医者で作家のなだいなだが、若い頃勤めていた病院での、愉快な出来事を講演している。ただ愉快なだけではない。
「古い精神病の病棟に70人の患者さんがいました。その中に「私は天皇である」と自称していた患者さんが3人いました。中でも自分のことを「春日天皇」と称する人がとてもおもしろい人でした。 その人は、年末になると職員にボーナスをくれるんです。ボーナスといっても、紙切れに数字を書いて渡すだけなんですが。
私には「5万円」と書いた紙切れをくれました。看護師たちももらったらしく、そのボーナスの話で盛り上がりました。
するとある看護師が「私は18万円もらいました」と言うわけです。私が別の看護師に聞いたら、
「私は30万円でした」と言われました。
その彼女は看護学校を出たばかりの准看護師でした。悔しかったですね。別に何万であろうとそれで何かが買えるわけではありません。でも、医者である自分が5万で、あの子は30万と知って何だか心が落ち着きませんでした。そこで本人に聞いてみました。
「これはボーナスだそうですけど、何で私が5万で、あの子が30万なんですか?」と。すると彼は言いました。
「それは私的なボーナスであって、病院で出すボーナスとは違うんです」と。
「それは分かっています。でも何で私が5万なんですか?」と聞くと、彼は
「先生は私に何をしてくれましたか?」と言うんです。
「○○さんの治療をしているのは私だし、私が処方箋を出した薬を飲んでいるじゃないですか。それは病院で一番大事なことなんですよ」と私は説明しました。するとこう言われました。
「そんなことは分かっています。でもあの薬は要りません。飲みたくないんです。そもそもあの薬、効きますか? もし効くならとっくに退院してていいはずです」って。そう言われ、私は答えようがありませんでした。
その時、はっと思ったんです。薬は確かに効きます。しかしそれは病気を治す薬ではない、と。彼が薬を飲んで、「自分が春日天皇だというのは妄想だったんだ」と気付くわけではありません。薬を飲むとどうなるか。簡単に言えば、うるさいことを言わなくなって、おとなしくなります。暴れなくなり、よく眠るようになるんです。何の事はない、薬を出すことで管理しやすい患者さんになってもらっていただけだったんです。患者さんにとって、それはありがたいことではなかったんですね。 次に私は
「あの看護師さんは○○さんに何をしたんですか?」と聞きました。そしたらこう言われました。
「あの看護師さんは心が優しくてね。私が風邪を引いて熱を出した時に氷枕を作って持ってきてくれたんだよ。ありがたかった。そしておかゆまで作ってきてくれた。だからボーナス30万円をあげたんです」と。
看護師よりも医者のほうにたくさん給料をあげるというのは、病院側の「ものさし」です。でも春日天皇は、医者や看護師を評価する「ものさし」を、自分でしっかり持っていたんですね。
私はそのことに全然気付きませんでした。こんなに大事なことを、春日天皇は紙切れに数字を書くだけで教えてくれたんです」
なだいなだ みやざき中央新聞 2004年6月14日
この春日天皇がくれたのは偽札だろうか。この天皇は偽物だろうか。現在我々が使っている日本銀行券は、本物だろうか、皇居にいるのは本物の天皇だろうか。
お金はもともとそれ自体商品であった。金や銀のように交換価値を持っていたが、腐らず、分割出来て携帯が可能なことから、交換を担う特殊な商品、すなわち貨幣となった。だから紙幣であっても、その中に「本位貨幣である金と交換を保障する」旨が書かれていたが、今はない。従って政府には紙幣が安定して流通するよう管理する義務がある。しかし、インフレを目標として政府と中央銀行が共謀している今、我々の手元の紙幣は「春日天皇」の書付けとどこが違うのか。祖父母の誕生日に、孫たちが発行する手書きの「肩たたき券」などの方が、偽札から遠いのである。
さて、天皇である。彼は我々に、仕事も土地も金も平和も呉れない、遠い昔からそうである。奪ってゆくばかり。「春日天皇」は呉れるのである。これでは「本物」を奉らない者がいくらでも出てくる。だから「不敬罪」をつくり「君が代」を唄わせ、敬語を強制するのである。
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