「生徒が寝ない授業」という目標は正しいだろうか。顔色がよいのは健康の証として人の歓迎するところである。しかし酒で、化粧で、薬で無理やり血色よくして、どうだ健康だと言うのは見当違いだろう。健康を保持して、顔色を保つやり方は人それぞれ千差万別である。
つまり素晴らしい授業だから寝てしまう、ノートも忘れて聞き惚れているうちに、夢路に誘われる。静まるということも大いにある。漢方薬はひとり一人の体質や生活環境に応じて、違う配合をする。「良薬は口に苦し」とは言わない。体にあっていれば「良薬は口に旨し」であるという。たった一人だけに旨く、他のひとに苦いのは当たり前と、祖母は言いながら漢方薬を煎じていた。
どんな良薬も、飲む個人の状況が先ずモノを言う。しかも如何なる薬にもどんな名医にも限りはある。何十人もの異なる体質体調に同時に効くものがあろうはずはない。無理に甘くすれば副作用もある。待たねばならぬこともある。場合によっては諦めねばならない。王工のM君は全ての授業を二年半寝続けて、ある日の講義を耳にして突然起きた。特定のまだ見ぬ一人にしか効かない薬もあり得る、むしろそれが特効薬である。
であれは、僕らは生徒の数だけの「特効」薬を準備しなければならない。報告書の山を片付けたり、管理職試験の準備をし、部活の生徒を叱責したり、茶髪に腹を立てる暇はない。
政府は指導要領を整え、それに教員が従いさえすれば、それがそのまま万能の万人に聞く特効処方になると考えている。実現できないのは現場の教員の努力が足りず、姿勢が狂っているからだというのだ。だから「君が代」を唄わせて、まずは姿勢を叩き直せばよいと、カルト並みの信仰を持っている。
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