体罰教師に抗議文を突きつけボイコットを 組織するのはたいてい女子生徒だった |
「どうしたんだ、何があったんだ」と聞くと、ある生徒がおずおずと上目使いで
「だって、先生怒ってる」と言う。
「なぜそんなことが分かるんだ」
「いつもと足音が違うから分かるよ」とあちこちから返事があって生徒たちは笑い出し、僕も釣られて笑ってしまった。
「そうか、君たちには何も隠せないな。実は怒りながら階段を上がっていたんだ。君たち、昨日友達が体罰を受けているのを黙って見てたんだってな。・・・情けないぞ」教室のあちこちから反論が上がる。
「だってさ、先生知ってる? あいつムキムキなんだよ。なー」「竹刀持ってたんだよ」
「馬鹿野郎、いくら強ても、相手は一人お前たちは40人近いじゃないか。先ずやめろと叫べ、それでもだめなら一斉に飛びかかれ」僕の口調もいつの間にか乱暴になった。
「そんなこと言ったって、怖いよ」
「おいM、お前特攻隊かっこいいと言ってたな。こんなことでビビっていて、敵艦に突っ込んで死ねるのか。意気地が無いぞ」
「・・・はい、・・・俺意気地なしです」
「戦争の時は、それでいいんだ。しばらく自習してろ。俺が文句言ってくる」そう言って、僕は職員室に向かい、抗議して二度と体罰をしないことを約束させた。
教室に戻り、暴力の様々な形態について話した。冤罪や戦争について、職場での労働法上の理不尽について、少数者であるが故に受ける社会的暴力について喋った。
そしてもし体罰を受けたら先ず「やめろ」と抗議すること、必ず校医にところで診断書をとることを教えた。訴えれば必ず勝てると。そうして、大多数は示談交渉になり、相場というものがあることも知らせた。
しかし男子生徒たちは、どの学校でも余り体罰に反撃しなかった。しても捨て台詞程度。謝罪を要求したり、抗議文を突きつけたり、ボイコットしたのは女子生徒だけの場合か、さもなければ女子生徒主導であった。
なんてだらしない男子だと思ったが、今考えると彼らは体罰教師を徹底的に軽蔑していたのだと思う。また、学校という組織をみる眼も冷めていた。三年でいなくなる生徒より、長い付き合いの職員集団を教師も優先してしまう。抗議して分かる相手ではないことを、身にしみて中学性の時から繰り返し学んで来たのだ。しかし、女子生徒の多くは体罰を慣れるほど経験していない。それは体育の授業のが男女別である事による。強面の男先生も、女子に囲まれれば少しは柔らかくなる、それに女性教師が受け持つことが多かった。
少年期を脱して批判精神が芽生えれば、目の前の体罰に新鮮な怒りが一人ひとりに湧く。集団に埋没した仲間意識ではなく、高校生らしく集団から自立しつつある個人同士の連帯がそうさせる。前者が判断を集団に委ねるのに対して、後者では自立した一人ひとりが判断するのである。
体罰に立ち向かった女子生徒の大部分がクラブ活動などの集団活動とは無縁な生活をしていた事も、自立した判断をする日常に大いに関与している。当時僕は、この事実を「不思議」なことだと考えていた。集団に対する思い込みが、僕の中に抜きがたく残っていたのだ。
体罰やいじめは、それを放置する集団の問題である。集団は、それ自体の安定や利益を優先してしまう。一つの「部活」に三年間も時には六年間、毎日朝から晩までのめり込むことの危うさはここにある。心地よい安楽への隷従願望が、潜んでいるのだ。
同じことは教師にも言える。そんな軛から自由になるためには、理解し共に行動する仲間の存在もいいが、何より一人で孤独に耐える決意が必要だと思う。集団内で「浮いて」も平然と動じない覚悟なしに、暴走する集団の熱狂から自由になることは出来ない。
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