勤評と偏差値 Ⅰ

ファシストといわれるような人達は大へん嫌いだね
 「自分の考えを表明するということは、それに対し責任を取るということ」これは、必然的に個人の判断や決意を促す。判断も決意も言語化して初めて相手に通じ、相手からも学び合意を共有する。
 日本では、学校や組織の決まりや「掟」が、個人の「判断と決意」を代替して「忖度」を受け入れる素地をつくってしまう。忖度は、言語化を回避する。
 僕は明治生まれの祖父母や大叔母たちから、「人の顔色をみてものを言ってはいかんよ、思った通りを言いなさい。殴られても引き下がってはいけない」と繰り返し厳しく諭された。
 いじめっ子が現れれば、言葉で対決しなければならない。暴力で決着しようと目論んだ上級生のいじめっ子たちは、言葉での対決に一瞬たじろぎ、「お前と話すと頭が痛くなる」と言って退散するのであった。殴られたことは一度も無い。お陰で遊び仲間からも、学校や地域でも「ちょっと生意気・ひねくれ者」と思われたが、それが咎められるようになるのは、「勤評」以降である。
 

 「勤評」は、教師を権力に順化し、担任は生徒に従順と譲歩を強いて成績に拘るようになった。生活指導はこの風潮に乗り、官民双方から広がった。僕の記憶の中にある生活指導が目指したのは、民主的秩序ではなく組織の秩序に過ぎなかった。少年たちが、教師や上級生と言い争うことも増え、それは68年の学園紛争で頂点に達した。だが、一気に萎えてしまう。「個人の判断決意」という点で、日本の大学紛争は脆さを内包していたからである。それ故「紛争」後、大学闘争の戦士たちは一転して企業戦士となったのである。

    言葉が明晰性を失う事を、小説の神様は嫌った。それ故
小林多喜二の文学を高く評価しながら、文学が政治や思想の道具となる事を批判したのであった。
 1935年、志賀直哉はある対談でこう語っている。
今の世の中でファシストといわれるような人達は大へん嫌いだね・・・大体この二三年間、急に日本はまるで日本でなくなったやうな気がするぢゃないか。僕は腹が立って、不愉快でたまらないんだ・・・世の中が実に暗い。外へ出るのも不愉快だ。言ひたいことが言へない世の中などというものは誰にとっても決して有難くないわけだ
   『文化集団』昭和10年11月号「志賀直哉氏の文学縦横談」
 

 多様な文化思想の人間が混じり合えば、そこでの言葉は明晰性を増さざるを得ない。ファシストとファシストに忖度する人間で世間が埋め尽くされてしまえば、言葉の明晰性は消えてしまう。
 それ故志賀直哉は『世界』の編集に敢えて、中野重治や宮本百合子を入れる提案をした。戦争の愚劣を言葉の明晰さが暴く事を、彼は願ったと僕は思う。最も明晰な言葉が日常日本語でないのは確かである。
 例えばフランスの教科書には、文章だけで構成された美しさがある。言語への自信と信頼があるからだ。対して日本の教科書は、字の書体や色や太さを変え、漫画を配置、カタカナ語を乱用してまるで歌舞伎町や渋谷駅前の乱雑さである。そうすることでしか、事柄を伝えられない構造を日本語は持っている。


 教室から明晰さが後退する切っ掛けは、勤評にあった。それは当時生徒であった僕の実感である。偏差値の概念自体は世界中にある。しかしそれが教育を翻弄し、教育がそれに依存しきっている国は日本だけである。その根源が「勤評」と拘わっていると僕は睨んでいる。 続く

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