『民衆が自由で独立酌で自治的である国はいかなる国でも、つねに善なる人々と悪なる人との間に闘争の行われる国であえる。もしこの闘争が存在しないならば、それは暴君が支配し善き人々が力を失っていることを意味する』
パール パックが『日本の人々に』と題して論評を毎日新聞に寄せたのは、敗戦間もない1948年10月である。
僅か二ヶ月前までの日本では、他者は認識されなかった。家庭でも如何なる組織でも。自立した人格は、抹殺されるか「転向」するしかなかった。同じようにアジア諸国を自立した「他」国と見なすことは出来なかった。敗戦は、それを根底から覆す筈だった。
そればかりか敗戦から80年を過ぎてなお、この国は嘗ての敵国核超大国に従属して、自立した国家関係を世界の国々と結ぶことを知らない。
この国には自由な国としての義務、「悪なる」超大国との闘争が存在しないからである。
『人々が自からの創造力、発明カ、表現力を発展させてゆけるのは、ただ自治の下においてのみである。但し邪悪に封する永遠の闘争をつづけてゆく善良なる人々にとって自由は常に責任を伴ってくるものだ。日本はもちろんのこと、その他世界のいずれの国の善なる人々にとっても、現在はなお何らの休息、何らの平和は存在し得ない。彼らは自からの眼を覚まして活動せねばならぬ。どこの国民にしても、全体の中にはどこかに善なる者がいるのであるから、国民すべてを一概にとがめることはできない。咎め得るもの、咎めなければならぬものは、いずれの国にあっても、悪に封して善がこれを監視せず、これと闘争しないということである。』
従属関係にあって、自らの諸力を発展させることは出来ない。エネルギー政策であれ、食糧政策であれ、自治の下において永遠の闘争を続けることによってのみ、自由な創造力、発明カ、表現力に基づく政策は発展する。
日本の働く者や若者が、外国に従属した政府の下で諸能力(芸術であれスポーツであれ科学であれ技術であれ)を発揮するためには、従属を強いる者との闘争に目を覚まさなければならない。パールバックは、そう敗戦直後の日本人に語りかけずにはおれなかった
自らの能力を開花させる闘いに、若い世代ほど意識が離れている。何故なのか。 それは開国以来、日本の近代化を阻んできた封建主義と全体主義が、敗戦後も依然としてこの国を覆っているからである。そして、若者の目を覚ますべき学校が、自由主義と個人主義を未だに敵視し封建的で全体主義的な雰囲気と闘争することに臆病だからだ。
『永遠監視の眼は、言論の自由という問題に封して終始間断なく注がれていなければならない。…善なる人々は他人の声を黙らせようとは欲せず、すべての人に対して自由を許容せんと欲する。彼らは完全な真理を把握しているのは自分たちだというほど慢心してはいない。すべてのものが自由に物をいうことを許されている以上、悪なる人々もまた発言するであろう。しかし善なる人々の声は悪なる人々の撃よりも数多いはずであり、一段と明瞭なはずである。このことを善なる人々は自からの責務として認めなければならぬ。何故なら自由というものは真の自由でなければならず、自由が或る一部の人によって行使されて、他のものによっては行使され得ぬということは、あり得べきことではないからである。』自らの発言を正しいと信じる者を、ここでは善なる人と呼んでいる。対する悪なる者にも、自らの発言を正しいと表現する自由を与えねばならない。
自分たちだけが永遠の真理を担っていると言う閉鎖的な使命感からの解放こそ、封建的全体主義への親和性を打ち破る。「起立・礼」や「掃除」や「部活」を世界に希に見るcoolな美風とみる限り、近代的かつ合理的な判断の主体としての若者は育たない。
教師や労働者・国民と連帯して、高校大学入試廃止を目指す主体として闘う若者は、未だ主流たるには遠い存在だが、世界では平凡な生き方となっている。 しかし、それには決断が欠かせない。その役割を担う者がインテリゲンチァである。嘗て教師は草の根インテリゲンチァと呼ばれた。
『日本やドイツの善なる人々にして万一にも自由を享受し得てしかも責任を伴わずに生活のできるような園を夢想しているとすれば、彼らはその空中楼閣的な夢から呼び覚まされなければならぬ。 ・・・日本の善なる人々よ、あなた方は安閑として身体を横たえて眠ることはできない。あなた方は一時間の休息さえとることはできない。何故なら善なる人々はいたるところあなた方のカ、あなた方の周到な要心、あなた方の決断が彼らのそれに加えられることを必要としているからだ。』
大坂なおみのアメリカ人種差別抗議デモをめぐる発言は時宜を得て見事。(I hate when people say athletes shouldn’t get involved with politics and just entertain. Firstly, this is a human rights issue. Secondly, what gives you more right to speak than me? By that logic if you work at IKEA you are only allowed to talk about the “GRÖNLID”)
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