反安保のデモ隊列に小学生がいた頃

 1960年国会議事堂をとりまいた反安保のデモの隊列に数人の小学生がいて、マスコミに取りあげられ話題となった。川崎市立住吉小学校の児童たち。このデモ参加の子どもたちの声を集めて、ラジオドラマがつくられた、そのドラマへの子どもの出演をめぐって、親たちの意見は真二つにわれた。子どもたちがデモに行ったことに対する可否である。しかし結局はすべての親が子どもたちのデモ参加、そしてラジオドラマ出演を認めた。担任の論理は鮮かであった。
 「デモに行こうとスーパーの特売に行こうと、とにかくそれらをふくめて子どもの主体的な行動なのだから、それから目をそらすようなことは親としても教師としてもすべきでないと思う。あれは子どもらしいからよい、これは子どもらしくないからいけない、というような、おとなの一方的な価値判断で子どもの行動をしはるのは間違いだ。とにかく子どものやることをじっくりと観て、子どものいいぶんをちゃんと聴こうではないか。そうしなければおとなは、いつも子どもたちに、わかっちゃねえな、と軽蔑されるだけなのだ」 担任は阿部進。
  エンデの『モモ』に、子どもたちが時間を返せとデモする場面がある。現政権に依ればこれも政治活動だろう。
 シュミットによれば「主権者とは、例外状態にかんして決定をくだす者」をいう。例外状態において投票とは何か。発足間もない新制高校生の諸活動。質量ともに教師の思惑を遙かに超えるていた。この頃の高校生はまさに「例外状態にかんして決定をくだす者」であった。彼らに模擬投票や主権者教育を語りかける者があったとすれば、高校生は何と答えただろうか。川崎市立住吉小学校の児童たちはどう反応しただろうか。

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