君は疲れている

病に倒れて知る 鉢の中にも宇宙
 深い豊かさが、君の文章から消えた。単調で鋭さがない。それには誰より君自身が気が滅入っているに違いない。
  
 ずっと昔のことだが、僕にも誰より早く登校し誰より遅く下校して、仕事を抱え込んだ時期がある。学校内外の仕事が次から次に押し寄せても、軽々とこなしているつもりだった。

   ある日、職員会議で発言しようと立ち上がった瞬間、雲に乗ったように上下左右の感覚を失い倒れ込んでしまった。そのまま入院。病院に三ヶ月、自宅静養の三ヶ月を過ごした。入院初期は、一日毎に500g 体重が減った。突発性難聴という診断だった。後遺症で今も右耳の聴覚は無く耳鳴りが残る。
 この入院を含め三度の半年近い病休を経験した。二度目は殆ど自宅で寝たままの日々を過ごした。病床から見えるのはベランダの鉢に生えた雑草と空だけ。最後の入院は大学で講義中、意識を失った時。半身不随になり、完治に半年を要した。
 思えば、体が休むことを命じたのだ。休む回路を壊した僕を病で寝込ませて、肉体と精神の回復を待つしか無句なった。休まないことは美徳だと思い込んでいた。ストライキの時だけは説明して休講したが、
授業を休んだことは無い。 授業すれば精神も肉体も甦るような錯覚に酔ったのだ。弱い自分を見ない、不遜。

 自宅の病床から見えたのは、来る日も来る日もベランダの鉢と空だけ。快適さ便利さは消えたが、気が付くと草の伸びる速さに体が同期し始めている。鉢と雑草の世界もまた宇宙である、不思議な感覚だった。学校を辞めるのも悪くないと思う頃、僕はゆるゆる回復し始めた。
 病気になることで、命の瀬戸際を逃れる。自らを救う仕組み・能力が人間のどこかにある。学級に危機が迫ったとき,生徒たちの中から人間関係=集団を修復・再建する動きが自然に生まれるように。
 その仕組みが、回りへの気兼ねや組織に対する義務感で壊れたり弱くなっているとき、過労で倒れてしまうのだ。この仕組みの脆弱さは、三度も入院した事で分かる。

 何人もの友人を過労で失った。友人の家族の悲しみに暮れた表情が僕の中にたまり続ける。 

 君は疲れている。
 僕は鋭く豊かな君の語りを再び聞きたい。

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