黒人霊歌 

黒人霊歌
 

この美しい歌が生まれるために
 

多くの 悪徳と 汚辱があった
 

何もなかったほうがほんとにましだ   
            
     長島愛生園の詩人志樹逸馬


     志樹逸馬は 旧制中学1年でハンセン病を得て、全生病院に入院、1933年長島愛生園に移り多くの詩を作り、1959年42歳で生涯を終えた。彼が詩を作り始めるのは、タゴールを知りその詩集を書写してからである。
 タゴールがノーベル賞を受けると日本にタゴール人気が高まり、1916年に来日している。しかし日本の帝国主義を批判したため、タゴール熱は急激に冷めた。その風潮の中で、志樹逸馬はタゴールの詩を学んだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿

僅か6年前僕が考えていたこと Ⅰ

   ミンドロ島はフィリピン・ルソン島西南方にある。米軍は圧倒的装備でここに上陸、日本軍は絶望的な状況に置かれていた。飢餓とマラリアに苦しみながら、大岡昇平は敵が現れても撃つまいと決意する。   林の中をがさがさと音を立てて一人の米兵が現れた。  「私」は果たして撃つ気がしなかっ...