一年前、このブログに「私がビリでもいいでしょう」を書いた。部分を再録する。
「二年生「現代社会」の自習課題に「欲しいものを一つ書きなさい」と出した。
悦ちゃんのこたえ
「トビキリ美人のお姉ちゃんが欲しい。私にはお兄ちゃんがいるけど、威張って命令ばかりしている。だからお兄ちゃんはいらない。お下がりをくれたりする優しいお姉ちゃんが欲しい。でも私には弟がいる、よく考えれば弟から見れば私はお姉ちゃんだ。トビキリ美人というのは無理だけど、それ以外で優等お姉ちゃんになれるように頑張ろう」
悦ちゃんは成績会議の常連だった。
「誰かがビリにならなきゃいけないんだったら、私がビリになってもいいでしょう」と微笑むさまは爽やかだった。頑張るという言葉が、彼女の前ではあっさりズレた響きを持つのだ。クラスの誰もが、彼女を悦ちゃんと呼んでしまうのも不思議だった。
このこたえを、すべてのクラスで読んで一時間話した。・・・
僕は美人とは彼女のことだと思う。素樸で何一つ付け加える必要がないが、妙な癖があった。緊張するとしゃっくりが始まるのだ」
シモーヌ・ヴェイユを再読して、僕は悦ちゃんを思い出した。 シモーヌ・ヴェイユについては、「不満が改革や革命ではなく「破局」に行きつくのはなぜか・2 」←クリックに書いた。
直接の要点だけを抜き書きする。
シモーヌ・ヴェイユは「物質的条件だけでは、仕事の単調さ、非人間性、不幸を打ち破ることはできないと結論付けた。そうしてたどり着いたのは、単調さに耐える一つの力としての「美」。生活の中の光としての美または詩である。シモーヌ・ヴェイユはその根源を神に求めた」
夏目漱石は、シモーヌ・ヴェイユのように「神」を通してではないが、同じことを「草枕」の冒頭で言っていた。
「・・・智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい」
我々はこれを理解しているとは言いがたいが、なんとなく口ずさむことが出来る。
シモーヌ・ヴェイユも夏目漱石も、生きにくさに耐える手掛かりを、「美 」に求めている。
悦ちゃんは、逃れられぬ日常に「美」を見出している。彼女はシモーヌ・ヴェイユが、高等師範で得た教授資格を放棄して工場に女工として飛び込み、思索を重ねてようやく辿り着いた結論にいとも簡単に立っていたのだ。
あの時悦ちゃんは、高二だった。高校二年生は、少年が青年になる。知的に飛躍を遂げる一瞬を内包した、かけがえのない時期だ。
まだ30代だった僕は、悦ちゃんの決意を美しいとは思った。だがその深い思想性までは至らなかった。
「誰かがビリにならなきゃいけないんだったら、私がビリになってもいいでしょう」と屈託なく微笑むさまを、今もありありと思い浮かべることが出来る。観音菩薩が笑えば、こんな風だろうと思える穏やかな雰囲気があった。
僕らは高校生に教えることに意識をとられ、彼らから学ぶ力を捨てている。一体何人のシモーヌ・ヴェイユやソクラテスを捉え損なったのだろうか。悔やみきれない。
追記 シモーヌ・ヴェイユが女工となったのは、職業選択の自由の行使の結果だろうか。彼女は職業選択の自由を放棄して、自由を得たのではないだろうか。
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