李白が詩を作り、アインシュタインはバイオリンを嗜んだように

  無知とは知識の欠如ではなく、知識に飽和されているせいで未知のものを受け容れることが出来なくなった状態。という見解がある。驚くほどものをよく知っていて、お喋りだが全く対話できない。そんな少年について書いたことがある。←クリック  文字通り苦い記憶である。

  専門家の無知について、原発事故は我々に数多くの実例を曝した。しかしそれを社会は、認識しているだろうか。もし認識していれば、彼らの多くは刑務所にいるはずだし、誰も責任をっていない。
 ハンセン病の場合、専門家の組織である「日本ライ学会」が自らの無知を自己批判するまで、絶対隔離からほぼ一世紀を要している。
 

 「収容乞う癩患者を赤穂海岸へ遺棄 鮮人身の振り方を赤穂署へ泣つく 長島愛生園へ抗議」の見出しが新聞に現われたのは1935年10月10日。(山陽新聞の前身『中国民報』)
 大学病院でハンセン病と診断された患者自ら愛生園に出向くが満員と断られ、盥回しされた大島療養所も受け入れ拒否、愛生園に戻ると船に乗せられ無人の海岸に打ち捨てられた事件である。愛生園は職員談話で、軽症で伝染の恐れも少ないから帰した、従来も軽症者は努めて帰ってもらっていると逃げた。おかしいではないか、ハンセン病の慈父として後に文化勲章を受ける光田健輔は愛生園園長であり、ハンセン病をペスト並の恐ろしい病気と言いつのり絶対隔離を立案したのである。

 京大病院で治癒して仕事にも復帰して後遺症もない元患者もあった。彼の場合有無を言わせず愛生園に再収容されたまま隔離され続けた。
 入れるも入れぬも出すも出さぬも、患者に対する恫喝として思いの儘であった。こうした恣意性が、絶対服従を可能にした。基準・根拠ともに不明であるからこそ、恐怖は果て無く募る。根拠さえ手にする事が出来れば、『神聖喜劇』の藤堂二等兵が軍法を逆手にとったように、闘いの道具にすることも出来る。それを恐れて、星塚敬愛園は癩予防法条文そのものを対患者極秘扱いにしたのである。
 収容されてしまえば、治療もあてにならず強制労働で症状は急速に悪化、死んでくれ、首を吊ってくれと迫った家へ帰れる筈はない。戸籍すら消された。大黒柱を奪われ消毒剤と罵詈雑言を浴びた家族も、離散してい故郷には誰もいない。元の職場にも病気は知れ渡っていて戻れない。すっかり根無し草となって、浮浪死は免れない。その恐怖が患者の反抗を沈黙させたのである。
 追放する側は、死後解剖するまで無菌は証明できないと言いながら、「アカ」であることが判れば、いつも無菌を証明してみせた。
 ならば「光田先生、この病気は治癒しないと言うあなたの療養所で、何故アカになると突然無菌になるのですか、こんな不思議はない。御高見を承りたい」と常識で切り出す者やマスコミが必要であったのではないか。
 「知識に飽和されているせいで未知のものを受け容れることが出来なくなった」関係者の無知は恐ろしい程である。

 愛正園初代患者教師吉川先生に関する「思想要注意人退園処分の件」関連文書にも、彼が如何に危険な思想と言動の主かを列挙してはいるが、病状については一切触れていない。ペスト並の病気より、思想が光田には恐ろしかったのである。

 1936年第15回癩学会は『朝日』や『毎日』の報道によって、小笠原説が徹底的に糾弾され絶滅隔離派が圧勝した印象を世間に与えた。しかし地方紙『新愛知』は「・・・論戦を繰展げ・・・伝染はするが決して恐るべきものではないとの妥協点に至り、結局今後の研究にまつことを双方約して二日間に亘る癩論争の幕を閉じた」と報じている。そればかりか、小笠原攻撃の急先鋒の一人外島保養院村田院長も「今頃癩の伝染力をさ程に強いと思つてゐる者はゐない」と論戦の中で言い切っている。又、恵楓園宮崎松記園長も京大に小笠原博士を訪問、「癩ヲ扱フコト結核ヲ扱フ程度ナラシメントストノ意向」を伝えたことも確かめている。これは第15回日本癩学会総会直前である。
 「癩業界」内部では「癩ヲ扱フコト結核ヲ扱フ程度」との見解は寧ろ一般的でった。そうであればこそ、鹿屋の星塚敬愛園が「国立療養所入所規定」第一条で癩はこの規定から除かれることを明示していることを承知で、第七条と八条によって追放(退園)を命じたことに合点がゆく。ハンセン病を入所規定から除いた根拠が存在しないことになるからである。しかしそうなれば、隔離の根拠が無くなる。
 両義足の患者を山中に遺棄したり、博奕で追放したり、思想要注意人物の再収容を阻止したり、彼らにとって何の不都合もない。『癩業界』が外部向けに捏造したハンセン病像に慌てふためいたのは、「癩業界」から隔離された者ばかりであった。
 愛生園の医師二人が追放に立ち会って震えたのは、自分達の行為が国民と歴史と科学を欺く途方も無い犯罪であると知ったからではないか。震えた一人早田皓は、小笠原にわざわざ長文の手紙を送って、絶対隔離を認めるよう迫った男である。来たものは誰であろうとも欺くために、愛生園の予防措置は度外れて厳重を極めていた。
                樋渡直哉著『患者教師・子どもたち・絶滅隔離』から引用加筆した。

  ハンセン病も「らい学会」自己批判や「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」判決でその不当性明らかになったにも拘わらず、関係者の処罰は一切ない。僅かな園職員が転勤したのみである。特定の情報が飽和に達した集団が、生まれ変わるためには飽和状態を一掃する革命が必要なのだ。ハンセン病関係で言えば、
「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」原告の谺雄治さんが国会の議長になり、厚労省大臣に島比呂志が就任して汗を流す体制が少しも過激でない世の中になる必要がある。
 空気が水蒸気で飽和状態になれば雨が降るように、知識の飽和状態も何らかの方法で解消される。丁度コンピューターの中に断片化した情報やゴミが溜まれば、動きは緩慢になる。フラグメントを除去しなければならない。
 官僚李白が詩を作り、アインシュタインはバイオリンを嗜んだように。

 知識の飽和状態を解消して、未知のものを受け容れることが出来る。
 業界人にならないことだ。友達も親も兄弟も配偶者も教師というのは危ない。

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