2002年7月1日
何に疲れ切ったのか、机に突っ伏している生徒に「寝てていいよ」と言うと、「起きます、大丈夫です」と重たそうに顔を上げてペンを握る。授業が終る頃にはすっかり元気になって、質問に寄って来る。
昼休み教室前の廊下で生徒に捕まる。
「パレスチナ問題におけるイギリスの役割」といきなりだ。
互いに喋っている間に一人、三人と寄って来てずーっと聞いている。まるで、聞かずにいるのは損だと言わんばかりだ。
僕も質問した。
「授業が始まる前に、茶髪やピアスを注意されたら、授業は半分ぐらいしか入っていかないかい」
「うぅん、全然、聞かないで寝ちゃう」
「・・・化粧がどぎつくなる時の君は、必死で自分の存在を守ろうとしているのかい」と聞くと、長く考えて少し微笑む。友達も聞いている。
「自分の立っている場所がどんどん無くなって行く、狭くなって行く不安をどうにも出来ないように感じる」隣の生徒が、「そういうことだよ」と呟く。
本人はじーっと考えていた。
表現に向かえない不安・不満は、いつか反抗や暴力として現れる。必ず。先ず外へ向けて、そして最後は自分自身に向かって。表現の芽として、生徒たちの不安に向き合う「義務」が教員にはある。
少年/少女には本来「難しい」こと「分からないこと」はない。分かるように振舞う事が、学校や体制への迎合に思えてしまうのだ。少年期とはそういう時期である。頭も体も不安定だが、精神は猛烈な勢いで藻掻いている。そんな時期に強要された「成果」を求めて、消耗するのは馬鹿げている。
困難さがあるから、それに立ち向かう。頭を「ふんじばる」ように。
この生徒たちは極めつけの「低偏差値」。そんなレッテルを張っておいて、教師は「難しい」問題から予め逃げている。どうせ分からないと決めつけている。逃げているのは昔少年であった筈の教師。逃げているうちに考えることを忘れてしまう。
少年にとって重要なのは、考える価値があるという事実。それを示す役割が教師にはある。難しく複雑なことを、誰にも分かるように構成し直す。それを繰り返すうちに、少年は難しさ困難さをそのまま引き受ける。それまで僕らは待ち続けねばならない。それに数年を要することもある。そうしてソクラテス式問答は生まれたのだと思う。
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