超現実主義を取り上げた時の 答案の落書き |
ある教師は夜遅くまで準備室に灯りをつけ、近所の高層住宅の生徒から「昨日は10時過ぎたね」と言われ誇らしげであった。そうした言葉が、聖者をつくってしまう。
仕事をきちんとやり残して、明るいだらしなさを示したい。あいつが怠けるから、俺たちに迷惑がかかると毒づく者がでるに違いない。それに平然と耐えることが闘うことだと思う、確かにそれでは多数派にはなれない。
でなければ、原爆二発落落とされなければ戦争を止めなかったこの国の数十年前と変わらない。日本の教師は、同僚から「出来ない奴」と見なされるのを異様に恐れる、無能と言われるより過労死を選ぶ狂気。出来そうもないことすら、命を引き替えにやってしまうのだ。
Max Weberが闘い続けた俗論、「善意からは良いことしか生まれない、良いことの集積は良いことである」とする考えの先頭に教師はいつもいる。
もしこの理科の先生が倒れたら、次の先生も倒れる。はじめの理科の先生の頑張りようが次の教師の仕事の標準になるからだ。新設されたばかりの高校でそんなことが実際あって、同じ教科で次々と四人が倒れ死者もでた。公務災害にはなったが、それで済んでしまう理不尽が残る。
駄目な奴になる勇気を持たねばならない。
少なくとも夕方六時以降の仕事は、副校長の机に積み上げておくべきだと思う。「其れで良いのだ」とバカボンパパに赤塚は言わせた。N高ではそういうことが何度もあった。O高では、生徒部のなり手が無くなるほど生徒部が忙しくなったが、使命感と聖職意識が誤魔化していた。僕は、生徒部の仕事を減らすことを主張した。下らない「指導」がいっぱいあった。例えば リーダー合宿、四人も顧問をつけて二泊三日でわざわざ伊豆や大島に行く。止めて何の差し支えも無かった。旅費も研修に回せた。
ついでに教務の仕事も減らした。かつては「名人」が、春休み前から秘密の部屋に籠って、何日もかけて時間割編成作業していた。それを四月始業式後、誰でも覗ける部屋で注文や苦情を聞きながら、手を出させながら作業、残業せず次の日にちゃんと持ち越した。当面は臨時時間割でしのいだ。そうすることで、公平な時間割をつくれた。
やってみれば時間割編成は、誰にでもできる作業であった。行事予定も無理に決定せず、表の欄外に出すか、予定表そのものから削除するかして、行事予定作成の職員会議を減らした。生徒部や学年の会議もやめたり減らしたりした。
会議好きで聖職意識の強い人達はムッとしていた。
頑張りすぎて薬が手放せなくなった担任たちを、サボる先生に変えもした。お陰でクラスが見違えるように良くなった。
これは過去を懐かしがっているのではない。ある時を境に都立高校教師の意識体質が変わったことを記憶しておかなければ、状況を変えることも出来ないだろうからだ。その境目は主任制度化とかぶさっている。それは偶然ではなく、内的関連性を持っている。
教師の労働強化は、既に限度を突破して悲痛な聖職意識と命で補っている。一億総玉砕と同じ匂いがする。
政権はその空気に悪乗りして教師が死ぬのを放置して自己管理・自己責任と言う気だ。
個人の断乎とした意志で「残業・休日労働」を中止する必要がある。その意志を支えるのが仲間であり職場。作戦本部が分会職場会だった。其れが教育を守ることだというのは誰もが百も承知の筈。しかし承知だけが何十年続いてどれだけの教師殺すのか。教師聖職論に反対して聖者を量産している。フランスやスペインの教師が百万単位でデモを組織して闘うところを、日本の「民主的」教師は命をかけて強化労働をこなし、現状を追認する。ここに深刻な難問がある。シモーヌ・ヴェイユが投げかけた問題である。 つづく
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