この「違式註違条例」は大阪府のもの。 |
番組要旨にはこうあった。「「アドボカシー」「インセンティブ」「タスクフォース」等々。政治・経済から福祉の分野まで、日常生活のあらゆる場面で氾濫しているカタカナ語。カタカナ語の流入は、インターネットの普及により加速したと言われ、その難解さに頭を抱える人は今や高齢者だけではなくなってきている。 去年末、国立国語研究所が難解なカタカナ語の言い換え例を発表した事を初め、杉並区役所でも、区民からの苦情を受けて、カタカナを減らし、所謂「お役所言葉」の一掃に乗り出した。しかし、こうした行政側の努力の一方で、グローバル化する企業の現場には、カタカナ語なしでは新商品開発ができなくなっている実情もある。 カタカナ語の氾濫で、自国語はどうなっていくのか。カタカナ語を手がかりに、「日本語」について考える。」
当のNHK内で言い換えの試みが少しも始まっていなかったことを、10年後2013年一人の老人が告発した。
NHKが放送で外国語を多用するため内容を理解できず、精神的苦痛を受けたとして、71歳の老人が損害賠償を求める裁判を起こしたのである。老人は、NHKが番組内で「リスク」や「ケア」など、外国語を使わなくても表現できる言葉を多用、番組名にも外国語を乱用。視聴者の大部分が理解できる言語で製作されておらず、憲法で保障された知る権利や幸福追求権を侵害していると老人は主張。理解が困難な言語として挙げたのは、上記の「リスク」「ケア」の他、「システム」「イブニング」「コンプライアンス」「コンシェルジュ」「アスリート」「ディープ」など。
この男性は、2012年末、NHKにこの件で公開質問状を送付したが、NHKから回答がなかったため、訴訟に踏み切っている。
日本を過剰にヨイショする為に、素人外国人を並べる番組にcool japanと横文字を使う姿勢そのものが、少しもかっこよくない。日本を礼賛し、歴史を修正する番組が乱立する中での横文字の氾濫である、このおかしさの本質は何か。
強者に迎合しながら、強者の振る舞いや言葉遣いを真似、強者に嫌われ軽蔑されても奉仕することでしか独自性を見いだせない文化的軽薄さが、この国の中にはある。それ故、強者に益々軽んじられていることに気付きもしない。独立していないのだこの国は、と考えざるを得ない。
「コンプライアンス コンティンジェンシー レギュレーション フィジビリティ スキーム アドボカシー インセンティブ タスクフォース ダイバーシティ アクティブ・ラーニング シラバス ワイズ・スペンディング アドボケイト ワンストップ・・・」 当該業界以外の人間にはてんで分からない。何度覚えたつもりでも直ぐ忘れる。そして次の横文字が混乱に拍車をかける。
役所が率先して用い、議員かこれ見よがしに吹聴して歩く横文字も多い。行政は分かりやすく説明すると口では言うが、実際は横文字ではぐらかして市民の意識を遠ざけ「恐れ入らせ」ている。官僚も議員も自分の担当分野以外は、その意味を知らないだろう。
フランスには、米国主導の英語による言語帝国主義に反対する運動があり、フランス語を守り文化の多様性を守るため、1992年には憲法に「共和国の言語はフランス語である」との一文が盛り込まれた。
一方で国粋的傾向を推し進めながら、他方で横文字に靡く歪んだ卑屈な日本の傾向は今に始まったことではない。
例えば江戸時代、訴訟は「裁き」、戦争は「いくさ」、恋愛は「色恋」・・・などやさしい大和言葉が使われた。それが一変するのは1872年の「違式註違条例」以降である。
僕は曾てこう書いた。
「薩長による維新政権は文明開化を焦って、文明のかたちに煩かった。1872年東京府知事は「違式註違条例」を発令。刺青、男女混浴、春画、裸体、女相撲、街角の肥桶などから、肩脱ぎ、股をあらわにすること、塀から顔を出して笑うこと等76箇条を「文明国」に有るまじと決めつけ、軽犯罪としている。・・・裸や混浴が淫猥で不道徳と言うものがあれば、裸と性行為を結びつける者こそ淫乱と論議して、道徳習慣についての相互の寛容性を惹起する。それが教養であり、矜持である。 ・・・
裏声で攘夷を絶叫していた薩長が長英・薩英戦争で敗北、その英国の後押しで政権にありつくや、一転して英国人にとっての「不快」な存在そのものを禁止・排除・抹殺して迎合しご機嫌伺いするのをくい止められはしなかった。敗北してなお保つ小国らしい矜持はここにはない。」 『患者教師・子どもたち・絶滅隔離』国土社刊
問題は、何故この法令を「違式註違条例」(いしきかいいいと読ませた)と、わざわざ舌を噛みそうな難しい名前にしたのかである。民は困り果て、絵入りの解説が幾つも出た。ただ、お上を権威付け、民を遠ざけ恐れ入らせるのが狙いであった。
維新政府が乱発する行政用語も、殊更難解を極めた。それはいまだに改められず、国民大衆の日常から乖離したままである。例えば裁判で、判決に対して不服があるときの手続きは全て「異議申し立て」でよい筈だが、わざわざ「上訴」「上告」「控訴」「抗告」とややこしく区別して使わせるのである。少年の場合は更にややこしい。
鳴り物入りで騒いだ「裁判員」制度も、用語には何一つ改善の兆しさえ無い。恐れ入らせる構造をそのままにして、何の改革か。 難しい漢語濫用で民を恐れ入らせ煙に巻いた効果を、行政の横文字が果たしているのである。(裏声で攘夷を叫んだ薩長が政権を握るや英米のご機嫌伺いに奔走したように、鬼畜米英を絶叫したくせに原爆二発で恐れ入り従属に鎬を削る戦後の政権に相応しい語法である)
アイスクリームの「爽」が売れるのは味の工夫もさることながら、名前がいいからである。横文字に逃げていない。
横浜みなとみらいの「ぷかり桟橋」、早大漕艇部エイト艇の「韋駄天」号もいい(坪内逍遙の命名だという)。乗用車の名前では、曾てアスカがあって操作性も乗り心地も良かった。
その国の言語で表せない概念や制度は定着しない。言葉が見つからないときは、言葉を探し又は新たに作る努力をすべきである。その過程で概念や制度の理解も進むのである。
東京スカイツリーは、業平橋「夢の高櫓」に改称した方がいい。
追記 NHKに慰謝料を求めた裁判の判決は2014/6/13にあった。名古屋地裁斎藤裁判長は「使用された言葉に不快感を抱くかどうかは、視聴者の個別事情や価値判断に委ねられる部分が多い」と指摘。「個別の事情に配慮を求めることは制作編集の自由を妨げる結果にもなりかねない」と述べ請求を棄却している。 公共性を失ったNHKと行政に膝を屈した裁判所を象徴している。
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