不満が改革や革命ではなく「破局」に行きつくのはなぜか・2

 承前


「自由フランス」亡命政府でのシモーヌの身分証明書
combattante (戦闘員)とある
 「・・・不幸のニュアンスと原因を捉えるためには、自分自身の心を分析する必要があるが、普通そういうことは不幸な人々にはできない。分析の能力はあっても、その能力を働かせること、考えることが、不幸そのものによって妨げられるからである。・・・当人たちの歎きは、ほんとうの不幸を語らず、見当ちがいであることが多いし、大きな不幸がながくつづいているときには、一種の羞恥心から何もいわない場合が多い。不幸な生活環境は、かくして、沈黙の地帯をつくり出すのであり、そこには、島のなかのように、人間が閉じこめられているのである。島を出ると、彼をふり返る者はない
 1931年22歳のシモーヌ・ヴェイユは、高等師範学校で大学教授資格を得たが、リセで哲学を教えた。組合運動や独自の教科指導が校長を刺激し、短期間に転勤を繰り返している。その一時期、25歳のシモーヌは非熟練工として働く。本当の人間と人間関係を求めたその生活は、哲学者ヴェイユに重要な体験をもたらしている。

  冒頭の考察は、いま日本の教師たちの授業記録やessayに、教師自身の苦悩や生徒の生活分析が欠落している理由を良く説明している。彼女が工場で働いたのは、人民戦線内閣成立前。労働者階級が最も苦しんだ時期である。出来高払い女工の賃金は親方の恣意に左右された、病気が重なれば直ちに生活は破綻する。労働者は、解雇を恐れ卑屈になった。


 「悲劇的なのは、仕事が余りに機械的で、考えの対象にならないということ、しかし他のことを考える余裕はないということです。考えれば、手の速さが落ちる、一方仕事の速さには無慈悲にきめられた要求があって要求をみたさかければ解雇か解雇されなくても、食べてゆけない、・・・」『ある女生徒への手紙』



 「力尽きると、工場にいることの本当の理由を忘れ、この生活のなかでのいちばん強い誘惑に欺けそうになる。もはや考えないこと、苦しまないためのただ一つの手段。土曜日の午後と、日曜日にだけ、私もまた考える人間であったということを想出す。・・・もし週末の休みのない仕事をやらなければならなくなったら、それだけでも、私は従順な動物のようになるだろう。・・・ただ友情と、他人に対して加えられた不和に対する怒りとだけは、まだそのまま残っている。しかしそれも、長く時が経てば、結局どこまでもち耐えられるだろうか?一人の労働者の魂の救いは、何よりも、その肉体的な素質に係っている、と言いたいぐらいだ」『工場日記』


  これらの生活からシモーヌ・ヴェイユが得たのは、自分自身がなにものに対しても何らの権利を持たぬという感情であった。尊厳は工場で脆くも破られるのである。容赦のない圧迫は、反抗を惹起するのではなく服従を生むのである。
 そんな環境にあっても、彼女は、自由な仲間付合いの各々の瞬間が恰も永遠であるかのように、それをかみしめて味わう能力を得たことを喜びとして自覚している。

 彼女は社会的不正義に対する抵抗としての革命の必要性は認めていた。しかし、物質的条件だけでは、仕事の単調さ、非人間性、不幸を打ち破ることはできないと結論付けた。そうしてたどり着いたのは、単調さに耐える一つの力、「美」であった。生活の中の光としての美または詩。シモーヌ・ヴェイユはその根源を神に求めた。

 戦後、労働者の状態は、社会主義国でも資本主義国でも見違えるように改善される。特にビバリッジ報告がイギリス社会を根底から変えた。少なくとも工場外生活は快適に、工場生活もある程度快適になったが、文化的精神的無気力や官僚主義という新たな問題が現れたのである。

  シモーヌ・ヴェイユの工場労働による考察から、80年が過ぎているというのに、我国の労働者の状況は少しも前進していないどころか悪化している。
  『工場日記』に気になる一節がある。工場で尊厳を破られた人々は、これを新たに構築せずにはおれない。そのために「人々は自分たちの価値を示す外的徴候を必要とする」というのだ。自己を価値あるものとして知らしめる目に見えるしるし、それがなければ自信を取り戻せない。
  それが入れ墨やマッチョな風体、自らを「非正規」から分離するリクルートスーツに首からぶら下げる身分証。
 集団性を帯びれば「クールジャパン」風のうっとおしいまでの自己賛美・陶酔であり、南京大虐殺や強制連行も大震災時の朝鮮人虐殺もなかったのだとする歴史修正。
 そして従属国としてしか扱われず他国からは見做されない日米関係を対等と言い募るための貢としての、武器の大人買い、国家的ヘイトスピーチなのではないか。われわれは、我々自身の中に価値を見出せないでいるのだ。この否定的現状況を、この国の労働状況に逆照射して見る必要がある。
 我々に必要なのは、矜持である。世界のあらゆる国や民族と同じように独自の技術や風習・自然を持つ小さな国に過ぎず、先の戦争では取り返しのつかない犠牲をアジア諸国に強いた国でもあることを自ら認め反省したうえで、対等平等な関係を目指す必要がある。この国は近隣の国々との互恵関係なしには成り立ちえないのである。
 それが出来ないで、上から目線の傲慢さと、強いものへの卑屈さに依存するというのは、「自分たちの価値の外的徴候」を必要とするほどまでに、我々の生活・労働環境が直視できないほど悲惨であることを自白している。

追記  シモーヌ・ヴェイユはスペイン市民戦争にも義勇兵として参加、自由フランス亡命政府では文書起草に励み、同時に「前線看護婦部隊」の創設参加を嘆願して却下されている。 対独勝利を知ることなく、英国で無名のまま客死した、34才であった。戦後、残されたノートが知人の手で出版されるやベストセラーに、その後も膨大な原稿・手紙・ノート類を知人たちが出版した。名利と言ういうものを知らないかのような、生涯であった。頭痛に苦しんだ。 

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