OlympicとYakuza 2

金メダルや銀メダルはなく、競技の勝利者には、
ゼウスの神木オリーブの枝で編まれた冠が与えられた
  Olympicは興行である。人が金を落として成り立つ。人と金が集まるところに犯罪組織も集まる。日大理事長=JOC副会長とYakuzaの繋がりは不思議ではない。人を集め興奮させるためには、勝利しなければならない。企業やマスメディアが、巨額のスポンサー料や放映権料を払う気にさせる「見せるスポーツ」「見られるスポーツ」であるために、人気選手の派手な見せ場と絶えざる記録更新がに一喜一憂する。
 勝利や記録更新に浮き足立ち、使節や用具の改良から人体の改造までが産業化される。 だが、例えば新記録を目的とした反発力の高い陸上競技走路は、筋肉や関節を痛め負傷者も出す。長野五輪では、氷の摩擦係数を小さくするために人工的に作った氷筍を輪切りにして並べたスケートリンクがつくられ、スピードスケートではかかとの上がるスケートシューズが採用された。シドニー五輪では、抵抗を40%も減らせるという新素材水着や、空気抵抗を6%減らしたという陸上競技用ウエアまで登場した。こうなれば別の競技であり、記録を連続的に比較するのは詐欺と言うべきである。
 ドーピングは体も心も破壊する。ホルモンは女性の「男性化」、不妊症、腎臓病、各種のガンなど、強い副作用があるにも関わらずあとを絶てない。突然死した女子陸上競技のジョイナーには、常にドーピングの噂や証言がつきまとっていた。観客もplayerも興行主も中毒しているのだ。ドーピング自体が、不正であるばかりか人体実験であり犯罪である。軍事転用は既に実現しているとの報道もある。

 勝利と新記録に中毒した国家と企業にとっても、勝利によって社会的地位と高額の報奨金や企業とのスポンサー契約を手に入れたい選手自身にとっても、ドーピングは巧妙を極める。シドニー五輪直前、国際陸連はスター選手の処分を撤回し出場停止期間を短縮したりして出場可能にしてしまった。またIOCは、処分期間中であっても罰金を払えば出場できる道を開いた。厳しくすれば、「興行」が成り立たないからである。
 メンタルトレーニングも精神へのドーピングであり、ますます念入りに「科学的」に行われるようになった。あらゆる潜在能力を発揮させるために、playerは「マインドコントロール」下に置かれるのである。
  アメリカではスター選手の多くが、トレーニングからスポンサーとの交渉までシステム化した企業としてのスポーツクラブに所属している。勝たなければ、経営も生活も成り立たない。
 
 文科省は「スポーツ振興基本計画(平成13年度~23年度)」を作っている。オリンピックの国別メダル獲得率の目標を3・5%と数値目標化し、「国策」としてスポーツにおける幼少期からの差別・選別を図っている。そのために作られたのがスポーツ振興籤である。博打と興行の相性の良さは江戸時代からの伝統であった。
  その一方では、「生涯スポーツ社会の実現のため、できるかぎり早期に、成人の週1回以上のスポーツ実施率が50パーセントと なることを目指す」とも言わざるを得ない。そうでなければ、予算は組めない。実体はどうか。1986年から2011年の各スポーツ実施率の推移を見るとクリック
 野球     16.9% → 6.2%
   ソフトホール 16.6%   →   5.5%
   バレーボール 12.4      →   2.9
   サッカー           3.6      →   4.5
   水泳     26.1      →   8.7
   バトミントン 11.4      →   4.0

  いずれも目標からは、絶望的に遠く下がる一方である。
 高額所得のStarplayer演じるスポーツショーが隆盛になればなるほど、受け身の「観客」=貧しい労働者は、スポーツ活動に主体的に参加する権利を奪われることはハッキリしている。
 サービス残業強制が時間を奪うだけではない。公共スポーツ施設の使用料は値上げされ、職員はリストラ。挙げ句の果てに公共スポーツ施設そのものが、閉鎖され民営化される。2002年ワールドカップ横浜会場建設に巨費を投じた神奈川県では、そのあおりで一般の公共スポーツ施設の使用料を大幅に値上げした。

 オリンピックは、税金に集るゼネコン政治でもある。長野冬季五輪では、競技施設・運営施設、関連道路や長野新幹線、付随する高速道路の建設費用などに、兆単位の税金が注ぎ込まれた。招致当時JOC会長コクド社長堤義明は、87年に成立のリゾート法で、オリンピックとプリンスホテル・リゾート開発を絡ませ乱開発、国立公園にも手を付ける横暴ぶりを見せた。プリンスホテルの前まで五輪道路を引き、西武系リゾートを五輪道路や新幹線でつないだのである。
 ツケは市民に回る。76年モントリオール五輪の出費は予定の三倍を超え、開催から20年後の96年になってもケベック州は4億2800万カナダドルの借金を抱えた。 

 長野県の自然と財政を破壊した長野冬季オリンピック後、田中康夫知事が設置した『長野県』調査委員会は『長野冬季オリンピック招致委員会会計帳簿処分問題』についての報告書を出している。それによれば約9000万円の使途不明金が存在し、IOCが規定した制限額の24倍ものお土産をIOC委員に手渡し、それ以外の接待関連費用も判明しているだけで総額5億1221万円に上る事を明らかにした。総額28億3400万円もの長野オリンピック招致活動費の中には、同じく判明分だけでも2億5983万円の県負担金が税金から投入された。長野県からの交付金に至っては、9億2000万円」
 原発事故汚染続く2020年東京五輪は、更に膨大な破壊と財政破綻が確実に待ち受けている。

 
IOCもJOCもその運営に市民による統制は効かない。しかし市民個人の財布にも、都市や国家の予算にも「おもてなし」を無心して手を突っ込んでくる。
 オリンピックは、個人の寄付のみに依拠して、Player自身と賛同者の手弁当で建設運営すべきだと思う。国家や都市の援助は厳禁し、IOCも各国内委員会もAmateur Player自身の自治でなければならない。種目は極限まで減らし、競技走路などは土を固めただけのものとし、裸足で競技する。どのPlayerも専任のマッサージ師や医者などを伴ってはいけない、これこそ富める者のみが享受出来る金銭的「ドーピング」ではないか。メダルはやめて木の枝の冠に。その質素さが、スポーツマンへの尊敬を取り戻せる。

追記 この20年間のスポーツ実施率推移は低下するばかり。学校の「部活」繁盛が何故、スポーツ実施率向上に結びつかないのか。労働条件悪化は疑えないが、そればかりではない。「部活」がスポーツ嫌いを育てている可能性がある。日大アメフト部の件の選手が「アメフトが嫌いになった」のと同じ構造が中高部活にも存在する。勝利至上主義を「スポーツマンシップ」に置き換える為の民主化が求められる。

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