政治的デマは、その政治の及ぶ範囲=規模が小さいほど、人間関係が近いほど広がらない。関係する人間の規模と拡がりか小さければ、デマが生まれれば人は直接そこに出かけ、人に会い確かめることが出来るのである。しかし人も拡がりも大きくなれば、メディアが優位になる。メディアは資本を要する。既得権や権力と結びやすい。むしろデマを領したり煽ったりしかねない。
社会構造は、集団の規模に左右される。 当blog「共同体の小ささと代替不可能な個人の尊厳」←クリック
で書いたように、「社会の大きさや複雑さの違いは、社会のあり方を、従つて人間のあり方を変える。・・・小さな共同体で、ひとは全て、取り替えることの出来ない固有名詞の複雑な全体として承認される。それが平凡という価値であると思う。平凡は平均ではない。千人程度の「奇妙な国」と呼ばれた絶滅療養所で、それが可能であったことの持つ意味は深い。何故なら「社会」(ハンセン病療養所の人たちは、療養所の外を「社会」と呼んでいた。)では、企業も自治体も学校さえも合併し規模の大きさを誇り、人は特性のない諸属性に解体・分類・適応され、従って絶えざる競争と孤立の日常に埋没してしまったからである」
コスタリカが突如常備軍撤廃に踏み切ることが出来たのは、その国家規模と無関係ではない。 1948年コスタリカの人口は、95万人弱。政治家と市民が近いから相互の信頼関係も深くなる。デマや扇動者の素顔を見破るのも容易い。
ホセ・フィゲーレスが「兵士の数ほど教師を」をスローガンに、軍事予算ゼロに。国家予算の3割を教育に費やし無償化、医療費も無料とし、福祉国家へと向うことが出来たのも、人口規模が小さくフィゲーレスと国民の間が対話可能な関係であったからである。
又小さな国家は、軍隊を通して超大国に従属してしまう。独立を維持するためにも軍隊は障害でしかない。その点でコスタリカの常備軍廃止は奇跡ではなく、紛争多発地域に於ける歴史的決意と言うべきだと思う。つまりフィゲーレスの提起は、極めて現実的なものであった。奇跡という言葉には、人間の意図的な営みを超えた神や偶然を思わせるものがある。
国家規模が小さければ、国内を巡回して政策の説明に十分な時間を掛けられると共に、地域の特性に応じる余裕も生まれる。国家規模の規模と共に、自治体の規模も重要な要素になる。
通勤時間が20分以内であれば、緊急に集まるのも容易く、巨大メディアによる世論操作に対抗できる。アジェンデの時でさえ、チリの人口は1000万人を超えていた。彼のようにチリの隅々まで歩き人々と語り悩みや悲しみを共有してもなお、クーデターの付け入る隙を与えてしまう。
チリの首都サンチャゴの人口は市街地だけで500 万人を突破している。人口規模は、国家や都市の民主主義のあり方に、根本的影響をもたらすのである。
大宮や平塚のベッドタウンから東京の大学や企業に通う若者は、神奈川にも平塚にも自らの意識をアイデンティファイ出来ない。故郷の小さな町にも、何処にも根を生やせない。 その挙げ句、ゲゼルシャフトをゲマインシャフトと見誤って、会社に根を下ろそうと空しい努力をしてリストラされ過労死しするのだ。民主主義は地域なしには始まらない。少なくとも住み労働する場所が同一でなければならない。住む立場と働く立場双方から行政を見て考えることで、初めて政策の判断が出来る。それがバラバラだから、小さな子どもを持つ母親と、年老いた老人と、学ぶ若者の要求が統一出来ず互いに調整が出来ない。その調整ための地域的人間関係も、時間もないのである。調整できない利害の対立に乗じて姿を現すのが、独裁的手法である。かつて革新都政が「一人でも反対があれば橋は架けない」と言ったことに苛立った人が出始める。特に既得権を維持し拡大しようとする者に取っては、独裁的手法は待ち望まれたのだ。反対に人権や権利という言葉や概念が疎まれてしまった。
革新首長の目覚ましい活躍が続いた自治体に、「独裁」的手法を歓迎する傾向がこうして広がった。自らが主権者として、諸要求の調整者となる事は放棄して、高飛車に役人を叱りつける首長を歓迎してしまう。首長の政策に齟齬や矛盾が含まれて前進しない時、彼らは「抵抗勢力」を発明した。教員組合や自治体職員組合が分かりやすくいじめやすい標的にされるのである。しかしその手法が、人気を呼んだのである。そこを考えねばならない。
知事や市長は間違っていると批判しても、逆に彼らの支持を広げてしまう有様。
森田草平がこう書いている。
「共産党の中野重治君は、安倍(能成)が軍事補償金の打切りに努力しないとか、供出米強制に賛成したとか云って喫みついてゐられるが、それまで彼に望むのは無理だ。私は中野君の弾劾文を見てから、急に安倍君を褒める気になったものである」 森田草平「私の知る安倍文相」哲学者安倍能成は幣原内閣で文部大臣を務め、学制改革や旧教育基本法制定に尽力、『世界』初代編集長や平和問題談話会の発起人も務めている。
国政も「独裁」手法を「抵抗勢力」打破の切り札として隠さなくなっている。メディアへの恫喝的支配を通して、それがかえって支持率を広げることもある。権力が、自信たっぷりに歴史修正発言すれば歓迎する勢力が力を増し更に支持率を高めてしまう。中野重治の安倍能成は間違いではない、しかし支持を失い、敵を増やしてしまう。
これは、選挙で多数を捕って解決できる問題ではない。なぜなら、政治は選挙のたびに入れ替わる多数者による総取りの繰り返しではないからである。 大阪の子ども議会で中学生が要求を出したところ、橋下市長は「あなたが市長になったらやってください」と「答弁」して子どもたちの怒りを刺激したことがあった。公選制首長としては乱暴な発言だが、日本の選挙制民主主義の状況を象徴していると共に日本の「子ども観」を見せつけていて興味深い。 更に続く
追記 中野重治が森田草平から批判された頃、彼は妻からも旅先で手紙を受け取っている。
「・・・問題それ自身はいうべきことはないのですが、問題の取上げ万、書かれ方に私も反感を持ちます。毒舌に満ち満ちたもので決して人を説得するものではないと思います。最近書かれるものがほとんどといっていいほどこの調子だと思います。詩も書かない、小説も発表しない中野重治であっていいはずはないと思います」妻とは女優の原泉である。胆の座った人である。特高に虐殺された小林多喜二の通夜の写真枕元に座っている若い女性である。こんな集まりにさえ特高は踏み込んで検束する可能性があった。共謀罪はこういう光景を再現しかねないのである。
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