繰り返し思い出す旅の光景がある。一つは北京の繁華街王府井での事。
蒸暑さと人の多さに疲れて、木陰の老婆からアイスキャンディを買った。彼女は、断熱用の布団に何重にもくるまれた木籍から商品を出し素朴な包み紙を取り中身だけを出し「三毛(当時の交換レートで10円)だよ」と言った。包み紙は丁寧に伸ばして重ねられ木箱の上に置かれた。
キャンディは山査子とサッカリンの微かな甘みがあった。あんなに美味しいキャンディを僕はその後知らない。一息ついた僕たちの前を、いかにも教師らしい二人が嬉しくて堪らないという表情で歩いて来た。男性の白髪老教師と若い女教師。それぞれ両手にどっさり教具らしいものを抱えて、声も弾んでいるのが判かる。老教師は歩みを止め、前方を指さし語りかけた。二人の会話が少しだけわかった。
「折角の北京、名物でも食べようか」
「賛成、やっと来たんですものね」
「あそこはどうだろう」
「素敵・・・そう・・・でも、私まだ買っておきたい物があるの。子どもたちの喜ぶ顔を見ましょう」
「ウン・・・そうだね、戻ろう」
粗末だが清潔な上着と黒い布靴の二人は、何日かけて北京に着いたのだろうか。寝台車に乗れば彼らの給料は飛んでしまう。街のコックは千元を嫁ぐが、教師は大学教授でも月給百五十元、(1元は30円余りだった)と聞いた。
僕はある年、北京郊外のかなり高級なホテルに泊まった。精算するとあまりにも安い。間違いだろうと問うと
「これでいいのです。今、年に一度の「教師節」で、先生たちの日頃の労苦に報いているのです。外国人教師も例外ではありません」と笑った。
事程左様に、教師の給与は安いのである。だから王府井の二人は、帰りも硬い座席車に乗るに違いない。駅から村までは、破れた床から地面が見えるようなバスで更に半日は揺られるだろう。二人を見送りながら、貧しさの中の節度を想う。
辺りには中国最大の書店、文具店、百貨店が軒を連ねる。書店に並べられた粗末な装丁の本は何れも手垢で背表紙が黒ずんでいる。学生達は参考書売り場に群がり、問題集を広げては議論し、そして買わない。理科の教師用指導書の大部分は身近な材料を使っての実験器具づくりに充てられていた。
もう一つは、哈爾滨動物園での事だ。 檻の前で小さな日用品を並べ賭けに客を誘い、またたく間に金をまきあげる若い女。動物を見に来た筈の男たちが、動物には目もくれず、賭けに群がり、警察のサイレンと共に散り再び集る。
ここは日本より広い黒龍江省随一の行楽地でもある。高さ3mの軌道を走る小さな人力モノレールに興じるのは大人たち。子どもはパトカーやサイドカーの形をした電動カートで狭いサークルを廻ってご満悦。
肩を組んだ中学生らしい少年二人が、弁当箱を手にやって来る。満面の笑み、今にも歌い出しそうだ。檻の前で一つひとつ説明を読み、熱心に動物を観察し、何やら話し合う。やがて弁当箱を振り回しながら隣りの檻に移ってゆく。こんなに仲の良い少年を見るのは久しぶりだった。彼らも粗末だが洗いたての木綿の上着、破れかけたズック靴、髪は散髪したばかり。早起きして二人は、生れて初めての大都会を旅している。母親は星のある時間に起き、息子のために弁当をつくった。父も母もこの一日、遠い都会に出た息子の安否を気づかい落ち着かず、夕方になれば何度もバス停の方角を振り向かずにはおれない。夕餉のひとときは一家中が、小さな白熱灯の下でこの日の大冒険を語る少年に耳を傾けたに違いない。
追記 40年も前のことだ。今は姿を消した旧式の教具やありふれた動物に心ときめかせる国の平等な貧しさが、反転して眩しく迫る。今、僕らは生徒の意識を授業に向ける為に、過剰に刺激的で珍奇な「物」、痺れる味わいの事件掘り出しに躍起だ。 肝心の授業構造や論理はそっちのけ、ともかく惹き付けなければというわけだ。コンピュータも駆使して、真偽不確かなデータに教師までが翻弄される。某はその筋で教祖に登りつめ、手軽かつ見栄えするネタに若い教師を誘う。しかし感覚を痺れさせる教材の香辛料には限度がない。刺激に飽きた生徒を、教室に向わせる仕掛けはエスカレートして止まない、アメリカではすでにこれで失敗した。新たな刺激のために教師たちは初めは意欲的に働らき、やがて燃え尽きたのだ。
授業は質素に限る、落ち着いて中身を精選充実させよう。奇を衒ってどうする
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