言葉を失う / コミュニケーションの絶対的不全

 日本軍が通過すると兵隊の放つ悪臭が数キロ先まで匂ったと言う。食料補給もなく現地農民からの略奪と強姦・殺害の日々。風呂にも入らず洗濯もせず、病気になれば糞尿塗れの体には蛆が湧いた。蛇や人肉さえ口にしながら、理不尽極まる命令系統を維持した。  なぜなのか、大岡昇平の作品を読む度、言いようのない暗く重い絶望感に囚われる。

 世界各国の中学教師が、自分の仕事に満足しているか聞かれた。OECDの統計である。殆どの国が、90%以上の満足度、少なくとも80%台を示している中、遙かに隔たって50%に満たない。 言葉を失う。
 
  アジアの旧日本軍と現在の日本の教師たち共通するのは、コミュニケーションの絶対的不全である。

 日本の中等学校教師たちが労働対象にしているのは、人間そのものではない。だから、知的好奇心を解放し批判精神を通して、文化を共有し人々と連帯することではない。少年を人為的に偏差値別に選別して、数値を競うための短期記憶を注入する。   
 アジアの日本軍は、アジア解放を掲げながらアジアを理解しようとしなかった。独善的な皇国史観を上から注入するばかり。 
 コミュニケーション不全は絶対的に生じることになる。
 今学校では、この不全は「指導拒否」と言う言葉によって、常に絶対的に少年の側の咎と処理される。アジア各地における現地民と軍とのコミュニケーション不全は、「スパイ」容疑による抹殺で解決した。

 点数や競争から自由にならない限り、どんな教育理論と方法が華々しく権力発で喧伝されようとも、「自分の仕事に満足できない」蟻地獄は続く。
 先ず少年たちと自由に会話する「覚悟」を固めることだ。何故なら、教委や管理職だけでなく同僚からの眼差しからも自由でなければならないからだ。

 コミュニケーション不全は、discomunication と訳されるが元々英語にはない。鶴見俊輔が使い始めた和製英語である。英語にあるのは、miscomunicationである。 
   misなら修正できる。しかしdisであれば、関係性そのものが成立しない。
   
 駅前の地下商店街に野菜屋が三軒隣り合っている。店主たちは唾を撒き散らしながら、隣に負けてはならぬとばかりに『安いよ、お買い得、ご利用ご利用』と引っ切り無しに、ダミ声を張り上げる。客の知りたいことは何も言っていない。「ブドウは今朝もぎたて」とか「一房500円」等とは決して言わない。地下で空気の通らない場所で、コロナウイルスを考えれば、犯罪的暴挙でもある。余りのうるささにに逃げる人もある。 これはdiscomunicationである。何の効果も無いし危険極まりない、混乱させるだけ。
 もし米屋で「福島の新米だよ、放射能はないよ」と売っていたら、 miscomunicationである。訂正すれば、信用は落ちるがなんとかなる。抗議もし易い。

 学校にも、政治にも、取引にも、discomunicationが蔓延しコミュニケーション不全に陥っているのが日本である。







 

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