選択できる「生活指導」を試す

  「生活指導」で問われるべきは、量ではなく質である。下町のある工高では、指導の長さや表面的効果ではなく担任や担当教師の取り組みの中身が問われ時期がある。その底流には、指導はあくまで生徒の「権利」であって、生徒に対する処分=罰ではないとの共通認識があった。しかし、学級担任や校務分掌としての生徒指導部に人気はなかった。生徒が主体と言う考えにどうしても馴染めないからだ。日数や時間が過ぎたからokとは行かない。教師個人の個性が反映することにもなる。職員会議での議論もややこしくなる。指導内容抜きの教員個人間の言い争いになりが

ちだ。  
 ある年、生活指導部送りになった生徒に、指導方法を選ばせることにした。担当は二人。指導室での説教、グランドの草取り、プールの掃除、職員室の掃除(清掃分担表から各職員室を外した。職員室清掃が生徒の分担という発想に僕は合点が行かない。)

  生徒に人気のあったのは、「グランドの草取り」。もう一度草取り指導してくれと言い出す生徒が続出した。担当二人の空き時間にやれば生徒は授業を脱ける、これは事前に職員会議で周知しておいた。工高は専門教科の実習や実験や製図が圧倒的、この時間を脱けることになる。

 グランドの木陰は校舎からは見えないから、普段から彼らの喫煙場所でもあった。その付近で今度は草取りをする、教師と並んで。面と向かってでは無く草や空を診ながら、いつの間にか対話になる。授業や教師ねへの不満から親や校則への不満もゆっくり話し合える。将来への不安が口にでることも。草取りは心身を解すにも丁度良い。終わった時には、生徒の表情が柔らかい、同じように僕らも柔らかい表情になっていたに違いない。

  しかし一見長閑な選択できる「生活指導」は、定着しなかった。

 教員は「強制してこそ指導」との先入観から自己を解放できない。この傾向は学校の「偏差値」ランクが下がるほど著しい。ここに、経済的・文化的貧困への止みがたい無知と偏見がある。

 加えて都立高校異動に関する「希望と承諾の原則」が、都教委による強制人事に変わったことも大きい。異動先の教育文化の違いを受け入れない教師が強制異動で増えたのだ。このような教師にとって、服装や頭髪の自由や、指導の選択制など論外だったに違いない。全都的に、全国的に「管理主義」教育が力を増していたのだ。 特定の生徒だけが管理されるように見える時、既に全ての生徒の自由も教師の自主性も侵害されているのだ。

反骨精神

  マーロン・ブランドは誇り高い若者だった。だが彼の父親は誇りを反抗と見做した。その矯正のために陸軍士官学校に入学させる。厳しく叩き直せば、素直になると考えたのだ。だが彼は教官にも口応えして謹慎処分を喰らう。謹慎の最中遊びに行ったことがばれて、卒業直前には退学処分。

 この除籍処分に対して「あまりにも一方的」「不公正」と学生全員が憤慨。次第にストライキに発展、根負けした士官学校長はブランドに、学業を修了して翌年に卒業するよう手紙を送るが、ブランドは復学も拒否している。

  彼は、クラスメートが自分に宛てた激励の手紙を自宅の寝室に飾って大切に保存していたという。


  マーロン・ブランド主演・エリア・カザン監督『波止場』は1954年アカデミー賞の監督賞、脚本賞、主演男優賞など8部門を受賞した。元ボクサーの主人公は波止場の日雇い労働者。港湾労働者の日当をピンハネして暴利をむさぼるボスに反抗、事件に巻き込まれ瀕死の重傷を負うが、信念に基づいて生きることに目覚めるテリーの熱意に心動かされた港湾労働者たちは、脅迫を続けるボスに背を向ける。ここに描かれた元ボクサーの姿は、矯正教育を強要する父親と士官学校長に従う事を拒否するマーロン・ブランドの生き様を思わせる。

   1972年の映画『ゴッドファーザー』ではマフィアのドンを演じアカデミー主演男優賞に選ばれるが、「ハリウッドにおけるインディアンをはじめとした少数民族に対する人種差別への抗議」して受賞を拒否。

 授賞式にはインディアンの服装をしたネイティブ アメリカンの公民権活動家リトルフェザー女史を登場させ、アメリカの映画作品内における人種差別、分けてもインディアン差別に抗議した。

 それまでのアメリカの西部劇映画では、史実を歪曲した外見・風習のインディアンを悪役として登場させ、正義の騎兵隊のワンパターン。マーロン・ブランドの抗議をきっかけに、アメリカの映画界のインディアン観は少し変わり始める。しかし日本で上映する西部劇では、相も変わらず先住民蔑視が今も続いている。

 

 差別に抗議するAIM(アメリカインディアン運動)代表がFBIに追われて逃走中、ブランドは逃走資金として1万ドルと逃走用の車を提供している。映画界だけではなく国家権力対しても闘う誇り高さがある。  

  マーロン・ブランドの反骨精神の万分の一ぐらいも日本の「芸能人」=「俳優」たちはないのか。電通やtvショッピングに支配された業界とスポンサーに過度に迎合した台詞と眼差しは、若い視聴者の世界観から誇りを奪う。迎合する見苦しい振る舞いを「金「票」で買われたのだから当然だ」と思うに違いない。「俳優というのは自分の言葉ではなく与えられたセリフ、人の書いた言葉を言う職業です」と情け無い言い訳をしたのは、酩酊するたびセクハラ絡みの乱暴狼藉を繰り返した自称「俳優」香川照之。

 統一教会に支配された政権党議員達の振る舞いや言葉は「・・・与えられたセリフ、人の書いた言葉を言う職業です」からすれば、至極自然に見える。

 マーロン・ブランドなら譬え喰うや喰わずになっても、電通やtvショッピングの画面にさらされるのを断固拒否したに違いない

  マーロン・ブランドの反骨精神の万分の一でも日本の「学

者」「官僚」「警官・判事・検事」「教師」たちにあったら・・・と思う。檻に閉込められた囚人のようにもはや彼らは自分の言葉では語れない。



 大逆事件の報を聞いた徳冨蘆花でさえ、一高生に「謀反論」を語ったではないか。彼は会場に溢れる若者にこう訴えた。

「・・・諸君、最上の帽子は頭にのっていることを忘るる様な帽子である。・・・我等の政府は重いか軽いか分らぬが、幸徳君等の頭にひどく重く感ぜられて、到頭無政府主義者になって了うた。無政府主義が何が恐い? ・・・幸徳君等は時の政府に謀叛人と見做されて殺された。が、謀叛を恐れてはならぬ。謀叛人を恐れてはならぬ。自ら謀叛人となるを恐れてはならぬ。新しいものは常に謀叛である・・・」

 2時間に及ぶ演説が終わると数秒の静寂の後、万雷の拍手がわいたという。蘆花は些かも「主義者」ではなかった

 

 

だいぶ昔の人力「SNS 」 / 僕らが失ったもの

  敗戦間もない1950年代、人々はどのように「社会的ネットワーク」を築いていたのだろうか。鹿児島の田舎、情報源は良くて地方紙と有線ラジオ。電話は壁掛けで余程の資産家でなければ手も出ない頃。

  1957年秋の事だった。町で一番高い山御在所岳を知った。クラスの男子の半数で日曜日に登る事になった。言い出したのは転校生の僕。

 前の晩、祖母たちは御在所岳がどんな山か教えてくれた。道順も細かく聞いて僕はその夜なかなか寝付ず、寝坊してしまったが朝起きると、弁当と水筒と手ぬぐいや下着が祖父の背嚢に準備してあり、祖母たちまでが浮き浮きしていた。孫が冒険する歳になった事を喜んでいたのか。そういえば背嚢には軍隊用のコンパスに加えて熊よけの鈴までがぶら下がっていた。

 だが集合場所に来たのは僕以外にたった一人。約束したはずの何人かを訪ねると、うな垂れて親と一緒に立っていた。そしてお説教を喰らってしまった。「子どもだけで御在所岳に登るなんて危ない。あんたんとこは父ちゃんも母ちゃんも居れば屹度反対したはず・・・」反応はどこも同じだった。

 僕は家へ走って、祖母に報告した。

 「男が一旦約束したことは、簡単に諦めてはいかんよ。まだタップリ時間はある。」祖母たちはそう言う。


  意気揚々と川を遡り、分かれ道の角の大きな農家に立ち寄る。そこから道は大きな杉林の中。

 「御在所岳はどっちな」と聞けば

 「何処の子ね」

 「築港の・・・」と言うと、繁々と顔を覗き込んで笑いながら僕の苗字を当てた。祖母や大叔母の知り合いだった。

 台所から蒸かした芋を持ってきて

 「持って行け」という。

 続く農家はそれぞれ見えない程離れていたが、道を聞いたり井戸水を呑ませて貰ったりしながら必ず立ち寄った。もし行く方不明になれば、立ち寄った農家の記憶が手掛かりになる。

僕はまず水平線を引いた

 山頂が近づくにつれて森は開け、山栗やグミや椎が生えていた。採って食べなが見晴らしのいいところに出た。眼下に築港や家々の屋根が小さく見える。遠くには桜島、大隅半島、枇榔ヶ島、学校もお寺も川も。馴染みの町が手に取るように見えた。母が入院している結核療養所も浜辺の大きな松林の中にみえた。今度はあそこに行こう、あそこには団子、あそこにはきれいな湧き水が・・・と言いながら、互いに追いかけ合い、背嚢からスケッチブックを取り出して絵を描いた。


  アッという間に陽が傾いた、大急ぎで弁当を広げ道を戻り森の中に入ると既に薄暗い。熊も出そう。不安になり、知ってる限りを大声唄っていると、後ろからヘッドライトを点けたオート三輪がやって来て、

 「何処まで行くか、乗れ」と乗せてくれた。この時程ホッとしたことはない。川べりに出るとまだ明るかった。築港の入り口で降りて、集落を見たとき町並みが小さく見えた。(映画『スタンバイミー』の主人公達が三日の冒険の後感じたのと同じ光景。そのことに気付いてハッとしたのは30年後のことだ。)友達と別れ家に帰ると祖母たちと妹が待っていた。休む間もなく、「風呂の水を汲まんね、沸かさんね・・・」と声がかかるが、風呂は既に沸いていた。

 山で描いた絵を見せると「そうじゃが、じゃが、療養所が判ったね。角の婆さんは元気だったね・・・」。

   クラスの男子半数で登っていたら、こんなスリリングな体験は出来なかった。

 数日後、大叔母は芋の茶巾絞りを土産に僕が立ち寄った農家を訪ねたに違いない。それは祖母たちの楽しみでもあった。

  今は遠くなった昔のSNS=社会的ネットワーク・・・捨てたものでは無いだろう。人と人を優しく繋ぐのは、道具ではない。snsが便利なるにつれて、いじめやハラスメント・殺人か頻発している。賢い使い方が出来ないのなら捨てた方がいい。

   近松の時代にも、伴大納言の世にも、いつの時代にもそれぞれの社会的ネットワークがあった筈だ。共通しているのは、時代に相応しい狭さと遅さである。

 速さ、広さ、多さだけの仮想現実に気をとられる時、我々は実体ある人間と自然を忘れている。遅さと狭さが人の思考を確実にする。  

 あの頃、夜空には天の川が見えた。

暴発は制御できない


 






  中央値とは、データを小さい順に並べた時の真ん中の値。同じ値のデータが最も多い値は最頻値という。

 画像に示した年代別平均貯蓄額。驚くべきは20代と50代の貯蓄額の中央値が、それぞれ8万円 30万円にすぎないことだ。20代の半数は貯金が8万円以下だし、50代の半数は30万円しかない。日本は新自由主義経済の掛け声に浮かれて、気が付けばsafty netが破れて久しい。だから貯蓄に頼らざるを得ない。にもかかわらず政府は物価対策を放棄。

  報道によれば、壮年男性がコロナ感染して僅か半日で死亡したという。その間救急車が患者を乗せたまま問い合わせた病院は200カ所以上。それでも受け入れる病院はなく、走り続けた挙げ句自宅に戻り絶命した。同じような例が相次いでいる。これを医療崩壊寸前と呼ぶ行政もTVも狂っている、寸前ではなく既に崩壊。明らかな医療放棄。 僕が怖いと言っていたのはこのことだ。日本の新規陽性者数と1日当たりの死者数は世界1位、という惨状。とっくに子どもや既往症ある人や妊婦が医療から弾き出されている。病院経営には莫大な補助金がつぎ込まれるが、医療そのものは消滅。これは国民皆保険制度下の行政犯罪。狂気の沙汰。

 その上実質賃金は下がりつづけ年金も削られ物価は上がる。にもかかわらず弱者の怒りの行動は組織されない。弱者・敗者はまるで生きていること自体が罪であるかのように、恥であるかのように息を潜めている。tvでは警察ドラマと武将ものや公営ギャンブルとプロ化したゲームの勝ち組だけが画面に踊る。金がなければギャンブルか投資で稼げと宣伝が流れる。ギャンブルや投資に回す金もないのに。貧しい労働者は存在しないかのような電波の世界。

  うらぶれた街や狭く密集した住宅がドラマから消え、城や宮殿ばかりが登場する。社会全体が、貧しさ、敗者に対する想像力を失っている。

 恐れねばならないのは、こうして自我像を喪失すれば温和しく秩序ありげな国民ほど、輝かかりし過去の「栄光」に自己を埋没して一気に暴発することだ。

 成長著しい中国や韓国を揶揄する雑誌が売れ、攻撃的発言が視聴率を上げる。しかし滅びた日本の栄光は妄想の中にしかない。暴発も妄想も一度始まればコントロール出来ない。 

ヒトに人格、猫には「猫」格が、犬には「犬」格がある。 パンダにはパンダ「格」が。

  日本では犬にシャツを着せる。これは世界で殆ど日本だけの奇妙な光景。

   文部省唱歌『雪』の二番は

 雪やこんこ あられやこんこ  / 降っても降っても まだ降りやまぬ  / 犬は喜び 庭かけまわり  / 猫はこたつで丸くなる

 何故だ、汗腺のない犬にシャツを着せたがる。犬は肉球と舌だけで汗をかく。シャツはたとえ冬でも不要。南極の冬にもtaroと

jiroは耐えた。反対に猫は寒がりだ。

 犬をワンコと呼び、雌猫を女の子と言い可愛がるが、実態は「虐待」。犬や猫にも尊厳がある。猫には「猫」格が、犬には「犬」格がある。「猫」も「犬」も生物として独立対等であって、「ヒトもどき」や「名誉ヒト」では無い。  

 かって三井物産は社内報「三井海外ニュース」で「ここ数年来、南アと日本との貿易は飛躍的に伸長し、それに伴い名誉白人は実質的白人になりつつある。最近は、多くの日本人が緑の芝生のある広々とした郊外の家に白人と親しみながら、そして日本人の地位が南ア白人一般の中において急速に向上していることはまことに喜ばしく、我々駐在日本人としても、この信頼にこたえるようさらに着実な歩みを続けたい。インド人は煮ても焼いても食えないこうかつさがあり、中国人はひっそり固まって住み、カラードは粗暴無知、黒人に至ってははしにも棒にもかからない済度しがたい蒙昧の徒という印象が強い」と名誉白人扱いを誇った。おかげで日本は1980年代後半から南アフリカ共和国の最大の貿易相手国となった。儲かりさえすればという日本の姿勢は、1988年の国連総会採択の「南アフリカ制裁決議案」名指しで非難されている。


 日本人が猫にシャツを着せないのは、毛が柔らかいから直接撫でたいのだ。飼い主が気持ちがいい。対して犬の毛はゴワゴワで、心地よくはない。

 儲かりさえすれば、自分さえ好ければの思い込みは激しい。自分が善と思い込めば、他者の尊厳は目にも耳にも入らない。広い城跡に住む男を「現人神」と思い込めば、全体が思い込むまで強制し続ける。常に多数は全体。少数は無になるまで拷問を加えられる。

   日本に初めて二匹のパンダ・カンカンとランランがやって来たのは1972年。上野動物園では、国賓級のパンダを一目見

ようと大勢が押しかけたが、その生態は分からないことだらけ。餌も受け付けず、公開の目途もも立てられない。 困り果てた飼育担当者は、ヒトとパンダの壁を乗り越えるように、山形弁で夜も昼も語りかけるが、カンカンは衰弱し命の危機に直面。その間も人々は毎日行列をつくって待ち続け、黒柳徹子も撮影の日程を切り詰めて毎日外で並んだ。 苦心の末漢方薬を飲み笹も食べるようになった一週間目、飼育員が「おめえさ会いてえヒトが・・・」と声をかけて黒柳徹子が顔を出した途端、カンカンは仕切りのガラス際の彼女にすり寄ったのだ。飼育員が「お前、メスのランランに少しぐらい・・・」と言うほどの嬉しがりよう。

 彼女には不思議な能力がある。パンダの独立したパンダ「格」をとっさに承認。パンダの警戒心を解除、対等な関係を結ぶ。それはパンダに限らない、全ての動物、全ての民族、すべてのヒトの尊厳を感じ取る希有な能力に恵まれている。だから「徹子の部屋」はギネス級の長寿番組となった。


 「すべてのヒトの尊厳を感じ取る希有な能力」が最も期待されるのは、教師。若者一人一人の人格を、学校や教師からは独立した尊厳ある存在としてとらえる事が要請される。

 僕だったら黒柳徹子を文部科学大臣兼教師に任命したい。彼女には小学校を1年で退学処分された輝かしい経歴がある。枠にはまらない点で彼女の右に出るひとはない。世の不良・悪童・非行・はみ出し者、そして彼らの悩める親たちに向かい合い語りあえるのは、彼女のみ。


   これには素晴らしい前例がある。ギリシア映画『日曜はダメよ』の主演女優 メリナ・メルクーリ。彼女はギリシャに軍事政権が誕生すると直ちに反政府運動に加わり、全ギリシャ社会主義運動のアンドレアス・パパンドレウ内閣が成立すると文化大臣を務めた。
(映画『日曜はダメよ』の物語自体と主演女優メリナ・メルクーリの役柄そのものが、彼女が何故ギリシアの文化大臣に相応しいかを示している。)

破廉恥な特権。破廉恥を「自慢」する病理・狂気

  宗教政党の誉れ高い衆院選候補O氏は、衆院選公示日の2021年10月19日に、自身の「無修正」性交動画を違法公開。

《なんか、編集したらAVみたいになっちゃった》

などとTwitter投稿。同時にアップロードされたのが性交動画。彼は「法律に引っかかると思っていなかった」と平然と語っていたが、党はコメントなしで比例名簿から削除して幕を引いた。

 参院選出馬予定の元東京都知事が、街頭演説中に同じ政党の女性立候補予定者の体をベタベタと触りまくり。その様子がその党の公式動画で大炎上。

 問題の場面が記録されたのは、YouTube動画。I候補が吉祥寺駅前で東京選挙区予定女性の横で演説する様子が映されている。笑みを浮かべたI氏は女性立候補予定者を紹介しながら、肩や背中や胸元にまで手を伸ばし、複数回にわたって触れているのだ。この党は動画を非公開にした。

 I候補自身はしばらくして《軽率な面がありました。十分に認識を改め、注意をして行動していきたい》とするツイートを投稿して謝罪したつもり。


  K衆院議員(元女性活躍担当大臣)は、ある評論家からのツイート

《K先生、安倍総理殺害に関して、奈良県警からメディアなどへの不確実な捜査中の情報漏洩が起きているように思われます。過去の国会答弁からも国家公務員法の守秘義務違反に該当すると考えられます。適切な対応をお願いできませんか?》

に次のように返事した。

《長官は後輩、かつ知人なので、聞いておきます

 その半日後の同日夕方には、こんなツイートを平然と投稿している。

《警察庁長官に「奈良県警の情報の出し方等万般、警察庁本庁でしっかりチェックを」と慎重に要請致しました。これ以上の詳細は申せない点ご理解を。霞ヶ関を肌で理解する者同士の会話です。皆様の感じられた懸念は十分伝わっています。組織に完璧はありませんが、国益を損なう事はあってはなりません。》


 あるまじき破廉恥を自慢したがるのは、何故なのか。強い者には、世間は味方のように見えてしまうのか。「下々」に許されないことを平然とやるのが心地よいのか。それが強者・勝ち組の特権だと吹聴せずにおれないのだろうか。


 これら最近の破廉恥は、1937年当時のN少尉とM少尉による「百人斬り競争」(南京入城までに日本刀でどちらが早く100人斬るかを競った)自慢話を思わせる。彼らは東京日日新聞の取材に応じたばかりか、銃後の小学生や民衆の前で堂々と語っている。語った本人たちも、それを「前線勇士の武勇談」として喝采した民衆も正気を失っている。

  画像は米軍によるアブグレイブ刑務所でのイラク人虐待場面。女性兵士らは鼻歌で撮影したという。

  こんな破廉恥場面を記録したがる心情を疑う。判断力を失ったのか、狂ったのか、喜びを隠せないのか。まだまだ類例は幾らもある。
 衆院議長のセクハラ電話も正気では無い。彼らは自らの破廉恥を強者・勝ち組の特権と見做している。民主主義は特権の廃止なしには始まらないのだ。どこかに特権が残る限り、弱者の「権利」は必ず切り捨てられる。

 64年東京五輪バレーボール監督は、「東洋の魔女たち」を真夜中に叩き起こして練習させたと言う。金メダルの勝ち組には許される特権と見て、世間はこの「しごき」を容認した。それが今なお続く日本スポーツ界の体罰死を許している。 

 狙撃された元首相による「桜を見る会や加計学園等に連なる幾多の犯罪的不正」も、勝者・権力者の特権と世間は容認した。であれば民主主義を破壊したのは誰かはっきりしている。そして棚上げ切り捨てられた「権利」は夥しい。

ペリー来航は「武力介入」 

 嘗て米上院が米海軍に対して、武力介入の報告を求めたことがある。ニカラグアやアンゴラなどへのArmed interventionに混じって、RyukyuとJapanも報告されている。


  

   琉球では上陸したペリー艦隊水夫が女性に強姦暴行、仏壇の酒や食べ物を盗み、「位牌」を持ちかえり、また恩納村で酒に酔った米兵が住民に向け銃を発砲し、12歳の少年を含む三名の村人を負傷させている。 

 1854年6月12日には、那覇に上陸した水夫たちが酒と女性を求めて人家に押し入っている。強姦した水夫は住民に追われ海に落ちて溺死。

 最高責任者ペリーは、謝罪しないどころか逆に水夫が死んだことを問題にし、犯人の究明を求め、強硬な姿勢で「裁判」を開くよう琉球側に要求。7月7日、ぺリー同席のもとで裁判が行われ、投石した住民が八重山に終身流刑となっている。このリュウキュウへのArmed interventionでペリーは捕鯨船への薪水補給や通商を強要する以外、琉球占拠も画策している。つまり「武力介入=Armed intervention」は「砲艦外交=gunboat diplomacy」すなわち「侵略」と一体であった。


   『嘉永明治年間録』にはペリー艦隊水兵が横須賀市久里浜近郊で起こした暴行事件の顛末が記されている。

 「この度やって来た異国船。六月八日、本牧沖に滞船中は小舟にて諸方を遊覧し、此の時久里浜に住む百姓市之助(年齢約六十歳)と言う者がいて、娘(二十歳)が一人いた。市之助は畑に出て農作業の為家を留守にしていた。娘が水を汲みに出ていると、夷人たちが娘を見つけ、小舟にて漕ぎ寄せてきて、八人が上陸し、市之助宅に侵入し娘を強姦した。物音を聞き市之助が家に戻ると、その様子を見て、天秤棒にて夷人三人を打ち倒し、その他の夷人は船へ逃げ帰った。娘は気絶していて、市之助は娘を介抱し、何とか息が戻った。此の隙に三人の夷人たちも逃げ出した。市之助は久里浜の役所に訴え出たが、役人は穏便に済ますため堪忍してくれと諭し、三百疋を取らせて事を済ました」(原文は漢文)


 琉球で罰を逃れた水兵たちは増長、久里浜でも同じ事件を起こしている事が分かる。注目すべきは「役人は穏便に済ますため堪忍してくれと諭し」た事だ。原爆投下を非難するどころか、占領軍に先んじて原爆被害実態を報道管制・隠蔽した日本軍部を思わざるを得ない。

 ペリーは忽ちのうちに懲らしめるべき「外患」から開港の恩人と持ち上げられてしまう。悪が善に転化する、正常な精神を失っている。強姦された者が、憎むべき強姦犯を「彼は私を愛していた」と妄想するに似ている。 

 おかげで各地にぺりー提督を讃える記念碑が建てられる始末。原爆投下や東京大空襲などの司令官ルメイ(日本本土爆撃が人道に反することを知りつつも戦争における必要性を優先し、現場で効果的な戦術爆撃を考案し実行した。終戦の9月20日に彼は記者会見で「戦争はソ連の参戦が無くても、原爆が無くても2週間以内に終わっていたでしょう。原爆投下は戦争終結とは何ら関係ありません。」と答えている)に、日本政府は勲一等旭日大綬章を贈っているのだ。

 ペリー砲艦外交=gunboat diplomacy以後、日本の権力は強きには屈伏すべしとの価値観に囚われてしまう。安手の鹿鳴館で似合わぬ洋装で下手な踊りにうつつをぬかす有様を錦絵にしたり出来るのもそのためだ。その裏には強者は常に正しいとする世界観が見える。そうでなければ唯一の被爆国が、原爆投下国の核の傘の元にある事の理屈が付かない。 

 強者=正義とする世界観は、朝鮮や中国更に「大東亜共栄圏」政策に反映する。開国した日本は正義であり、鎖国を続ける朝鮮は正義の日本敬意を払って従うべきであり、列強に分割されつつある中国に正義はあり得ないとの筋書きになる。かくして帝国日本は「現人神」に守られ「大東亜共栄圏」を形成、正義を世界に示さねばならない羽目に。ここまで妄想が募ると、昨日までの先進正義・米英は一瞬にして反転「鬼畜」と化す。神国官製の妄想にイライラしていた大衆が開戦の報道に快哉を叫ぶのは妄想の再構成=反転強化に過ぎない。反転した虚像は原爆による敗戦で再び反転した。

 もし日本が自立した誇りある国家であれば、力に屈した自己を恥じ、鎖国政策を維持する李氏朝鮮にこそ敬意を払う。孫文や魯迅が期待した日本像こそ、世界史的実像であった事を知るべきだった。

 それにしても米国は「武力介入=Armed intervention」を21世紀に入っても止める気配がない。貧しい小国ベトナムに徹底的に敗北した一時期は温和しかった。「世界の警察」の妄想から覚めたかにみえた。しかし「我々はベトナムに負けたのではない。国内の反戦運動に押されたに過ぎない」と言い始める。妄想の修正し始める。

 英国から追われるようにして新天地を求めたキリスト教徒たちが、メイフラワー号でプリマスに上陸して以来、彼らは先住インディオ虐殺を神の恩寵の証とする妄想なしには、合衆国建国を正当化出来ないからだ。「神に守られた正義の全能米国」と「万世一系の神国日本は、幼児な妄想という点で共通して互いに依存している。両国とも常に絶対悪として第三項を仕立てねばならなくなる。

 日本各地に乱立するペリー提督像、ペリーを『讃える』記念碑を見る度僕は胸くそが悪くなる。   

王様に貰ったミカン

 深酒して 終電車に乗り遅れ、交番で補導された事がある。身分証明を見せると、巡査は慌てて「失礼しました」と敬礼した。修学旅行引率では、宿の仲居さんから面と向かって「先生はどこ」と聞かれた。「僕です」と答えると、仲居さんは 一瞬呆然の後 生徒と一緒に大笑いした。引率されたのが二十を...