われわれは自ら創造したものよりも、模倣したものを信頼する

 「怠惰であるためには多くの才能、十分な教養、あるいは特殊な精神構造が必要である」と言ったのはサマセット・モームである。              
 「才能や教養、あるいは特殊な精神構造を持」つ少年が怠惰なのではなく、只そのようにに見えているだけかもしれないと考えることは不当ではない。見えないところで何かに没頭していれば、教室では「くう」を見つめるだろう。登校もしないかもしれない。

 Eric Hoffer 「移民の子、ニューヨークブロンクス生まれ。7歳で母親と死別し視力を失う、15歳で視力を回復する。以来再失明の恐怖から、一日に10時間から12時間本を読んだ。だから正規の学校教育は一切受けていない。18歳の頃、唯一の肉親である父親が逝去し、天涯孤独の身となった。それを機にロサンゼルスの貧民窟で生活を始める。
 28歳、自殺を図る。彼はこの頃、自分が社会の中では「ミス・フィット」(不適格者)という階層に属することを知る。ミス・フィットは白人とか黒人とか、富裕者とか賃金労働者とは別に、ひとつの階層をつくり、それがアメリカとあると認識したのだ。ここで、季節労働者として農園を渡り歩いた。丁度スタインベックが小説『怒りの葡萄』で描いた時代である。映画『怒りの葡萄』で主人公一家が落ち着いたキャンプには、様々な施設や仕組みが作られたことが描写されている。彼も労働の合間に図書館へ通い、大学レベルの物理学と数学をマスターする。農園の生活を通して興味は植物学へと向き、農園をやめて植物学の勉強に没頭。

 ある日、勤務先の食堂で加州大学柑橘類研究所所長スティルトン教授と出会い、給仕の合間に教授が頭を悩ませていたドイツ語の植物学文献を翻訳。しばらく柑橘類研究所研究員として働いたホッファーは、当時カリフォルニア州で流行っていたレモンの白化現象の原因を突き止め正研究員のポストが与えられるが、それを断り放浪生活へ戻る。

 34歳の1936年、哲学者・著述家としての転機が訪れる。ヒトラー台頭の冬、雪山で砂金堀、その暇つぶしに古本屋で購入したモンテーニュの『エセー』を読み、「モンテーニュは俺のことを書いている!」と思い、思索や「書く」ことを意識し始めた。『エセー』をその冬、三度読み暗記した。軍隊を志願したが、ヘルニアで失格。
 1941年サンフランシスコで沖仲仕になる、『波止場日記』はそのときの著作。きっかけをつくったのは「コモン・グラウンド」詩の女性編集長であった。「たった一人、彼女が東海岸で自分の原稿を待っているのだと思えることが、自分の思索を持続させた」と書いている。こうして世に出た著書は、注目されたわけではない。1964年加州大学バークレー校で、一週間一度の学生たちとの放談講義を政治学研究教授として担当する。だが65歳になるまで沖仲仕の仕事はやめなかった。
 ホッファーが圧倒的な人気をもったのは、テレビの影響である。1967年、エリック・セヴァリードとの対談がCBSで放映されると、爆発的反響を呼んだ。それから一年に一度、彼はテレビ対談に登場。ホッファー自身はつねに“陰の存在”であることを望んだが、社会や世間のほうがホッファーのような“例外者”としての「ミス・フィット」を必要とした。
 ホッファー・フィーバーが起きても、彼はまったく変わらなかった。そして、人には世界のどこかで彼を待っているところが、少なくとも一カ所はあるものなのだということを感んじるようになる。
 バークレー校は週に一度、1972年まで続けた。1970年代、ベトナム反戦やヒッピー、マリファナと学生運動の時代に、知的カリスマとして知られるようになる。だが、ホッファー自身は彼らを甘やかされた子供と捉えていた。1983年「大統領自由勲章」
  
 彼の残した言葉に「われわれは自ら創造したものよりも、模倣したものを信頼する」がある。学校で学んだことのある人間の欠陥を言い当てている。
 西洋式の学問で武装したつもりの文明開化日本が、写楽や北斎の価値には無関心で、欧州で爆発的ブームがあって漸く気づいた頃には、その作品の多くが散逸していた。
   豊富な治療実績を持つ日本伝統の漢方医学を捨て、模倣した西洋医学に依存したため、癩病では世界に恥ずべき絶滅隔離体制を産み、脚気では陸軍で万に及ぶ死者と数十万の病兵を出すという不始末に至ったのである。責任の第一は、陸軍軍医総監・医学博士・従二位勲一等森鴎外にある。

追記 彼は65歳になるまで沖仲仕の仕事をやめなかった。ホッファーによると、沖仲仕ほど自由と運動と閑暇と収入が適度に調和した仕事はなかったという。
 「真面目な労働だけが、立派な市民をつくるんだ」というメキシコ革命のビリャ司令官の決意を思わせる。彼も又、正規の教育を受けてはいない農民ゲリラ兵士であった。
 

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