中抜き・ピンハネは「美しい」日本の「伝統」

 兵隊がどんなに飢えても、将校には酒も肉もあった。大戦中のことではない、日露戦争中のことだ。戦費として調達した金や物資の中から中抜きをしていたのだ。電通やパソナによる露骨な「コロナ禍・持続化給付金事業」中抜き・ピンハネは、明治時代から公然化していた。
 戦地の兵隊さんを思えと臥薪嘗胆の日々を、内地の女・子ども・老人に強いておきながらの「美しい日本」「cool japan」の実像である。
  ・・糧食の給与を受けることが出来ないので、この次の兵站部へ行くことを急いで、午前八時頃に舎を出かけ三道溝の糧餉部へ行ったが、ここは取次所で分配出来ぬとにべもなくはねつけられ、仕方なくなく吸足(びっこ)を引きずった。・・・稷台沖まで来たら糧餉部があったから給与を願ったら、酔顔紅を呈した主計殿と計手殿がおられて、糧食物はやられぬが米だけなら渡してやろうとの仰せありがたく、同連隊の兵三名分一升八合の精米を受領証を出してもらい受け、敬礼して事務室を出たが、その時にカマスに入った精肉と、食卓の上のビフテキ、何だか知らぬが箱入りの缶詰をたちくさん見た。あれは何にするのであろう。飾っておくのかしらん。
     茂沢祐作『ある歩兵の日露戦争従軍日記』草思社

 この従軍日記には、もう一つ注目すべきことがある。米だけは「兵三名分一升八合の精米を」貰っていることだ。歩兵は陸軍である。陸軍は兵隊の白米食に頑迷にこだわった。為に、日清戦争で 脚気死3944人(戦死293人)、明治37年の日露戦争では脚気死2万7800人(戦死4万7000人もの
犠牲を出している。(戦死者中には多数の脚気患者もあった。脚気を患った兵隊はロシア軍にとって「歩行もままならない幽鬼のような日本兵」にしかすぎず、容易く機関銃の標的となった。)
 対して海軍は、既に明治18年の実験航海によって、麦の有効性を確かめ麦飯食に切り替え、脚気死をほぼ根絶している。
 歩兵の大量脚気死の責任は、 臨時脚気病調査会長となった陸軍軍医総監・従二位・勲一等・功三級、医学博士、文学博士の森林太郎= 鴎外にある。彼は、面子から「海軍の対策は科学的根拠なし」と退け、死ぬまで過ちを認めていない。地位と身分に縛られた鴎外に、公正な判断の余地はあろう筈がない。
 鴎外は、死に際して墓石に「森林太郎」とだけ書くように言い残している。東大教授の椅子も文学博士号もあっけらかんと拒否した漱石に比べ、余りの恥ずかしさを最後に恥じたからに違いない。閻魔の前で、博士だの勲一等だの肩書きが有効だとはさすがに思わなかった。


 日露戦争までは日本もまともだったという説を、僕も受け入れていたが、既に腐臭は漂っていた。

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