自由な社会と奴隷社会を分つのは、自由な質問

  教師が監視する生徒総会は、自由な自治を学ぶに相応しいか。

 「自由は危険なものである。幼い息子一人で初めて道路を横断させれば、息子の生命を危険にさらすことになる。
しかしそうしなければ、被は一人で道路を横断できないまま成人するだろう。ナチズムの敗北後、ドイツを占領したアメリカが、ドイツ人に自由を与えろ道を選んだのは危険だったかもしれない。反ナチ党だった私の友人たちでさえ、完全なドイツ人だったから、「ネオ・ナチ」に言論・出版・集会の自由を与えることに反対だった。
しかし、ドイツ人をまず困らせたのは、自由のすべての危険性とともに、自由への恐怖だった。アメリカがドイツに自由を「与え」ないと決定すれば、ヒトラーが正しかったということになっただろう。
 自由な社会と奴隷社会を分つものは、自由な演壇上での自由な質問が慣例になっているかどうかだけである。
ミルトン・マイヤー『彼らは自由だと思っていた――元ナチ党員10人の思想と行動』未来社 p167             

   学術会議任命拒否問題はそれ自体が、憲法や人権宣言に背馳しているが、この問題も的確に端緒を捉える必要がある。 若者たちが何故この問題に鈍感なのかに絞って、端緒を捉えねばならぬ。そうでなければ結末に対処する事もできないからである。
 人が物心ついて、公的な場で「自由な演壇上での自由な質問が慣例」となっていないことに気付くのは、小学校や中学校においてだろう。職員会議には生徒の参加自体が認められないだけでなく、記事録すら公開されない。まして質問や発言は思いもよらない。そもそも出席は「義務」である。
 生徒会や児童会は「自治」会の体を為していない。議題や議事進行マニュアルまでが事前に職員会議で決定される。(敗戦直後、新制高校発足から暫くは生徒の職員会議参加を認める動きもあった。大学学長選挙に学生が拒否権を持つ例もあった)

 僕自身苦い思い出がある。小6の学級会で担任「提案」の行事に意義を唱えたのだ。級友たちは仰天、僕と担任との激しい議論で1時間は瞬く間に過ぎた。このクラスは併設の幼稚園から数えると、8年間メンバーがほとんど変わっていない。担任はこう言った。「皆でお別れ会をやろう、グループごとに出し物をやるんだ。な!いいだろう」僕は猛然と反対した。その次第はここに書いた。←click

   僕をすっかり学校不信に追い込んだ苦い経験から救ったのは、進学したばかりの四谷二中だった。それもここに書いた。←click           上級生が生徒会中央委員会から顧問教師の退場を要求し、教師はそれを受け入れたのだ。僕の世界観は根底的に変わった。小さな時期から異議を唱えたり文句を言う、それが家族の地域の楽しみや誇りであるような社会、それが自由な社会である。
 気に入らない言論や人物はあらゆる権力的行為を駆使して徹底的に排除、「利権」を見せつけることで「安定的」多数派を形成する。その手口は、すでにfasismである。物が言えないと同時に、ものを言わないで済む「安逸のfasism」が少年たちに蔓延る。

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