高畠通敏 ・・・例えば私がタイで学生たちと一緒に毎日屋台の飯を食いながら議論し見て歩く。タイの女工さんたちは毎日昼飯にデザートを食うということを発見する。そのデザートは屋台でラーメンやチャーハン食って、帰りに屋台で日本流に言えば十五円ぐらい払って、砂糖キビやパパイヤ、マンゴーの切ったやつとか、いろんな果物を新聞紙でつくったものに入れて、食べながら帰ってくる。そういう意味で日本の学生などよりはずっと裕福な暮らしをしているという体験談を、飛行機で隣り合わせに坐った日本人に話したら、彼は怒りだした。 それは商社の人だったんだが、彼の説は、あなたたち学者は無責任だからそういう暮らしをタイの人と一緒にできるという。だけど、私たちがそういうことをやったら最後、東南アジアで商社を経営していく根拠が失われるというんだ。日本人が昼飯を食うというのは、ホテルや日本レストランで一回食うのに何千円もかかる。そういう暮らしのスタイルを見せつけておかなければ、現地人を低賃金でつかいわれわれが高給を取るという説明ができない、と。
タイの女工さんたちは毎日昼飯にデザートを食う
鶴見俊輔 なるほど。それを証明するために食っているわけだ。それで早死に、胃ガンになったりして(笑)。
高畠 ところが東南アジアにくる日本人ときたら、現地で雇うタイ人より一般的にいえば無能なんだ。現地で雇う社員というのは、日本流に言えばタイの東大や慶応を出たトップエリートが外資系企業にあこがれてやってくる。女の子でも名門の出で、自家用車に運動手つきでやってくるのがいっぱいいる。英語はベラベラだし、事務能力もある。労働者を掌握しているのも彼らだ。ところが大衆化された大学を出て、欧米ではなくアジアの現地に配属された日本人社員は、英語はできない、事務能力もないで、たちまち軽蔑されてしまう。だから、かつてのイギリス人やフランス人の紘民地支配のように、能力においても支配者たることを証明できない。その意味で、日本人がアジア人としてもともとタイ人と同じように暮らしができるんだということを見せつけられたら困るというんだ。人種の違いや質的な優越という観念の上に居坐っていた欧米人はアジアのカルチャーに興味を示す余裕があったのかもしれないが、生活様式の差別の上で辛うじて支配を維持している今日の日本の外交官、ジャーナリスト、商社員たちが東南アジアの国のカルチャーに共感を持って深入りするということは普通にはありえないんですよ。 『日本人の世界地図』岩波書店p136
成程、アジアの優秀な若者が、日本に留学しないわけである。アーネスト・サトウやハーバート・ノーマン、サー・ジョージ・ベイリー・サンソムなどは外交官として日本に赴任、日本語にも熟達して日本を研究、学者として大きな功績を残している。
対するに、東南アジアに赴任する日本外交官は欧米に赴任した同僚を羨むばかり。仲間と商社員内の付き合いに終始して、現地の文化に興味を寄せて調査研究に励むことはない。その横柄軽薄な生活が、現地の若者からどう見られているのかという視座がない。外交官や商社員として最も大切な任務を自ら放棄している。だから大使館地下に温水プールやワイン貯蔵庫をつくる。ただ単に、身分において優位に立てば尊敬されていると思い込んでいる。高級レストランでの高額飲食に意義を見出す始末。
この構図は日本社会に構造的に普遍化している。労働者を低賃金・低労働条件でこき使い、経営層と株主が高収入を取るという説明のために使われるのは、プロスポーツ選手や芸能人の年収の高さである。
電車の中でも焼き鳥屋でも、薄汚れた作業着姿の男たちが「○○の年俸十億円は安いよ」などと批評して得意になる。「結果出しているからね」と相槌を打つのである。大企業の経営層も、リストラと政権との癒着で株価と言う「結果」を出しているから、格差は当然という雰囲気づくりに大きな貢献をするのである。オリンピックが、福祉や医療関係予算を大幅に抑えて強行されるわけである。
そのために、スポーツ選手と芸能人だらけのバカ騒ぎの番組が、電通の肝いりでつくられ、貧乏人はそれを有難く拝見する仕組みになっている。
格差好きは、平等や福祉は有能な者のやる気を削ぐという。そんな者たちを有能というのは間違っている、欲張り・守銭奴・金の亡者いくらでも相応しい言葉がある。ぜひやる気を失い、退場して欲しいものだ。格差がないから、やる気の出る有能もあるのだ。
追記 フィリピンに、「日本軍よりあとにきたアメリカ軍はなおさら悪かった。マッカーサーは自分の体面や私利に働かされている。偉大なる動機などというものを何も信じない。 それにもかかわらず、フィリピン人が日本軍から離れてアメリカ軍に協力したのはなぜか。それは日本軍の個人個人に比べて、アメリカ軍の個人個人のほうが相対的にいって、文化の質が良かったからだ、という。指導者とか理念とかいうものは信じない。しかし人間個人のシビリティ、文明というものは信じるという視点ですね」 『日本人の世界地図』岩波書店p201
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