研究や教育でその価値を静かに問うべき大学が、新聞の全面広告やビルの広告塔、競技場の壁、競技playerの着衣、その他あらゆる媒体を買う事で、その存在を見苦しく目立たせている。
「もしも桃太郎がデータサイエンスを心得ていたら、おばあさんがくれたきびだんごでビッグビジネスを生み出し、鬼ヶ島を丸ごと買収して鬼を全員部下に!?なんてことになったかもしれません。「データ分析力+発想力」で新時代の社会に貢献できる注目の学問、はじまります。」
新聞の朝刊全面をデカデカと使ったある大学の新設学部の広告である。中学生の課題でも、こんな杜撰なものはない。新学部開設準備室が「知恵」を絞ったか、広告代理店に下請け発注したか。いずれにしても、知性の欠片もユーモアの片鱗も無い。
仮に桃太郎の時代に「ビッグデータ」があったとしても、身分制度下ではビジネスの担い手は存在しない。制度外の無法者として無理矢理ビジネスを強行すれば、桃太郎自身が「鬼」となる。桃太郎が鬼を部下にするのではなく、桃太郎が鬼と同化してしまう。話は進まない。そもそも、きびだんごを鬼ヶ島をあげて大量に生産したとして、何処でどうやって売るのだ。きびだんごはお婆さんが旅に出る身内につくるもので、大量に生産して商品として流通させるわけには行かない。無理矢理売れば、押し売りするしかない。矢張り鬼は桃太郎を親玉とする鬼になるしかないのである。せいぜいが堂々巡り。
この新設学部の「売り出し文句」にはこう書かれている。
「情報処理技術の急速な発達とそれに伴うAI時代の到来により、ビッグデータを実務に応用できる知識やノウハウを身につけた人材が広く求められています。」
新設学部担当理事が桃太郎であり、買収される「鬼」が教員と学生。売れるはずのないきびだんごが「データ」というわけだ。
儲かる「学問」だけに予算を与える文科行政は、子供騙しの堂々巡りを煽るのみで何ら成果をうむことは無い。アインシュタインの相対性理論には何処の研究機関も注目出来なかったから、物理学とは無縁の特許局で書類に埋没しながら特殊相対性理論に専念せざるを得なかった。湯川秀樹も養子先の湯川家が裕福な医者であったから、生活に煩わされず中間子理論を完成させている。
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