憲法13条『個人として尊重』

  2002年6月21日


 My view is that a child is innately wise and 
realistic. If left to himself without adult suggestion of any kind, he will develop as far as he is capable of developing.  ニール

  

 米国大統領が帰郷し雑貨屋に寄った。店主は居合わせた行儀の悪い子ども達に向かって

 「大統領閣下がおいでになるのだから、粗相があってはならない」と叩き出した。

 これを見ていた大統領はこう言った。

 「あの子達も将来は立派な人物になるかも知れないのだから、粗末に扱ってはならない、尊厳を持って扱いなさい」

 この逸話を話した後要点と感想をKH高生に書いてもらった。殆どは良い大統領だと評価。

 その後、これを批判した神父を紹介した。そして何故神父が大統領の言葉を批判したか、考察させた。

 対偶・裏・逆の論理学的な思考を試みる。

 暫くして、「大統領は愛してないんだ」と言う者あり、多くが頷いた。そう、将来立派になる者ばかりを可愛がる大人は、結局子どもを愛していない。彼は「成果」だけを要求している。愛とは何か、知りたがる生徒たち。


 憲法13条の『個人として尊重』の意味をこうして押さえた。

  立派な人物になるはずのない者も、「正当に=尊厳をもって遇する」とはどういうことか。

  My view is that our students are innately wise and realistic. 

 O工のA先生が「おめえらだってホームレスになるかもよ」と言って社会的敗者への国家による支援の必要性を生徒に説いても、「要らないんじゃないの」とつれない返事だという。

 一体どのようなadult suggestionがO工ではあったのか。

 工高に限らず学校には、政権による suggestionが頻繁かつ広範にある。例えば「中立」。中立の概念はそもそも与件概念ではない。政権が定めた「掟」を何処にも偏らないと規定して、命令や逮捕によって強制する。これはsuggestionどころか思考の停止であり、教育の死に他ならない。教師が思考停止を強制されれば、生徒は判断を畏れる。

 それが、「要らないんじゃないの」とつれない返事として現れる。更に工高など職業高校では、職人的師弟関係が授業に持ち込まれてしまう。生意気さを醸し出す知性は嫌われ、従順な素直さが優先される。文科省は高校生をstudent と見做してはいない。

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