何故ハンセン病者は死に至る苦難に曝され続けたのか。渋沢栄一は一万円札に値するか。2

 承前

 渋沢栄一と深いつながりのある鹿島組(現鹿島建設)に小冊子「朝鮮人労務者の管理について」がある。冊子は朝鮮人の「短所」として、知能程度が低くて向上心を欠く・国家観念に乏しい・利害に敏感・無抵抗主義の風潮あり・・・などを26項目にわたって挙げている。しかも結びで、「親しんで馴れるな、しかして愛のムチに涙の折檻を忘るる勿れ」と付け加えている。

 渋沢栄一は京仁鉄道社長でもあり、朝鮮初の鉄道工事ほとんどは鹿島組に特命発注している。その際作られた冊子と思われる。朝鮮人蔑視思想は日本帝国主義支配層によって意図的に形成され、関東大震災で組織されたものだ。権力による人災=震災後の流言飛語と無差別殺戮を準備したこの冊子には渋沢栄一の世界観が反映している。 

 そんな人物が一万円札になる。そんな人物の生涯を、日本資本主義の父として「大河ドラマ」に仕立てる風潮を軽薄だと思う。

 しかも渋沢栄一は「ハンセン病」に関して次のように遊説して全国を回っている。

 「これまではただ遺伝病だと思っていたらいが、実は恐るべき伝染病であって、これをこのままに放任すれば、この悪疾の勢いが盛んになって、国民に及ぼす害毒は測り知れないものがある」 

 彼に隔離の必要性を進言したのは、若い野心溢れる養育院勤務の医師光田健輔。養育院は渋沢が設立した「福祉施設」。野心家はある種の使命感に駆られてこう説いている。

 「ハンセン病患者を外来患者として病院が受け入れることは、ペスト患者を外来患者として受け入れることと其理に於て大差(ない)」

   光田と渋沢の執拗な煽動は、ハンセン病におどろおどろしい印象を与えて患者を好奇の目に曝し「ペスト並みの怖い病気」という嘘は、巷に行き渡る。

 渋沢は一時の判断ミスで、光田と行動を共にしたのではない。愛生園園長となった光田は、 1931(昭和6)年記録映像を携え渋沢を訪問している。

 「長島愛生園は子爵のご事業の結晶です。ぜひ一度お訪ねいただきたいのですが、とりあえず活動写真だけでもお目にかけたいと思いまして・・・」と愛生園の様子を映写した。

 渋沢栄一は感歎の声を発し「光田君、よくここまでやってくれた。今後とも頼むよ・・・」と言ったと伝えられている。


  「明治5年東京府知事は「違式註違(いしきかいい)条例」を発令。刺青、男女混浴、春画、裸体、女相撲、街角の肥桶などから、肩脱ぎ、股をあらわにすること、塀から顔を出して笑うこと等76箇条を「文明国」に有るまじと決めつけ、軽犯罪としている。

  ・・・裏声で攘夷を絶叫していた薩長が長英・薩英戦争で敗北、その英国の後押しで政権にありつくや、一転して英国人にとっての「不快」な存在そのものを禁止・排除・抹殺して迎合しご機嫌伺いするのをくい止められはしなかった。敗北してなお保つ小国らしい矜持はここにはない。 植民地的従属性に彩られた全体主義的絶滅思想の腐臭がある。

 こうして叩かれた一つが、ハンセン病浮浪患者だった。彼らの実態は貧困にある。急激な膨張で悪化する「帝都」の衛生状態を放置し、チフス・コレラ・赤痢など伝染病死者が万を越える。それでもお上は貧民・患者救済には目もくれず、慣れない洋装で鹿鳴館通いの乱痴気騒ぎに興じて、御殿造営、軍備増強、爵位・勲章の乱発には抜かりなく、それを文明開化と呼ばせた。

 『患者教師・子どもたち・絶滅隔離』地歴社刊

  

 養育院の「文明開化」に於ける役割は、「臭いものに蓋」をして欧米人の眼に触れぬよう、巷に横溢する生活困窮者を狩込み加賀藩邸跡に収容することであった。


  「ハンセン病患者を外来患者として・・・受け入れ」ていたのは、他ならぬ東大医学部お雇い外国人医師ベルツであった。彼は皇室始め政財界要人たちの信頼も厚かった。

  彼はこう書き残している。

  「 東京大学の病院の大部屋で、私は20年以上にもわたって常にハンセン氏病患者を、他の患者達の間に寝かせてきた。しかし、患者も医療従事者も誰ひとりハンセン氏病に感染しなかった。潜伏期間が長いために感染の事実が立証できないだけだというよくある反論も、20年を超える時間の長さを前にしては無効である。」

  政府はベルツの帰国を待つように「明治40年(1907)法律第十一号・癩予防に関する件」成立させる。全生病院等5カ所の療養所が開設されるのは1909年。1916年患者懲戒検束権を所長に付与、1925年には衛生局長通達で浮浪癩患者以外も収容。光田健輔念願の全患者隔離は、「癩予防法」「国立癩療養所患者懲戒検束規定」として1931年実現する。

 ベルツだけではない。日本人学者・医師にも絶対隔離を間違いとするものは少なくなかった。東大皮膚科教授大田正雄(木下杢太郎)はこう書いている。

 「なぜ(ハンセン病の)病人はほかの病気をわずらう人のように、自分の家で、親兄弟や妻子の看護を受けて養生することができないのだろうか、それは強力な権威がこれを不可能だと判断するからである。人人は此病気は治療出来ないものとあきらめている。・・・

 然し今までは、此病を医療によって治療せしむべき十分の努力が尽くされたとは謂えないのである。殊に我が国に於ては、殆ど其方向に考慮が費されて居らなかったとい謂って可い。」 


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