「「一人ひとりになると、教師の言い分をよく聞き理解する生徒が、集団になったとたん、ものわかりが悪くなる。何を考えているのか指導がとおらなくなる」
若い教師たちの悩みである。そうなんだよと相槌をうちたくなるが、ちょっと待てよ。同じことを生徒も言っているのだ。
「先生たちもさ、一人ひとりはいい人だよね、いろいろな話をしてくれ、僕たちの気持ちも開いてくれたりする。でもさ、学校の教員という立場になると、もう変なんだ。わけのわからないことを無理強いしてさ、何だか顔までちがって、いやだよ」
互いに一人ひとりはいい人間なのにと思っている。ところが集団になったり結束したりすると、理解に苦しむ行動や思考をする。国と国の関係も似たところがないだろうか。 個人的につき合えば、素朴で人情味あふれる日本人が、集団化し狂信的民族主義者として鬼畜米英と絶叫しながらあらわれる時、外国人にとつては、ただ恐怖のまとになるのみ。
校内暴力を無神経にも戦争にたとえた人々がいた。「戦争」のなかで、互いに理解しあうことはますます放棄された。いつの間にか生徒たちは、固い壁の前で立ちすくみ諦め始める。
そしてパクス○○とでも呼びたくなるような〝安定″した関係が出来あがった。実際、近頃の生徒は静かすぎる、反応がないと嘆く教師がすくなくない。押さえておいてそう言うのだ。 学校で互いに信頼し合い話し合えるまでには時間がかかる。ところがやっと一人ひとりが見えかけた頃クラス替えだ。たいてい管理の都合でおこなわれる。
月刊『教育』「子どもを見る目 」これを書いたのは1980年代初めだった。
Mさんの短信。「先日、前に座っている生徒と話していたら、「先生って大学出ているんですよね?」と言われました。何を言われているのかわからなくて、・・・話してみたら、「人と違うことを言うから」プラスの言葉だったのです。褒め言葉? 生徒に救われるなぁ」は、相互理解の困難さを生徒の側から教師集団に突きつけていたのだと思う。出来るものなら大人を教師を信じたいという高校生の祈りに似た姿勢がある。
しかし、大学を出る、大人になる、教師集団の一員になることは「業界人」と成り果てることでしかない。真実や正義が己の業界の特権の前では無力であることを、教師が大人が若者の眼前で証明する。少なくとも高校生にはそう見える。80年代生徒達は、教師をまだ対話可能な存在だと素朴に考えていた。「話せば判る」と。
「私は中学の時、スケバン、ツツパリと呼ばれた。・・・二年の遠足でおかしは禁止だったけれど私は持って行った。他にも学年の半数は持って行った。
ある子がそれを見つかって職員室に呼ばれたと聞いて、私は自分も持って来たのだから、その子だけおこられるのは見てられなかった。おかし持ってった人を集めた。30人以上集まって、職員室に行って私が説明した。みんなおこられた。
そして私のグループだけ残され、スケバン、ツツパリとよばれながら、またおこられた。先生達は、私が皆におかし持って来いと言ったと思ってた・・・」 月刊『教育』
教師はこうして対話の機会を自ら壊す。高校で僕はこの生徒の担任になったが、スケバン、ツツパリらしさは何処にもなかった。「スケバン・ツツパリ」行動は、教師の生徒に対する眼差しや態度が裏返ったものに過ぎないと僕は考えてきた。今も学校現象が紙面を賑わすたびに、そうだとますます思う。我々が、「耳を二つ口は一つ」だけ持つことの哲学的意味を心得てさえいれば、教室の否定的現象は、霧散する。
それでも一年生は、果敢に管理職や生徒部に押し寄せ、「前例がない」を口癖にする学校組織を変えようとした。変えられかもしれないと思うのだ。それが少年から青年への成長の証である。しかし、三年生になると次のような発言が見られるようになる。
「私は社会に不満がないのではないのです。だけど、もうどうしようもない気がします。どんなに反抗したって何も変わらないような気がします。
しばられるのはイヤです。でもそれをすれば、社会のはみ出し者になって、生きてゆけなくなる。反抗したくでも背中をナイフでつっつかれているみたいで何もできないのです。
小さい頃は想像力ゆたかでした。でもこの頃は現実的になっちやって、社会になれちやって悲しい。やりたいこともなくなりました。そうやって生きてゆくのはイヤだという心だけが残りました」 月刊『教育』
この三年生も二年生の時は、世間に妥協し始める大学生の姉に激しく反発する気持ちを綴っていたのだ。年齢学歴を重ねる毎に知的多様性を増すのではない苦しみ。引きずり込まれるように画一化し劣化するする現実を、高校生は学校で家庭で見ることになる。
「学生」「社会人」という珍妙な区切りがそれを裏付けもする。S高で一年生が「ひねくれたい」と言った言葉には、自分らしさを縮減する事でしか生きられない悲しみが込められていた。
最近の時代劇には「浪人」があまり登場しない。十手持ちが、お上の権威に恐れ入って謙り下る捕物帖が大流行である。『雨上がる』が曲がり角だったのだろうか。眠狂四郎や鞍馬天狗にも椿三十郎にも、仕官への未練など一切ない。
自分らしさ、人らしさを自ら削減した者に、他者を理解する心性は残っていない。
大西巨人は「文学とは反逆精神にほかならず」と言い「作家は、それを書くことによって痛手を負わねばならぬ」とも書いている。
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