所有がわれわれを疲弊させる

 「もし砂漠が人類の故郷なら、もし人間の本能が過酷な砂漠で生き抜くために培われたものなら、われわれが緑なす牧場に飽きてしまうその理由を、所有がわれわれを疲弊させるその理由を、パスカルが人は快適な寝場所を牢獄と感じると言ったその理由を、容易に理解することができるだろう」 ブルース・チャトウィン
 
一日東京駅長の内田百閒は、この後「職務放棄」と
叫んで、展望車に乗ったまま熱海まで行っている。

  内田百閒は芸術院会員に推薦されて、断った。わけを聞かれ「御辞退申シタイ ナゼカ 芸術院ト云フ会ニ入ルノガイヤナノデス ナゼイヤカ 気ガ進マナイカラ ナゼ気ガススマナイカ イヤダカラ」とメモを弟子に託して芸術院に伝えている。それだけではない、文化勲章もいらないと断っている。いかにも漱石の弟子らしい。漱石は帝大教授になるのを断り、文学博士にするという文部省にも断りの書簡を書いている。
 他に芸術院会員推薦を辞退したのは、 高村光太郎、大岡昇平、武田泰淳、木下順二。   高村光太郎は2回推薦されて2回とも辞退している、辞退と言うより拒否である。
 1回目は1947年、「帝国芸術院」から会員として推薦する旨の手紙が届いた。手紙は、芸術院会員として推薦したので、同封の調書と履歴書に必要事項を記入して返送して欲しい、というものであった。光太郎は、芸術院は政治的駆け引きによって生まれた不純なものであって、とてもそんな所の内側に自分が入ることはできないと考え、辞退した。
 2回目は敗戦後の1953年、今度は「日本芸術院」から届いた。求められたのは承諾書だけだったが、辞退する旨の返事をしたところ、芸術院事務長がアトリエまで来て、辞退の理由を書面にして院長に提出して欲しいと頼んだ。これが光太郎の逆鱗に触れた。


 「私はこの事は理由書を提出して辞退の許可を得るというようなものとは違うと思うので、理由書は出すに及ばないのではないかと説明した。既に就職している者が辞職をする時などは理由書を提出して許可を得る必要があるのは当然と思うが、今度のようなただ推薦するというような場合には応か否かを返答すれば足りることで、「なぜだ」と質問されるいわれはない筈である。仮に理由書を提出したとしても、それを調査して、辞退を許さないというようなことをすれば、それは越権のことになるであろう。許すも許さないもないことだからである

 「赤トンボ」と題した詩までつくって、その不快を表明している。

 禿あたまに赤トンボがとまって / 秋の山はうるさいです
うるさいといへばわれわれにとって / 芸術院というものもうるさいです
 美術や文學にとって / いったいそれは何でせう
行政上の権利もないそんな役目を / 何を基準に仰せつけるのでせう
 名誉のためとかいふことですが / 作品以外に何がわれわれにあるでせう・・・
 作家は作ればいいでせう / 政府は作家のやれるやうにすればいいでせう
 無意味なことはうるさくて / 禿あたまの赤トンボのやうです           1949年
                            
 大岡昇平は、捕虜になったという自らの経歴から、国からの栄誉は受けられないと、辞退。大いなる皮肉であった。
 武田泰淳は、辞退したことを死ぬまで公表していない。
  木下順二は「一介のもの書きでありたい」と辞退している。

 芸術院会員になれば、国家的名誉でもあり、それ故辞退すれば右翼の脅迫もついてくる。年金もつく。

  芸能は観客なしには成り立たない。対して芸術は山の中の一軒家や絶海の孤島にただ一人で生きていても、成立する。絵を描き詩を読み小説を書き、自己や世界に対峙して完結した世界を形成しうる。芸人は自らを商品として、テレビや劇場に組織された市場に適応させ、市民的諸個人が形成する「公」との繋がりを見失うのである。芸術家にとって、公的世界との関係は、表現の自由と作品の批判精神を保つためには欠かせない。
 芸術院会員などの国家的栄誉は、芸術家にとって最もやっかいな「所有」物である。芸術家ばかりか、鑑賞する側も疲弊させる。自惚れるのも、力不足を嘆くのも、人の注目を浴びるのも疲れていやになる。だから内田百閒は「いやだからいやだと」言ったのである。
 内田百閒は変わり者として知られ、自宅玄関に張り紙をしていた。
  
  世の中に人の来るこそうるさけれ / とはいふもののお前ではなし       蜀山人   
  世の中に人の来るこそうれしけれ / とはいふもののお前ではなし       亭主

 僕がある国境で長い列を作り、ウンザリしながら入国審査を待っているとき、一匹のトンボが頭上を過ぎて行った。何の荷物も、書類もなしに。所有は人を疲弊させる、つくづくそう思った。

 所有によって疲弊するのは、我々の精神である。鈍感になるか麻痺する、さもなければ、所有を放棄するしかない。       高校生の自由な表現を封じているのは、推薦入学制度であるとP君が気づいたのは、大学生になって相当経ってからである。卒業生総代に指名され、学校や教育委員会に批判的な言葉を盛り込もうとして、担任団ともめた。もめることを覚悟して実行しなかったことを悔やんだ、妥協して少し後退したのだ。それでも教委を怒らせ、学校を慌てさせた。
 何故良い高校生であろうとしたのか、何に対しての「良い」だったのか。指定校推薦を目指してだったのではないか。もし、こんな制度がなければ、思い切った表現をすることが出来た筈だ。自分自身が入学を取り消されるだけでなく、次年度からの推薦そのものがなくなる可能性もクドいほど叩き込まれていた。
 ほんの少し有利な条件で進学するために、自由な精神を封じ込めていたのだ。クラブ活動でも、思い切ったplayや運営に踏み切って思う存分楽しめなかったのも、推薦制度を意識していたからだ。高校生としての政治活動にも、地域活動にも取り組まなかったことをP君は悔やんだ。
 名門校の指定校推薦枠を確保することは学校にとって、所有すべき「地位」であり、高校生にとっては特権である。高校も高校生も無駄に疲弊して、自らの現在と未来の権利のための闘いに躊躇している。

 その後P君は、議員にならないかと打診されたことがある。彼は自由な行動と言論のために、それを断って、不安定な収入に甘んじて彼らしい活動を諦めない。
 サルトルがノーベル賞を断ったとき「栄誉を得て、そしてその後転落していく作家と、栄誉はないが常に今一歩前進していく作家と、この2つの作家のうち、どちらが本当に栄誉に値するのでしょうか」と言ったことを僕は思い出した。もっとも世界には、日本ほどノーベル賞ごときに振り回される媒体も個人もない。

追記 百閒はカレーを食うとき、先ずコーヒーを飲んだ。これを変わった癖であると言ってしまうところに、我々が自ら自由を封じるものがある。

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