桜を見る会に現れた千年前の供御人

千年経っても現れる現れる亡霊
 供御人(くごにん)という号は、中世日本で朝廷に山海の食料や手工芸品などを貢納した集団に与えられた。供御人は、貢納物の原料採取・作業・交易のため関銭・津料などの交通税を免除され諸国往来御免であった。国役免除や給免田付与もあり、供御人の号を求めて人は群がった
 天皇に繋がっていることが特権の根拠であり、特権は書き付けや腰につける幡で証明した。堂々たる偽ものも作られたという。

 「桜を見る会」の招待状や首相らとの写真を示して、公然と詐欺を働き摘発を逃れる者も出た。繫がりを誇示してメディア露出を図る者、票や地位を買う者も続出。彼らは先ず「桜を見る会」主催者への忠誠を出版物や番組で示す。芸や知識教養に実体がないから、虚偽虚飾をまとうしかない。が、その御利益は直ちにあらわれるから「会」の規模は膨張した。

 彼らは現代の「供御人」である。実体のない政策の政権を持ち上げることが「貢納」に当たる。招待状や写真は、幡にあたる。諸税の免除は、諸公文書の紛失によって実現している。
 民主主義は特権の廃止を伴う。特権の復活は朝廷や英雄が闊歩する時代への逆行=反動である。道理でこの国では世界の潮流に反して,命の価値が軽くなる、個人の尊厳が消える。
 支配者を気取る者が、憲法や国会の決定より自らの言葉を上位に置き、快感に酔いしれるのは現代の「供御人」に取り巻かれているからである。
記  公立学校すら自校の特権維持拡大に目の色を変え、平等化による権利を目指そうとはしない。指定校推薦枠拡大やSSH指定、進学重点校指定に何時までも鎬を削るのである。入試の廃止は,日程にも上がらない。大学解体を叫んだ大学闘争でさえ、結局東大確認書では自校の特権を確認したに過ぎない。
  この国に階級意識が定着しないことと、亡霊のように立ち上がった千年前の供御人が跋扈することは同根なのだ。自校の特権にこだわる者は、主権者としての労働者階級と共に歩む資格は無い。
   それ故、日本の労働時間(短さ)が2018年OECD38カ国のデータでも日本は22位となり、フィンランドが賃金低下なしに「週4日、6時間労働」を目指しているときに、日経平均株価に意識をさらわれ無限の労働強化に向かうのである。
 記者クラブまでがあらゆるジャーナリストの権利ではなく、特定新聞社とTV局の特権になり、懇意なメンバーだけが首相との会食に参加出来る構造は、供御人と朝廷の関係を彷彿とさせる。同時に我々に深い絶望感をもたらす。

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