「市場理論で人間関係は解けない」 |
新教科「公共」指導要領を批判するのに、教育や社会科学以外の論客を引用するのは、所詮教養というものは、「事柄をずらす」ところからしか始まらないからである。教育も経済も、競争と効率から抜け出そうとしない。
中沢新一 ・・・現在のわれわれの世界は、ITとマーケットでもって決定されています。政治家の決定などは、二次的・三次的な茶番みたいなものです。実際はマーケット上での覇権をどう調整していくかということをもとに動いていて、政治家の言語はその上で一種の茶番のようにして展開しています。そしてその根幹にあるマーケット原理でこの地球をすべて運営していこうとしているのです。それを円滑に動かそうとしているのがAIという技術です。そういう地球に対して、ハイエク的な市場世界に対して、今西さんはノーと言っているわけです。
山極寿一 よくわかります。今西さんの考えの根幹になるのは、実体あるものはすべて界面を持っている、つまり個体性を持っている、ということです。そして、界面のないものは言語がつくり出した幻想だと。そうなると、コミュニティもマーケットもすべて幻想です。
かたや、生物にしろ石にしろ、実体のあるものはすべて界面を介して関係性が生じる。人間あるいは生物の社会も、そういう個体性を介して成り立っているわけであって、それを計算できるわけがないということになりますね。それはおそらくレンマとも通じると思います。
ハイエク的経済の思想は、個の決定権が外から見える、あるいは操作できるというものです。マーケットとはそういう話ですよね。
だからこそAIが登場できるわけです。AIは自律的なものではなく、外から操作可能なものですから。人間個体あるいは生物個体それぞれの、ある政治的な決定の瞬間を見れば、票として数えることができる。あるいは、ゼロサムとして、分布として、考えることができる。そういうふうに落とし込んでいかないと、計算できないからです。あるいは、分布を政治空間のなかに固定してしまって、それが別の空間にどう移り変わっていくかという微分積分の話をしてもよいのですが、とにかくそういうふうに数式化しないと、経済として予測ができない。
しかし、個がゼロサムでもなければ独立しているものでもなく、なおかつ価値を中心に捉えることもできないものだとすればどうでしょう。今の幸福論によれば、お金を持っているから幸せというわけではなく、あるいは物質的なものたちに囲まれているから裕福と感じるわけではなく、人間自身がどういう条件が幸福であると考えるかはそれぞれで違っています。いわば、いろいろなコミュニケーションを経て人間が決定した結果は揺れ動いているのです。ですから、マーケット理論では人間関係は解けないのです。AIでも解けない。そこに思いを馳せないと、人間の社会がどうなっていくかとか、個人個人がどういうふうになっていくかということは予想できないのではないでしょうか。
今よく言われているのは、かつて人間は社会に生きていた、今は経済に生きている、ということですが、それは経済が社会を豊かにする、経済こそが社会の根底に座っていて、社会は経済によってよくも悪くもなる、と思っているからです。しかし、そもそもは逆だったはずです。経済は社会を豊かにする方法の一つにすぎなかったはずなのに、経済指標を目標に掲げ、「右肩上がりの経済」とどこの国でも言っている。そして政治家はみんな経済を気にする。それはまさに資本主義と現代科学が手を取りあった結果です。そういう社会の見方は根本から改めないといけない。
もう限界に来ているのですから。
「政治家の決定などは、二次的・三次的な茶番」であれば、新教科「公共」の論旨は五番煎じの後の出がらしにもならない。
文部科学省による「高等学校学習指導要領解説 公民編」2018 を見て驚くのは、その量だ。pdfファイルにして173ページもあることだけだ。
その中で「労働基本権」はたった一カ所、次のように触れられるのみ。
「このような現状を踏まえて、それぞれの事情に応じた多様な働き方・生き方を選択できる社会の在り方について、労働保護立法の策定や労働組合の果たす役割、労使協調などにより雇用の安定を確保するという考え方と、規制緩和による就業形態の更なる多様化、成果主義に基づく賃金体系、労使の新しい関係などにより労働力を効率的に活用するという考え方とを対照させ、年齢で区分せずに能力や意思があれば働き続けられる雇用環境の整備、さらに仕事と生活の調和の観点などから探究できるようにする。
その際、例えば、勤労の権利と義務、労働基本権の保障、労働組合の役割などを基に、正規・非正規雇用の不合理な処遇の差や長時間労働などの問題、派遣労働者やパートタイマーなど非正規労働者、女性や若年者、高齢者、障害者などの雇用・労働問題、失業問題、外国人労働者問題など具体的な事例を取り上げて自分の考えを説明、論述できるようにすることが考えられる」
「ILO」「カルテル」「談合」「不当労働行為」に至っては全く言及がない。このことだけでも「公民」「公共」の正体は知れる。
経済分野について解説は次のように書いている。
職業選択、雇用と労働問題、財政及び租税の役割、少子高齢社会における社会保障の充実・安定化、市場経済の機能と限界、金融の働き、経済のグローバル化と相互依存関係の深まりなどに関わる現実社会の事柄や課題を基に、公正かつ自由な経済活動を行うことを通して資源の効率的な配分が図られること、市場経済システムを機能させたり国民福祉の向上に寄与したりする役割を政府などが担っていること及びより活発な経済活動と個人の尊重とを共に成り立たせることが必要であることについて理解すること。
「職業選択」については、産業構造の変化やその中での起業についての理解を深めることができるようにすること。「雇用と労働問題」については、仕事と生活の調和という観点から労働保護立法についても扱うこと。「財政及び租税の役割、少子高齢社会における社会保障の充実・安定化」については関連させて取り扱い、国際比較の観点から、我が国の財政の現状や少子高齢社会など、現代社会の特色を踏まえて財政の持続可能性と関連付けて扱うこと。「金融の働き」については、金融とは経済主体間の資金の融通であることの理解を基に、金融を通した経済活動の活性化についても触れること。「経済のグローバル化と相互依存関係の深まり」については、文化や宗教の多様性についても触れ、自他の文化などを尊重する相互理解と寛容の態度を養うことができるよう留意して指導すること。
公正で自由な経済活動を通して市場が効率的な資源配分を実現できるのはなぜか、市場経済において政府はどのような経済的役割を果たしているか、活発な経済活動と個人の尊重をともに成り立たせるにはどうしたらよいかなどの問いを設け、他者と協働して主題を追究したり解決したりする活動を通して、「公正かつ自由な経済活動を行うことを通して資源の効率的な配分が図られること、市場経済システムを機能させたり国民福祉の向上に寄与したりする役割を政府などが担っていること及びより活発な経済活動と個人の尊重とを共に成り立たせることが必要であることについて理解」できるようにすることを主なねらいとしている
職業選択については、現代社会の特質や社会生活の変化との関わりの中で職業生活を捉え、望ましい勤労観・職業観や勤労を尊ぶ精神を身に付けるとともに、今後新たな発想や構想に基づいて財やサービスを創造することの必要性が一層生じることが予想される中で、自己の個性を発揮しながら新たな価値を創造しようとする精神を大切にし、自らの幸福の実現と人生の充実という観点から、職業選択の意義について理解できるようにする。
その際、「産業構造の変化やその中での起業についての理解を深めることができるようにすること」(内容の取扱い)が必要であり、グローバル化や人工知能の進化などの社会の急速な変化が職業選択に及ぼす影響を理解できるようにするとともに、新たな発想に基づいて財やサービスを創造する必要が予想される中で、社会に必要な起業によって、革新的な技術などが市場に持ち込まれ経済成長が促進されるとともに、新たな雇用を創出するなど経済的に大きな役割を果たしている企業もあることを理解できるようにすることが考えられる。
なお、実際に職業を選択する前には、特別活動などにおいてインターンシップに参加することなどによって働くことの意義について「具体的な体験を伴う学習」を通して考察することが考えられる。その際、「この科目においては、教科目標の実現を見通した上で、キャリア教育の充実の観点から、特別活動などと連携し、自立した主体として社会に参画する力を育む中核的機能を担うことが求められることに留意すること」が必要であり、企業についての情報を十分に集めるなどの事前の準備が大切であること、また、インターンシップへの参加によってどのように職業観が変わったかなどについて振り返る活動が必要であることに留意する必要がある。
職業選択...に関わる具体的な主題とは、例えば、人工知能の進化によって、労働市場にはどのような影響があるか、技術革新や産業構造の変化によって、働き手に求められる能力はどのように変わるか、といった、具体的な問いを設け主題を追究したり解決したりするための題材となるものである。
その際、例えば、働くことには賃金を得るだけではなく、自己の能力を発揮し、社会に参加するなどの意義があること、職業を選択するには各自の興味や適性、能力を知る必要があるが、これらは経験を積み、学習を深めることにより変化すること、などの観点から多面的・多角的に考察、構想し、表現できるようにすることが考えられる。
文体そのものが、人に読んで貰うことを前提としていない、一方的に周知させたいことのみを、だらだらと羅列する。「指導要領」の「指導」が戦前の「戦争指導大綱」や「戦争指導要領」で使用した「指導」の範疇を一歩も出ていない。この言葉を唾棄しなかったことも、敗戦に伴う痛恨の極みとしなければならない。
「労働基本権」の代わりに多用される言葉が「職業選択」であることが分かる。あたかも選択が自由を保障しているかのような気分にさせる狙いが潜んでいる。選択が「自由」の範疇であれば、死刑囚にも無限の自由があることになる。なぜならば、刑執行前の何時舌を噛み切って死のうが、絶食して死のうが無限の選択肢があることになるからだ。
労働者はここでは、「グローバル化や人工知能の進化による労働市場や技術革新や産業構造の変化」に応じて「選択」迫られる受け身の存在になる。それをあたかも自然現象であるかのように、「公正で自由な経済活動を通して市場が効率的な資源配分を実現できる自由な市場経済」を説明し理解させようとしている。
追記 対談の中で「レンマ」という用語が使われている。言葉だけではとらえきれない多次元的で複雑な世界を、直感的に把握する「とる」「受け取る」というギリシャ哲学や仏教の方法をさす。
分析的手法で読み込めば、そのたびに欠落するものがある。迎合する者や忖度する者がやれば尚更のことだ。要素に分解して分析したものから全体を再生させることは出来ない。分解して再構成したものからは、技術しか出てこない。戦後、膨大な教育技術がこれ見よがしに提唱されたが、その殆どは消えた。それは分析によって、人間と教育の全体性を見失ったからである。
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