工の問題に当たる。
 それ故、元「従軍慰安婦」、元「徴用工」は、日本国に対して効果的な救済措置を要求する権利を持つことになったのである。

 国連中心主義を口で唱えるばかりが、日本外交であってはならない。誠実に具体的に国連の決定に従う姿勢を世界は注視している。

 国際人権法確立を経て世界各国で、国際人権規約に違反する
過去の行為への救済措置が実施されてきた。オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、アメリカでは先住民族に対する謝罪と補償が行われた。アメリカは第二次大戦中に日系アメリカ人に対して行った隔離政策を謝罪、補償している。また、大戦中の強制労働問題ではドイツの「記憶・責任・未来」基金が設立され、謝罪と補償に当たっている。
 元従軍慰安婦や元徴用工に謝罪・補償するのは、既に国際社会の常識である。

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