続・僕の病牀六尺


   今僕は、ナッシュ均衡でノーベル経済学賞受賞の数学者、ジョン・ナッシュが悩まされた妄想に興味がある。彼はある不運な事件で学者としてのポストを失うが、それと共に強い妄想に取り憑かれる。その妄想に登場する人物は声や姿だけではなく、触覚まで彼にもたらす。如何に彼が妄想を克服するか、緊迫感がある。
 今僕にとって、例えば安倍晋三がとり憑かれている妄想と如何に闘うか実践的な課題だ。小さな安部は身近にも満ちているからだ。単に真似しているうちに疑似感染してしまう。
 大きなものでは、例えば「70年代の遅くない時期に・・・」との連合政権妄想は青年学生の青春を翻弄し、僕の周りでも多くがそれを或いは信じ或いは批判して不幸な目にあっている。その傷跡は小さくない。
 権力者の「妄想」を自由に批判でき、克服する集団は如何に可能か。それは ←クリック にも書いた。  続く

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