「イギリスからは、・・・預言者が輩出してはいないのである。それどころか、一人のジャンヌ・ダルク、一人のサヴォナローラさえ出てはいない。聖人も同様である。ドイツの宗教改革の引き金になったのは、ルターの情熱的信仰だった。イギリスでのそれは宮廷内の陰謀だった。イギリス人には一定の水準の信仰心、自らの知性によって道徳的な人生を送ろうという決意はあるものの、せいぜいそこまでなのである。 まあ、それでもないよりはいい。おかげで、非精神的な国民だとは言われずにすむのだから。精神的な東洋対物質的な西洋という浅薄な対比は、誇張になりかねない。西洋もまた精神的なのである。 ただ、信仰を断食とか幻想、預言者的陶酔などによって表現はせず、日常生活、つまり平凡な仕事によって表現するのである。不完全な表現ではあるかもしれない。われわれもそう思う。だが、このとりとめのない覚え書きの前提は、イギリス人は不完全な人間だということである。冷たい人間だとか非精神的な人間だとか言っているのではない。ただ未発達の、不完全な人間なのである」 フォスター『イギリス国民性覚え書き』
英国産別労組連合組織研究機関の 「ベヴァリッジ報告」分析 |
勝利したとはいうものの、戦後の困難の中にあって「ゆりかごから墓場まで」を実現したのは「断食とか幻想、預言者的陶酔などに」幻惑されない冷徹な、イギリス国民性である。
まさに、「民主主義に万歳二唱」そして、民主主義と階級意識に万歳二唱半と言いたい。
翻って現今の日本である。期待値に過ぎない水脹れメダル数とcool japan的手前みそに過剰陶酔して、判断力は麻痺痙攣している。何十年経っても解消できない通勤ラッシュは、益々遠距離化する。にもかかわらず日常生活では乗りもしない「夢の新幹線」や夢のリニア新幹線に陶酔する。日本の労働者階級だけが賃金を下げられても株価に浮かれ、原発事故の処理は何一つできず汚染は拡大する。にも拘わらず数百億円・数千億円の役立つ筈のない武器を他国の数倍の値段で売りつけられて喜ぶ神経の政権。長生きすれば閣僚が「何時まで生きるんだ」と恫喝しても主権者は彼を追放できずに、階級意識は衰弱するばかり。
フォスターは1940年9月26日の『反ナチス放送講演三篇』で警告を発している。
「・・・読み、聴き、見る自由が必要です。芸術家が発信するものを、大衆が受け取ることを禁じられたら、芸術家同様大衆も抑圧されます。もっとも大衆の場合、芸術家とは違った悪影響を受けます。つまり、未成熟のままに留まるのです。未成熟こそが、ナチス・ドイツの一般大衆の顕著な特徴です。敵の写真を眺めると皆さんは、有能で、勇敢で、恐ろしく、英雄的ですらある、という印象を受けるかもしれません。しかし、大人の印象を受けますまい。彼らは聴き、読み、見ることを許された経験を持たないのです。自由を実行することを許された経験を持つ者だけが、その日の中に大人の色を持つことができるのです」
この演説の「芸術家」をマスコミや教師に置き換えて読まねばなるまい。
若者も国民も、「未成熟のままに留」められ、そして、なんでも日本が一番の番組に煽られてのぼせ上った幼稚な顔をしている。「聴き、読み、見ることを許され」た限りの報道後進国日本の有様を知ろうともしない「自由を実行することを許された経験を持」たないことに怒りも不満も持てない。
「未成熟こそが、ナチス・ドイツの一般大衆の顕著な特徴」であったことに、僕らは僕らの現在を重ねて、警句とする必要がある。 カッコいい幼稚さに彩られた部活や行事、硬い幼稚さに封じ込められ批判精神を禁じられた主権者教育。それらが目指すのは、操作しやすい大衆である。目指しているのではなく、おおよそ実現しているというべきか。
幻想や「陶酔などによって」ではなく「平凡な仕事によって表現する」生き方を獲得したいものだ。『平凡な自由』というタイトルの含意はそこにある。
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