1980年代の終わり頃のことである。傘がないとき雨に降られると、上着をたたみ鞄に押し込んで、びしょ濡れになって帰宅する生徒がいた。A君である。彼は左利き、小学校の担任は左利き矯正に異常に"熱心"だった。A君の担任によれば、今の日本は全てが右利き前提で文字さえ右手で書くように出来ている。受験には不利だから「直して"あげ"なければならない」そう思い込み、他にも2人いた左利きと共に「指導」された。A君たちが左手を使うと、級友たちに注意して"あげる"よう「指導」した。A君の左利きは"直らない"、A君もご両親も苦しんだ。人間は他人の苦しみは、いくらでも我慢できるのだ。なかなか右手を使えないA君に級友たちの意識が集中して注意される、担任にも報告がゆく。担任は叱る。叱ってなおるものではない。
僕は、小1の初め筆圧が高すぎて、書き方帳は破れ鉛筆の芯は削っても削っても折れ続けた。おかげで小刀の扱いは忽ち上達したほどであった。担任の松本先生は笑って、土曜日の放課後何度か補習をしてくれた。←クリック
おかげでますます授業が好きになった。A君の担任のようなやり方だったら、僕はあっさり登校を止めていたと思う。 A君は右手を使えない自分を責めるようになった。血が出るまで手を掻いたり、頭を壁にぶつけたり、自傷行為が始まる。ご両親の戸惑いが目に浮かぶ。ご両親は左利きを肯定して励まし続けた。が、担任は頑固だった。
中学生になり、左利き矯正強要はなくなった。卓球部に入り、左手を使うととても上手い。A君は、左手を使うと相手に悪いと、あまり上手くない右手を使い続けた。自傷行為は時々あったが、少なくなった。校生になって、僕のクラスになった。決して付和雷同する事はなく、いつも文庫本の小説を読んでいた。周りの生徒が心配して、僕に相談に来るほど寡黙であった。
B君も無口だ。中学でいじめに巻き込まれて登校拒否気味になった。いじめられる本人ではなかったが、周辺にいた。いじめられた当人のご両親の訴えに、担任は正面から向き合う事はせず、対立してしまった。この対立的関係はB君にも及び、B君もB君のご両親も悩み自殺まで考えたと言う。
高校に入って、B君は忘れ物がひどくなった。毎日のようにお母さんはB君からの電話で学校に走った。高校にも適応できず又登校拒否するのではないか。お母さんは心配した。
しかしいつの間にか忘れ物は全く無くなった。僕はB君が忘れ物していることにすら、全く気がつかなかった。B君のお母さんからこの事と次第を打ち明けられたとき、彼は既に良き友人を得ていた。相変わらず無口で、笑う時も控えめなのだ。
どんな教師が子どもの担任になるかは、親にとって気が気ではない。まさに命に関わる重大事である。
5月連休明けの遠足でA君とB君は突然脱皮した。行き帰りはバスだったのだが、生徒たちは意外なことを言う。バスガイドのお喋りや歌が鬱陶しくて煩い、というのだ。生徒たちは知恵を絞った。目的地は甲府郊外、クラスに甲府生まれの明るい少年がいて彼にガイドをさせたのである。「あれがおじいちゃんの会社です」「あっ、近所のおばさんだ。○○さーん」などと言いながら名所を解説して笑わせた。帰りは、ガイドがマイクを握り失地回復とばかりに張り切ったが、生徒たちは遊び疲れて「お姉さん、静かに寝かせてよ」と言う。「元気ないわね」と不満顔であった。一時間ぐらい寝た頃、突然T君が飛び上がるように座席を駆け巡りながら歌い始めた。一気に盛り上がり皆が手拍子する。T君はB君にマイクを投げB君も跳ねながら唄った。B君はA君にマイクを投げた。A君は「いくよ」と言うと同時に車内を舞うようにして唄った。学校に着いても皆の興奮は収まらず、しばらくバスは揺れ続けていた。
遠足の帰路で3人はヒーローであった。だが学校の日常が始まると、3人は元の穏やかな凡人に戻った。もう誰も彼らを心配しないで安心している、少し笑顔が増えたかも知れない。僕はこんな人間関係が気に入っている。
「願い事は心の深いところで願っていれば、いつか実現する。最も相応しい時期を選んで向こうからやってくる」多くの思想家が同じ趣旨の事を言っている。僕は「忘れた頃、思いがけずやってくる」ような気がしている。 もっとも「心の深いところで願う」と「忘れた頃」は同じ事を言っているのだが、願う行為はどこかで押しつけがましさを産んでしまう。遠足の帰路で3人が突然みんなを興奮させた出来事も、僕が彼らの「無口で孤立」した現象を忘れて「対策をとらなかった」から湧き上がった事だと思えるのだ。
追記 A君の場合もB君の場合も、憲法に関わる人権問題として正面から申し入れる事が大切だと思う。それが憲法を豊かにする事だし、行政に憲法を尊重させることになる。
誰が担任になっても安心できる仕組みは、憲法に内包されている。しかし使わなければ錆び付いてしまう。いま錆び付いている。
校長や教委までもが、無理解であるなら、指導の停止を求めて仮処分を申請する事も考えるべきである。
0 件のコメント:
コメントを投稿