光田健輔と渋沢栄一は絶対隔離=segrigationの犠牲者に、詫び償ったか。

  ふるさとのこの街に われも母となり 君らと共に生きたかりしに                                       歌人浅井あい 1920年~2005年


 彼女のハンセン病が健康診断で見つかったのは、師範学校在学中の1934年だった。学校は強制退学を言い渡す。 

「わたしが家を出ると、母はわたしのものを全部焼いてしまいました。父と相談して、わたしを死んだことにして、家族がわたしの名前を言うのも一切禁じました」 浅井あい 八重樫信之『写真集 絆』人間と歴史社 p10       

 彼女は、国立ハンセン病療養所草津楽泉園に収容された。特効薬プロミンはあったが使用できないでいるうちに失明。学ぶ夢も母になることも禁じられた。

収監93名中22名を獄死させた
重監房は、光田の念願であった。

 後年、年老いた彼女のために師範学校の級友たちは卒業証書授与式を行った。冒頭の歌はその時に読まれた。痛切である。 君らとは、共に教師を目指して学び教壇に立った学友、浅井あいの講義受けた筈の若者・子どもたちでもある。


  光田健輔と渋沢栄一が扇動画策した絶対隔離=segrigationではなく、当時既に世界的潮流てなっていた相対的隔離=isolation(東大皮膚科や京大皮膚科では、実施されていたが光田ら権力筋の妨害は長く続いた)が受け入れられていれば、浅井あいは通院治療を受けつつ学べたのである。isolation =相対隔離では患者の社会関係は維持され、治癒すれば退院出来る。トメ婆さんも二度死ぬ不条理に曝されることはなかった。

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