自殺者、中でも社会的弱者である女性や子どもの自殺が増えている。 厚労省自殺者統計は10月の自殺者数を2,153人と
みている。前年同期比で40%増。日本の自殺者数は、ここ数年、毎月1,500人から1,800人の間を推移。しかし今年は、新型コロナ禍が開始の2月から6月までの自殺者数は1,400人から1,500人台を推移して、過去5年間の水準を下回っていた。 生き難さが人に打撃を与える迄には時間的なズレがある。賢い政府を持てば、その間に緊急の対策を取ることができる。しかし時の首相安倍晋三は愚劣なタイミングで「Go To トラベル」を強行、最悪の結果をもたらした。自殺者は7月から1,800人強へ増加、10月には2,000人を突破してしまった。
この間の事情を日本の報道機関ではなく、米国cnnがいち早くしかも的確に報じている。
Tokyo — Far more Japanese people are dying of suicide, likely exacerbated by the economic and social repercussions of the pandemic, than of the COVID-19 disease itself. While Japan has managed its coronavirus epidemic far better than many nations, keeping deaths below 2,000 nationwide, provisional statistics from the National Police Agency show suicides surged to 2,153 in October alone, marking the fourth straight month of increase.
To date, more than 17,000 people have taken their own lives this year in Japan. October self-inflicted deaths were up 600 year on year, with female suicides, about a third of the total, surging over 80%.
Women, who have primary responsibility for childcare, have borne the brunt of pandemic-induced job losses and insecurity. They're also at greater risk of domestic violence, which help centers say has worsened here this year, as it has around the world.
「withコロナ」と馬鹿げた標語を掲げる首都の知事、彼女からは猛毒プルトニュウムを手に制御を夢見るのかのような狂気が漂っている。その標語をいち早く掲げたマスコミ、店先に張り出す商店。我々はウイルスに殺される以上の犠牲を政府の無能によって被りつつある。
適切な設備や人員を削減しなければ、助かったはずの命さえ消えている。彼らは教育や福祉・医療の削減が政治だと考えている。
こうしてCOVID-19は、死亡と重い後遺症を伴う自然災害であるばかりか、無知・無能な政治判断がもたらす「人災」 になった。
政権者たちはコロナ禍を口実に、手続きなしで我々の行動を統制し、財布はおろか、時間を盗み命まで弄んでいる。
エンデはマイスターホラにこういわせている。
『彼らは人間の時間をぬすんで生きている。しかしこの時間は、ほんとうの持ち主からきりはなされると、文字どおり死んでしまう。人間はひとりひとりがそれぞれじぶんの時間をもっている。そしてこの時間は、ほんとうにじぶんのものであるあいだだけ、生きた時間でいられるのだよ。』
コロナ禍で生計の手立てを絶たれた学生たちは、保証のない危険で低賃金の出前配送に駆り出され拘束る。その地獄を「自由な働き方」と言い含められるのだ。権利としての自由な時間を、無価値な「暇」にすり替えて見せるのが時間泥棒の初手だ。
「・・・よけいなことはすっかりやめちまうんですよ。・・・むだなおしゃべりはやめる。年よりのお母さんとすごす時間は半分にする。いちばんいいのは、安くていい養老院に入れてしまうことですな。そうすれば一日まる一時間も節約できる。それに、役立たずのセキセイインコを飼うのなんか、おやめなさい!」
ヨーロッパやラテンアメリカの古い街で、体の不自由なお年寄りが、二階から顔を出して通りの若者に声をかけるのが見かけられる。
「お願いよ、野菜とパンを」
「いつものでいいかい」と若者はぶら下げられた籠から金を受け取り、ひとっ走りする。頼まれたパンと野菜をお釣りと一緒に籠に入れて、二階の年寄りに声をかける。
「用があったらいつでも呼びな」
こんな光景の積み重ねが「公」=コミュニティを形成する。こうして作られる自由な連帯の社会を壊して「デリバリー」会社は肥太る。民衆の統制から「自由」になった資本は、我々のすべてを食い尽くして尚欲望をたぎらせる。
「光を見るためには目があり、音を聞くためには耳があるのとおなじに、人間には時間を感じとるために心というものがある。そして、もしその心が時間を感じとらないようなときには、その時間はないもおなじだ。」
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