僕はOkxfordの漕艇methodが気に入っている。通常、漕ぎ手と舵手でクルーと呼ばるチームを構成する。頭の薄くなりかけた大学院生から新入生までがオールを合わせる。舵手は体重が軽い方が有利だから、女性が務めることもある。
勉学を優先する。日本の体育会お得意の合宿所で共同生活して毎日練習するわけにはゆかない。いつも一緒だから仲良くなれるなどと考えない。普段の別々であることを尊重しているからこそ、チームワークが保たれるのだという。これはとても大切な事だ。日本では「同じ釜の飯」を団結の証にするが、ながく続けば、互いに粗が見えて諍いも起こる。それを避けるために互いに我慢を重ね、精神的健康を損ねてしまう。集団の規律のために、互いの秘密を共有するのが我が国の集団主義の特徴であり、それが強さの秘訣だと錯覚している。異質な部分を次から次に排除してしまう事になる。
対してOkxford methodの場合、互いに距離を保ち私的領域には干渉せず尊重する。ナチスに徹底的に抵抗した英国的自由主義の基礎がここにもある。
普段の練習は、自分の身体の特性にや弱点を考えて個人が行い、週に一度土曜の午後にはオールを合わせる事に集中する。体は一人ひとり、各部分の長さも筋肉も重さも異なっている。異なった体が同じ動きをすれば、オールの動きは揃わない。オールの動きを合わせるには、一人ひとりの動きは微妙に違っている必要がある。
日本の漕艇部の殆どは、オールを合わせるために、生活の全てを統制していしまう。これは漕艇部に限らないし、スポーツ組織に限らない。入社前に合宿し愛社精神を叩き込んで入社式をやり、伊勢神宮で集団禊ぎをしなければ、安心できないのだ。
指導する人間の最も重要な任務は、できる限り早くクルーから見えないところに消える事である。指導者を中心にしたり、当てにしたりは最も避けなければならない。
僕が漕艇で一番気に入った習慣は、動作を終えるごとに「ありがとう」とコックス(舵手)が皆に言うことであった。この「ありがとう」が自然に出るようらなると、クルー全体がなんとなく紳士らしく見えて、他のクラブと一線を画すのである。従って、準備から終了までも、学年関係なく平等に作業する。
漕艇で最も権威ある試合はHenley Royal Regattaで、Wimbledon、Royal Ascot Race Meeting、The Open Championship と並ぶ初夏の風物詩である。勿体ぶった主催者の挨拶や宣誓などは一切なく、第一レーススタートの合図が始まりである。放送もない。賞杯を受け取るのも、キャプテンが全く区別のない観客席に上がり、お辞儀や礼も表彰の言葉もなしに片手で受け取り握手をして終わり。Royalとはいうものの、スポーツの前では徹底して平等なのだ。
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