学校に行事がなけりゃ「詰まんない」か

  文科省は「学校行事は、子供たちの学校生活に潤いや、秩序と変化を与えたりするもの」と勝手に定義。指導要領に特別活動名付け、その中身を次のように分けている。

 /儀式的行事(新任式・離任式など)/文化的行事(文化祭、学習発表会、音楽会、クラブ発表会、芸術鑑賞会など) /健康安全・体育的行事(健康診断、避難訓練、運動会など)/遠足・集団宿泊的行事、旅行・集団宿泊的行事 /勤労生産・奉仕的行事(職場体験活動、就業体験活動及び校内美化活動や地域清掃など)

 コロナ禍で「密」を回避するために相次いで中止や延期され、生徒から「つまんない」の声が出ているという。分散させて実施したりの対応で、教師はますます忙しい。


 「行事」とは何か、その主体は誰か、そもそも必要なのか。冒頭の定義は官僚に都合がいいものであることは、その中身に着任式や校内美化=掃除などが紛れ込んでいることで分かる。着任の知らせは昇降口の掲示で済むことだし、掃除は生徒にやらせるものでは無い。行政の怠慢を生徒の義務に転嫁している。米軍の駐留経費を日本政府が負担する構図に似て実に怪しからん。

  生徒の「つまんない」に鋭敏に反応するなら、先ず毎日の授業にこそ注目せねばならぬ。形式的行事は、授業からの逃げ場として教師にも魅力がある。授業の工夫研究は直接個人の資質が問われるが、行事は集団の陰に隠れ逃避出来る。


   小さな共同体の行事には、行政の独善も届かない。教員も生徒も保護者も通りがかりの人も、平等に楽しめる。ここに挙げるのはのはハンセン病療養所最後の運動会。

 1975年、全生園少女舎最後の二人は、一人が新良田教室へ進学。もう一人は 全快して「父親の大きなトラックに、磨り減ったスリッパから使いかけの石鹸まで積み込み元気に」転校していった。怖い病気という固定観念をきっぱり打ち破る爽やかな退院である。少年舎に二人が残った。その運動会。

  運動会         M  中学三年

 ・・・僕は、いつもより早く目がさめていた。・・・白線が引いてある朝の運動場は、とてもすがすがしい気分がした。・・・さて、登美夫の選手宣誓や準備運動も終わり、競技にはいった。競技といってもここでは、体の不自由な人達がいるのであまり激しい運動はしない。

 午前中の競技も終わり昼食の時間になった。木陰に、ござを敷き・・・にぎやかに昼食を食べた。ペんとうの外に、お寿司や焼き鳥をもってきてくれたりする人がいたのでそれらを食べると、とても腹いっぱいになった。

 ・・・午後の第一種目は、仮装行列だ。僕らは、運動会の一~二週間前に、なんとなく仮装行列では過激派の姿をして参加しようということに決めていた。それで工事現場用のヘルメットに、色をつけたり、プラカードに、字を入れたりして準備していた。

 午後の競技が始まろうとするころ僕らは、天野先生の家の前で用意して、まだか、まだかと、待っていた。タオルとサングラスで顔をかくすので暑くてたまらなかった。運動場では、そろそろ仮装行列に参加する人達が集まって並んでいた。僕らは、目立とう根性で本部の後ろの方から、いっせいにワーツと表に飛び出していった。そして「ワッセ、ワッセ」と声を掛けながら入場門の所まで駆けて行った。観衆はみんなおどろいていた。さっそくパレードが始まった。僕らはいちばん後からあいかわらず声を掛け合っていた。それから僕らは本部席の前まで押しかけていき、そこのマイクを奪い「われわれは本部席を乗っ取った。」とか何とか叫ぶと本部席の人達も笑いながら「本部席は、乗っ取られました。」と言っていた。そして僕らがスタート用のピストルを打ち放つと、そこの人達は拍手をして参加賞品を先に僕らに渡してしまった。僕はタオルやサングラスで顔を隠していたので思うぞんぶん声を出すことができた。日ごろのストレスを一気に吐き出してとても気持ち良かった。それに拍手をもらったのは、僕らが一番だろうと思うと何だかはずかしくなってきた。

 ・・・僕は、登美夫らといっしょに特別賞に選ばれた。少々期待はしていたのだが、まさか選ばれるとは思っていなかったのでとてもうれしかった。前に出て賞品を受け取るとき、ちょっとてれくさかった。閉会式も終わり、道具のあとかたづけにはいった。公会堂や学校にテーブルや飛び箱など運んだ。その後のコーラと焼き鳥の味は、うまいの何の、また食べたくなってきた。

 最後に僕がこの運動会で感じた点は、ふだん顔を合わせない人々とちょっとしたきっかけで友達になれるということだ。それで友達になった人が何人か僕の記憶にある。もう一つは、ちょっとはずかしくて書きにくいけど〝賞品がもらえる″ことだ。今までの学校とはちがい賞品をもらったとき「ウヒヒ、僕は入賞したんだ」という、あの実感・・・。

 こうして目を閉じると10月4日の運動会のことの思い出が頭の中に浮かんでくる。足がもつれてたおれそうになった人や、かわいい看護婦さん、おもしろかった仮装行列につな引きの時のみんなの顔、みんな楽しかった思い出だ。こんないい思い出が作れてしあわせだなあ、と思うと床についてからも目がばっちりあいて「ワーツ。」と大声でさけぴたい気分になった。ほんとうに楽しい一日でした。            分教室作品集「青い芽」終刊号


  小さな共同体の小さな学校の凡庸な幸福を、中学三年が見事に描写している。


 この三年生二人に派遣教師二人の他に、全生園患者自治会は、補助教師として天野先生と氷上先生の二人、特定の教科を受け持つ嘱託教師二人を配した。この学校では、生徒にとっても教師にとっても共同体にとっても授業が中心だった。

 こんな運動会は、沖縄の共同売店の楽しみとして残っている。小さな共同体の意義は、ここに極まっている。コンビニやスーパー、教育行政や塾には決してできないものがここには息づいている。それは草の根自治、どう転んでも大規模が似合わない。ささやかな無政府主義。

   巨大な権力に包囲された小さな共同体は、ありったけの知恵を持ち寄らねば消えてしまう。 

  

 

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