ゴリラの群れの中に寝ころぶ / アフガンで完全非武装を貫く

アフガン和平は、非武装のみが実現する
山極寿一 私はゴリラの群れのなかに寝ころんで、彼らが自由に振る舞うところを近くで観察したわけです。そこまで行かないと、実際の観察はできません。そのとき、自分で身を投げ出すわけですね。
 向こう側に、生の体を入れてしまう。そういうことにはかなり度胸が要ります。私もニホンザルに囲まれてどうしようかと思ったことがあります。ニホンザルはイヌと違って三次元で攻めてくるのです。三頭いたらとても対処できません。それで恐怖のどん底に突き落とされるのですが、そこではかえってなせばなるような感じになるのです。メスのゴリラに前後を挟まれて、一頭のメスは私の頭を囓り、もう一頭のメスは私の足を囓って、大怪我をしたことがあります。そのとき、もう抵抗しょうという感じはなくなっていました。しゃあないな、やつらがなすがままに任せておこう、と思うと、恐怖が消えるのです。そうすると、お互いを隔てていた壁がどこかで一か所抜けるのです。向こうの態度も変わるし、こちらも精神的にスッと幕が上がる感じがある。そういう感覚を覚えると、すんなり向こうの側から世界が眺められるようになります。これは体験してみないとわからないことかもしれませんが。
 ・・・それはまさにコミュニケーションです。そういう感覚を、言葉によるコミュニケーションだけに重きを置くばかりに忘れがちになってしまっているのです。
 だからこそ、冷房のなかにいて、それが人間に快適さをもたらすものだとばかり思ってやっていると、人間の身体のフレキシビリティがどこかで崩壊してしまって、逆に不健康になってしまう。人間はつねに外部とコミュニケーションをとっていて、・・・外部を抱え込んでいるわけです。
 人間の身体が気づかないうちに腸内細菌が反応しているということもあるわけですし。今西さんが言っていることですが、腸や胃などの管は、外部が人間の体のなかに陥入している状態なのだと。すなわちそこは外部であるということですね。あの時代にそれに気がついているのはすごいと思います。外部が人間の身体と同化しっつやりとりをしているのであって、まさにそういうところでいろいろな
 ・・・いろいろなつながりを感じながら、そのつながりを網の目の一つとして働いている、頭のなかでは意識できない人間の身体があるのだということです。言葉が通じない動物とどこかで了解しあえる経験をすると、それに気がつかされるのです。
 面白いことに、動物園の飼育係はみんなそれに気がついています。ただ、人間は生まれつき言葉を使ってコミュニケーションをするようにできているから、彼らはあえて言葉で語りかけるわけです。もちろんヒツジだろうがゾウだろうが、言葉は聞いていません。・・・
 
 だからこそわかるのです。われわれが言葉でしゃべっているとき、一番嘘偽りのない人間の身体の動きができていて、その体中から発散されるいろいろなタイプのコミュニケーションを、動物たちはそれぞれが持っているコミュニケーション能力で感じ取っているわけです。だから、彼らにはわかるのです。あたかも人間の言葉を聞いているかのように見える。だけど、われわれ自身が彼らのコミュニケーションの仕方を感じ取る能力をどこかへやってしまったから、彼らが言っていることはわからない。こういう事態に今、陥っているのです。つまり、向こう側に行けない。それはやはり対象科学が発達したせいです。つまり、理解ということが、論理的に、あるいは物象・現象として理解できないと、理解にならないという思い込みです。

 私がゴリラや自然との付き合いで学んだのは、曖味なものは暖味なままにしておこうということです。・・・つまり、正解を求めないということです。人間の頭で考えた論理的正解を追求しない。それが生き物との付き合いだと思います。他のところで了解しあっているかもしれないし、それに自分は気がついていないだけかもしれない。しかしそこでは身体が反応しあっているから、向こうは了解してくれる。ただ了解点を感知することが重要であって、理解を深めることが重要なのではありません。  (「現代思想」2018年9月号・中沢新一との対談)

 

   教員は、少年時代の記憶を捨ててしまう職業である。わざわざ勿体ないことをするのは、その方が都合がいいからだ。教え方や生活への介入について自分自身が感じた理不尽をありありと思い出したら、今度は自分自身が現在少年たちに加えている理不尽を正当化出来ない。
 しかし、少年時代の記憶をとどめる教師は幸福だと思う。山極寿一がゴリラの群れの中に寝転んで経験した「お互いを隔てていた壁がどこかで一か所抜けるのです。向こうの態度も変わるし、こちらも精神的にスッと幕が上がる感じがある。そういう感覚を覚えると、すんなり向こうの側から世界」を見ることが出来るからである。そうであってこそ授業は可能になる。
 教師は、その恣意を生徒に「理解」させることを厚かましくも「指導」とよんでいる。その際我々は、成績や校則によって精一杯武装している。生徒の側は非武装である。ゴリラの群れに
自然体で寝転んだ山際寿一とは大きく異なっている。 
 教師が生徒に囲まれて頭や腕を囓られたことがあるか。教室でタバコを吸ったり制服を着なかったりがせいぜいだ。対して少年たちは、生意気と言いがかりをつけられ体罰で殺され、僅かの遅刻で校門に挟まれ殺されているのだ。
  山極寿一と同じ立場に立つならば、教師は一切の優位性を捨て,同時に生徒の権利を明示しなければならない。つまり我々教師が先ず、武装を解除して、壁を壊す必要がある。そうして初めて、青少年たちは教師とのあいだの壁を消しコミュニケーション可能な存在として立ち上がってくる。
 多くの体罰教師を排出するある体育大学は、教師になる学生に「舐められるな」と訓示し秘訣を伝授すると聞いた。ゴリラの中に入るのに、甲冑で身を固め武器を携帯するようなものだ。

 
 思えば僕の「教育実習」の第一歩は、小中学校の同級生が対象だった。優位性も義務も一切ない。互いに自由勝手で、詰まらなかったり分からなかったりすればそこでお終い。第二歩目は、高校や大学で教室を巡ってのアジテーションであった。こちらに優位性の類いは一切ない。授業前の教室でビラを配りながらアジる。最大の課題はベトナム反戦だった。詰まらなければ忽ち怒号が飛び追い出される。アジテーションの意図が伝われば拍手が湧き、入り口で眺めていた教授に「続けたまえ」と言われることもあった。僕の通っていた大学では、セクト間対立は激しく殺人沙汰もあり暴力や脅迫は日常的であった。
 だから、荒廃が頂点に達していた時期の工業高校も、紛争中の大学に比べればお花畑であった。

 刃物を手にしたヤクザを前にしても不思議に落ち着いていたのには、自分自身も驚いた。そのせいか、「あいつはヒョロヒョロだけど、空手有段者で警察に登録されているらしい」という噂が生徒たちの間に広がったことがある。

 少年たちの中で働く者は、
山極寿一の方法を学ぶ必要がある。少年もゴリラも尊厳と知性に満ちた存在だ。
 

 紛争の現場に赴く「専門家」は、もっと山極寿一に学ぶ必要がある。非武装だけがコミュニケーションを可能にすることを肝に銘じなければならない。
 中村哲医師の手作り水路による灌漑は、アフガン和平を実現出来るのは非武装だけであることを証明して見せた。ノーベル平和賞プラス医学賞の1世紀分に値する壮挙だ。それ以上に、ノーベル財団にとって中村医師に賞を受け取って貰うことは、政治的汚濁に塗れた平和賞を過去の柵みから解放する唯一の方法だと思う。そうでもしなければ、ノーベル賞は戦争政策の現状肯定でしかない。
 

単一耕作化する教員の知的世界

飢饉は先ず生産地を襲い、飢えた農民は都へ押し寄せた 
 中世日本の飢餓状況を調べると、奇妙な事実に突き当たる。飢餓が、食料生産地であるはずの農村で先行しているのだ。大消費地である都周辺の農村が、都会に住まう貴族や商人たちの必要に合わせて地域ごとに生産物を特化させていたことが判る。そのほうが効率的で儲かるからだ。だが消費地に従属するという致命的危険を抱え込む。漬物用の大根ばかりを作付けしては、米や魚は買わねばならない。大根だけで生き延びるのは難しいからだ。飢餓地獄で生産地の農民が食料を求めて、消費地の都へ押し掛ける奇妙な現象はこうして起こる。単一耕作がもたらした悲劇中の悲劇である。

  「会議をあまり多くの分科会に分散しないよう、くれぐれもご注意いたしたいと存じます。それぞれの専門家にとっては、いうまでもなくその専門事項が一番重要に思れるのですから、他の犠牲にして特にその専門事項を強調し勝ちなものであります。どうもわたくしには、今からしてすでに、あまりにも強いこのような傾向が起りそうであるか、 ないしはそれがもう見られるように思われるのであります。・・・ だがこのような専門家にとってこそ、日頃あまりにもかたよった仕事をしているのですから、こんな機会に全般的研究と自己の専門領域との関係を知ることは特に価値があるわけです。と申しますのは生ある有機体におきましては、個々の部分が相互に不可分に関連しているからであり、また多くの専門研究家は殆ど効果を予期しなかったような方面から、しばしば最大の成果を得ているからです」
 これはお雇い外国人医師ベルツが、帰国するにあたって
日本医学界で講演した記録からとった。単一耕作的医学研究に苦言を呈している。 

 高校教師も専門教科以外に関心を持つ者は希になった。政治や経済が得意だとしても、物理や人類学にも歴史や哲学にも関心を持たずにはおれないのでなければならない。そうでなければ「現代」も「社会」把握できないし解釈も出来ない。そもそも、我々が働きかける少年たちは「生ある有機体」であって、「個々の部分が相互に不可分に関連している」のである。
 「生ある有機体におきましては、個々の部分が相互に不可分に関連しているからであり、また多くの専門研究家は殆ど効果を予期しなかったような方面から、しばしば最大の成果を得ている」 
 かっては昼休みの木陰で専門外の論文を英語で読む教師を見かけた。古い漢文の文献に食い入る教師、絵を描く体育教師、部活の顧問としてではなく個人的にスポーツに励む数学教師・・・。今高校教師は自分の専門分野にさえ時間を割けない。
 昔はどこの学校にも出入りの書店があって、図書館の蔵書や教科書を扱う一方、教師個人の図書購入にも割引サービスを行っていたが、相次いで打ち切り始めた。教師の図書購入が減り始めたからだ。専門書や「世界」などの総合誌・教育誌を注文しなくなった。教師向けの月刊誌も相次いで廃刊するようになった。他方、手軽で軽薄なhow toものの教師向け小冊子がいくつか創刊され、やがてそれも消えた。職員室の机の上には、通達や会議資料を閉じたバインダーと部活や行事のヒント集が並ぶようになった。少年の学ぶ意欲を高める筈の教師が、学ぶ意欲を失い始めたのである。 上昇志向の強い教師の関心は、管理職試験と教職大学院に向かう。そんな風潮に乗って、自らの商品価値を高めるために手軽な単一耕作的教育分野・・・開発教育、キャリア教育、環境教育、法教育、模擬投票、シチズンシップ教育、投資教育、it教育、アクチブラーニング・・・が目まぐるしく勃興した。これら狭い分野の地位「生産性」は高く、原稿の需要もあったからだ。なぜなら、政治権力や経済界との関係は深かった。政治的傾向さえ問題視されなければ、大学に移り易い分野でもあった。しかし権力や業界に迎合する必要がある。それだけの見返りもあった。だが、教師として市民としての自由は放棄せざるを得ない。
 これは所詮教育のプランテーション化であった。メロンやサクランボ専業農家は、都市消費網に組み入れられれ当たれば、膨大な収入が見込める。しかし市場の嗜好を読み間違えれば、積み上がる商品は日を追って腐敗。現金収入が絶たれて、農家であるにも拘わらず食料を手にすることが出来ない。
 自らの専門分野をプランテーション化して、運良く大学に逃げ込むことに成功すれば、たとえば開発教育の専門家やキャリア教育専門家として食える。しかし失敗した者は、高校や小中学校の授業でで一年中それをやるわけにはゆかない。多くの授業は、教科書と指導書に依存した貧相なものとなり、生徒を飽きさせる。ますます、授業と生徒から逃避して、管理職試験に励むことになる。


 キャリア教育、模擬投票、シチズンシップ教育、投資教育、it教育、アクチブラーニング、・・・にはもう一つ大きな陥穽がある。「陳腐化」である、元々深い関心や分析によって湧いて出た分野ではない、思いつきや古い概念の言い換えにすぎない。だから陳腐化は必然、その度に、「専門」を乗り換えねばならないのだ。教育の単一耕作化、これはチャンスではない。知的貧困化の端緒なのだ。


追記 スマートフォンやカメラなどは、その機能が短期間に陳腐化するように設計されている。機能や外観を僅かに変え、あなたの使っている商品は遅れているから買い換えろと誘導する。きちんと設計すれば長持ちし、壊れても部品交換で済むものを計画的に劣化を早め、部品交換がきかないようにして買い換えを煽る。計画的陳腐化という戦略である。フランスなどでは、抗議運動がおき訴訟もあって、企業の戦略としての陳腐化が非難された。我が国では、僅かな機能追加や外観の変化に惑わされて、販売店に行列を作る始末だ。自分が飛びついた専攻分野が陳腐化しても、元が安易だから「先端でない」と言われれば、嬉々として乗り換える。素早く乗り換える自分に安心するのだ。
 

社会的共通資本としての静寂や景観

静寂は万人の基本的権利
 NHKに「駅ピアノ」という番組がある。ヨーロッパや北米の鉄道駅や空港に置かれたピアノに小型カメラを設置して、通りすがりの老若男女が気ままに演奏する様を撮ったものだ。政権の御用聞きになり下がり、広告代理店や芸能プロダクション絡みの軽薄な番組だらけになったNHKらしくない。
  僕はNHKTVのチャンネルの一つは、一日中「駅ピアノ」でいいとさえ思う。視聴料金を納めない米軍のためとしか思えない米プロスポーツ中継専門nhkチャンネルは、即時中止でいい。
「駅ピアノ」は、いろいろなことを考えさせる教養番組である。
  
 第一は欧米の駅空間の美しさと静けさである。公共空間とは何かを考えずにはいられない。終着駅のホームに近い場所に置かれたピアノの演奏を邪魔する放送がない。日本なら、「エキナカ」の派手派手しい売店に埋め尽くされるような場所にピアノが置かれているのだ。
 旅行途中の高校生、残業帰りの保母、友達の結婚式帰りの若者、通勤客、引率中の教師、仕事に向かう職人、離婚したばかりの演劇家、・・・様々な人が立ち寄り、曲を奏でる。ホームレス風のうらぶれた人がピアノに向かう姿は、背筋は伸び、指は鍵盤を踊り、顔は歌い出さんばかりで感動的であった。刑務所でピアノを覚えた元受刑者は、駅ピアノを演奏中声をかけてきた女性と結婚した。一人で即興曲を弾いていて、いつの間にか連弾になることもあった。親方を兼ねる建設労働者が、ピアノを弾いた後語った言葉が印象的。「ピアノは磁石のようなもの、人と人を結ぶのです」
 二つ目は、芸術教育の厚さが根本的に違うことだ。ヨーロッパの高等学校の中には午後の授業がないところは少なくない。校内のここかしこから小編成の弦楽合奏が、静寂に溶け込むように流れてくる。卒業までに、少なくとも二つの楽器は演奏できるようにするところもある。だからいろいろな階層の人が音楽を嗜むのだ。駅にピアノを置けば、いろいろな人が演奏する。
 三つ目は、ピアノに向かう人も行き交う人も短パンにTシャツなどの軽装。それでいて、歴史的重みを滲ませる終着駅の雰囲気に違和感なく溶け込んでいる。徹底的に私人であることが、主権者としての市民を形成している。それが「公」である。東京駅や新宿駅なら、急ぎ足のダークスーツを着た勤め人や制服姿の学生が映り込む。そこにいるのは、市民ではなく従属した「社員」や隔離された「生徒」でしかない。

 部活のブラバンがメダルやランキングを競い、喧噪の中で青春を浪費するのとは大いに異なる。日本のブラバンは放課後になれば、楽器毎に学校中の部屋を占領する。喧しいこと限りない、他者の静寂への配慮は欠けらもない。活気だと勘違いしている。学校の中のどこにいても、読書会や実験や討論・相談など望むべくもない。


 弦楽四重奏は、指揮者もなく演奏者個人は常に全体と関わり部分となりきることはない。読書したり実験する仲間の邪魔をすることもない。これが、少なければ3年、長ければ10年続けば、個人の文化的素養は決定的な差をみせるに違いない。
 
 世界で最も多くピアノが家庭に置かれているのは、日本である。ピアノの大量生産大量消費には貢献をするが、音楽文化が生活に生きることはない。ピアノは駅に置かれれる前に喧噪とともに粗大ゴミとなる。
 新宿歌舞伎町界隈は、通行しながら会話することも出来ない。店頭や有線放送から吐き出される音の暴力。それを行政は賑やかさだと嘯いている。車の爆音、下水から立ち上る悪臭、目を眩ますような調和を欠いた色彩の宣伝で、まるで全感覚を苛み尽くす地獄の光景である。我々の生活で静寂に包まれる至福のひとときがどこにあろうか。葬式でさえ、葬祭業者のマイクが煩いのだから。日本に生まれたことの不幸を強く感じる。

 静寂や景観までが排他的に私有化されるこの国で、残る社会的共通資本は何か。医療も福祉も私有化され、次の葱鴨はどこだと鵜の目鷹の目で狙いを付けている。日本なら水か、海か、種子か、遺伝子か、宇宙か、天国と地獄か。現世の宗教は既に私有化されている。貧乏人は、恐怖におののき見るも憐れなな小墓に詰め込まれ、富と身分を持った者は豪奢な墓陵を作り他を睥睨する。こんな不条理を、許すものは宗教家ではない、神でもない。
 学校の休み時間の静寂を打ち破る教師による生徒呼び出しの放送も、公共空間を私物化するものであることを知らねばならぬ。僕が現役教師であれば、教科「公共」でこのことを論じてみよう。公共空間や公共資源がいかにして、私有化・私物化されるかを。

就職する前に社畜化して、嘔吐する前に過労死する我々の尊厳もどき

やけっぱちな気分が、私には似合っていた
 「六〇年代の、あのやけっぱちな気分が、私には似合っていた。なぜ?と問うことが出会いのはじまりとなる状況、「私」という制度への疑いが、そのまま政治的体制への疑問と釣り合う時代。私は、生きることにも心急ぎ、感じることも、急がるるという日々をすごしていたのである。
 いまは、嘔吐しようと口をひらくと、笑い声がこぼれてしまう。何ともしまりのない時代になってしまったものだ
」      1981年10月 寺山修司

  嘗て高校生達が教室で廊下で迫ってきたのも、「私」という制度への疑問だった。その多くは迫りつつある「進路」を巡る自己への嫌悪であった。進路こそは最初の政治体制・経済体制との対決であり、妥協であった。しかし今学生は、「私」という制度を、体制の部分として発見することで安寧を得ようと死にものぐるいだ。就職する前に社畜化する。嘔吐する前に「喜んで」過労死するのである。

  仔牛は生まれてひと月もすると、飼い主に向かってきてぐいぐい押して来る。

 高校生にとって尊厳とはなんだろうか。かわいい制服か、大会勝利の実績か、東大合格数か。個人の尊厳なんてどこにもない。尊厳までが偏差値別に分配されて、その結果を受け入れている。勉強もスポーツも容姿や家柄もいいところは、あらかた「名門」にさらわれ、その事実を肯定している。なぜなら彼等も成績や部活に到るまで推薦の種に、少しでも他人を出し抜くことに精を出した後ろ暗さがあるからである。勝ち組になるために一生懸命だった者が、負け組になったことを自然な成り行きと見なすのはあたりまえ。アフリカから拉致された世代のドレイは黒人であることの誇りを強烈に持っていたが、三代目になるにつれて、美しさや強さも含めて全ての価値は白人にあるとの世界観を受け入れてしまったという。尊厳の意識を持ったままではとても生きてはいられない日常であったのだ。
 若者も労働者もディオゲネスや狩野亨吉のような自足は思いもよらず、日々ますます消費地獄に生き埋めされる快感に歓喜する始末。高校生がそういう意識の入り口にあるという危機感を教師は持たねばならないのに、主幹主任教諭試験如きに目がくらんでいる。

 あのころ教師は何をしていたのか。一つ確かなことは、教師達の意識も勤務校の偏差値を上げることに向かい始め、進学説明会や中学校巡りをノルマ化したこと。つまり目の前の生徒達を置き去りにし始めたのである。教師は受験生に学校の誇大宣伝を、受験生は面接で自己美化を図る。その嘘に莫大な費用と膨大な時間を浪費する。教える側も教わる側も実態がない。実態のない世界に、友情も信頼もありはしない。ただ競争だけがある。生徒・教師双方とも感情は荒廃して批判精神は疲弊する。集団が競争して「尊厳」もどきが生まれると、個人の尊厳は次第に消滅する。

  締め切り前に仕事を始めないことは、この時代にあっては英断である。明日出来ることを、今日してはならない。一旦やってしまえば、あさってのことも来月のことも来年のことも、あの世のこともやりかねないのだ。生徒は文化祭の計画を一学期に提出し、教師は一年前に日程を教委に文書で届け出なければならない。家を建てればローンが払い終わらないうちにリストラされる。長生きすれば達者なうちに、「終活」を迫られる。この国の真面目なヒトは、自分の滅亡を怒りとして表せず美化して涙する。総玉砕の思想に幻惑されやすい。僅かな退職金やしみったれた年金さえ受け取る前に過労死してゆく。

『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』は、思考に「キックを入れる」

マルクスは私たちの思考に「キックを入れる」
 歴史主義とは、「今生きているこの社会は、始まりがあった以上、いずれ終わりが来る」という考え方である。「今ある社会がこれからもずっと続く」と思っている人間よりも、社会が変動期に入ったときに慌てない確率が高い。
 歴史主義は私たちに「ここより他の場所」「今とは違う時間」「私たちのものとは違う社会」についての想像のドアを「開放」にしておくことを要請する。
 だが歴史主義には欠点もある。つい「歴史を貫く鉄の法則性」を探して、「だから来るべき社会はこのようなものである」というような遂行的予言を行い、その予言を実現させるためにあれこれ余計なことをしてしまう。 社会は変化し、それはそれなりの必然性があるのは後になるとわかるが、どういうふうに変化するのか予見することはきわめて困難である・・・という身の程をわきまえた、消えゆく「歴史主義」があれば、ずいぶんと気分のよい思想であろうと思うが、残念ながら、人類はそのようなものをこれまで所有したことがない。
 「世の中、確実なものは何もありません」という涼しい達観に手が届きそうなものだが、全然そうならない

 レヴィ=ストロースは論文を書き始める前には『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』に目を通すという。マルクスを数頁読むと、がぜん頭の回転がよろしくなり、筆が走り出す。マルクスは私たちの思考に「キックを入れる」と彼は言うのだ。

 僕が高校に入って、初めて最期まで読み通した文庫本だ。
取り壊し寸前の木造校舎に集まって、卒業生をチューターに数ヶ月かけて読み議論した。疲れると卒業生は、たばこ代わりにチョコレートを配り、僕らは破れた天井から星空を見ていた。中学までの僕には、歴史は偶然の連続でしかなかったが、その偶然の中に繋がりと発展を見出すのが歴史だと知った。思考に「キックを入れる」とはそのことだ。

   高校生は80年代頃までは、偏差値選別体制を嫌悪し高校三原則を強く支持していた。それは過去の教育政策と現在の情勢の繋がりを掴んでいたからだ。誰が三原則を潰したかを知れば、自ずと選別体制の本質は分かってくる。
 だがいつの間にか、体制への憎しみが偏差値の低い学校に対する「ヘイトスピーチ」に変わるようになった。高体連の各競技大会では偏見に満ちたヤジがとぶ。例えば「落ちこぼれ!転べ!」・・・。これは僕が、高体連スキー部東京大会で聞いた言葉だ。偏差値が接近すればするほどつまらないことで蔑みあう。
 彼等がすでに40歳台である。「自由・平等・友愛」を生きた思想の地位から、穴埋め問題用の暗記単語に引きずり落ちたのである。 考える「授業」、あるいは「考えさせない」授業はそのようにして、授業外の生活の中でで実行される。

 ある夜明け前、僕は妻に叩き起こされた。東北東の空が「浮世絵のように美しい」と。漆黒の森影を前に地平に広がる透き通った茜色の空、その上に輝く天色、吸い込まれるような紺、絶妙の階調。夕べの強風がもたらした束の間の景色。やがて太陽が昇り全てが単調な色合い飲み込まれてしまった。値千金の数分。
 五月の明るい空の眩しさと照り映える新緑に感嘆していたのが、退屈な明るさに思える。
 高校の教室、廊下、通学路・・・にはこうした値千金の一瞬が散りばめられている。明るさと暗さ、幸福と悲劇、希望と絶望、信頼と嫌悪、未完成の美しさと大胆な明晰性・・・それらの狭間に潜む束の間の青春。アランが大学に赴任することを拒んだのは、それが大学生になると色あせてくるからだった。高校教師には、地位や収入には無縁のこうした「特権」がある。しかし多くは、愚かにもそれに気付かず見逃し続けている。

 ある日体育教師が「登校中の数人が数学の定理を巡って言い合いをしていた」と、輪番制で発行する日刊職場新聞に書いた。僕はそういう教師が現れたことが嬉しかった。生徒たちは、いつも誰かがそういう話をしているのだ。それに気付くことが、教える資格である。行政は教師のこういう資質を憎み破壊している。なぜなら、互いの尊厳の発見は、双方の権利の自覚に繋がるからだ。
  ヨーロッパの教師達には様々な休暇の権利がある、経験に応じて一ヶ月、三ヶ月、半年、一年だったり、無給なら無期限の休暇を保証している国もある。僕は都高教青年部合宿で「もう賃金はいい、研究と長期休暇の権利に取り組め」と主張したことがある。対立する双方の派閥から猛攻撃をくらった。お陰で僕は、どの党派からもうろんな敵と指弾されるようになった。

日本の学校には「完璧な」自治組織擬はあるが、自治そのものはない

 日本には全員加盟制学生自治会や生徒会があり、会費は学校がまとめて徴収する。こんな手厚い保護を青少年組織に保証する国はどこにもない。ソビエトさえ任意加盟を崩せなかった。フランスの高校生は、いくつかの「全学連」の機関紙を買うことで、それぞれの支持を表明する。だからこそ、フランスの全学連各派は主張を明白にしつつ、常に共同行動をとれるのである。日本の青少年は、完璧な制度に眠り転け決意する時はない。制度を困難の最中から立ち上げ、自力で工夫運営する経験が永久になさそうだ。分割隔離されたまま、監視制御され続ける。
 従って、日本の学生が「生活賃金運動」を起こす気配はあり得ない。「生活賃金運動」を必要としているのは、構内の清掃などの労働者ばかりではない。日本の大学では、教員までが自立した生活を営めない非正規労働者化しているのだ。
 高校生が過酷で無意味な入試制度や冷酷な雇用政策を巡って、政府と対決することも考えられない。高校生が数十万のデモを組織することもあり得ない。学生自治会や生徒会という制度は完備しているが、自立した自治がないのだ。
 九条があっても米軍が駐留し空母やミサイルを持つ自衛隊がある。憲法があっても、九十九条を政府が最高裁が教師が無視する。この不可思議な現象の根底には、何があるのだろうか。

 「自由には義務が・・・」と言う学生は少なくない。自由と自由権について思考することもないのか。スト権ストという不思議な闘争形態があったのか知ることもないだろう。

 憲法教育の盲点である。
 なぜ彼らは自由を義務で裏打ちしたがるのだろうか。自由が自由権でなく、権力者達の特権であった頃の想像から抜け出せないからではないか。それは特権者がいつまでも自由の排他的独占に酔いしれているからだ。彼らは自由は好きだが、自由権が嫌いなのだ。劣った者に人権としての自由を承認したくない。
 多分、特権者や権力者に管理される二次的特権の心地よさは堪らなさを感じている。むき出しの自由は、どっちを向いても怖いから。庇護された帰属意識的感覚が、名門校の世界観にはつきまとっているという偏見が僕にはある。

 「学校は出会いね
」と言い切った生徒がいる。彼女は感傷的な意味を込めてそう言ったのではない。教育してやろうとする僕らを諌めるかのように。視点をずらすことをすすめるヘーゲルのように。出会いは、互いの異質性の認識と関係であり時には危険でもあることを言ったのだ。一方的指導関係ではなく、対等な対決であることを言葉によって示すのだ。 
 小さな違いが大きな違い。ここに、ややこしい事態を打開する手掛かりがある。「出会いとは、関係であり対決でもある、一方的指導ではなく、対等であることを言葉によって示す」必要がある。
 日本の組織は予定調和を好んで、問題を直視する事を避ける。弱い側が我慢することで対立がなかったかのように、双方が振る舞う。大戦の戦争犯罪の法廷を国民の手で開けず、一億総懺悔に流れるのだ。いつまでも責任を追及すれば、非国民扱いされてしまう。同調しない者は常に敵なのだ。
 人は、誰もが異質であり対立する利害があるという事実から出発しなければならない。仲の良いことではなく、憎み合う関係の中に、成長の芽を見出し尊厳の発見に至る道が開ける。恋愛が反発の中から生まれるように。
 予定調和は、強者の極楽であり弱者少数者の地獄でしかない。しかし企業も学校も住宅地も互いに細かく隔離されて、互いの違いの中身と謂われを見つめ合うことすらないのだ。従ってその中に潜む矛盾を捉えることも、分析することも対策に知恵を出し合うこともない。偏差値による選別体制は、社会を停滞に追い込み、古い勢力を温存してしまう。社会の近代化を阻害する巨大な壁である。

教員も宗教者も集団化すれば、堕落する

 「迷悟一如」。迷いと悟りはひとつのことだ、と道元は言った。そして、迷うのも悟りの一つであり、悟るのもまた迷いの一つなのだと。だから,迷いと悟りはまったく同じものなのた、というのである。
 日本宗教界の戦争責任についての声明は、滅法遅かった。大方は50 年以上たってからのことだ。なんという迷いだ。 戦争被害者面して、50年以上も沈黙を守ったのは、もはや迷いとは言えない。悟りの境地か。これを「迷悟一如」と言いたい。
 それでも例えば、道元の曹洞宗は1992年「懺謝文」を出して 「曹洞宗が一九八〇年に出版した『曹洞宗海外開教伝道史』が、過去の過ちに対して反省を欠いたまま発刊され、しかも同書の本文中において過去の過ちを肯定したのみならず、時には美化し賛嘆して表現し、被害を受けたアジア地域の人々の痛みになんら配慮するところがなかった。かかる出版が歴史を語る形で、しかも過去の亡霊のごとき、そして近代日本の汚辱ともいうべき皇国史観を肯定するような視点で執筆し出版したことを恥と感じる」と言い切って、「悟り」の境地を見せた。
 だが、辺野古に教団は姿を見せない。宗教者個人は来ている。情勢が転じれば、たちまち「迷悟一如」だ。集団化して駄目になるのは、教員も宗教者も同じだ。パルチザンが形成されないわけだ。

 「毅然とした指導」という言葉が呪いのように、学校を駆け巡った時期がある。70年代都立高校で、服装規制が「基本的生活習慣」の確立を旗印に流行り始めた頃だ。これを主導する教員の多くが、自らを「民主的」と強く自認していた。あたかも乱世に生きる禅僧のように、悟り切り自信に満ち胸を張って職場を仕切っていた。しかしその中身は、多数決による「管理強化」にすぎなかった。 
 「外見の自由は基本的人権であり、個人に属する。特定の高校に属することを理由に一律に奪うことは出来ない、名門校や難関校だけが自由服として残れば、服装は特権になるのではないか」大学を出て間もない僕は、彼らに噛み付いた。
 直ちに反論された。「今の生徒たちの基本的生活習慣の乱れは目に余る、何らかの規制がなければ秩序が保てない。緊急避難だ」大学で共に活動した教員仲間にも同じことを言い出す者があり、中にはこともあろうに「特別権力関係論」をもち出す者まであった。とても正気の沙汰とは思えなかった。
 全国的に高校が荒れ、特に工業高校の荒廃の凄まじさが、マスコミを賑わさない日は希だった。工高に赴任してまもなく退職する若い教師も少なくなかった。「荒れ」現象の凄まじさ惑わされて、実態や本質をつかめない不安が教師の中にあった。「基本的生活習慣」という言葉が、すべてを説明し混迷する事態を解決する呪いのように思えたのだ。
 だが実態不明の「基本的生活習慣」が、なぜ服装如きで身に付くのか。何一つ自力で具体的に思考したものではなかった。
 「学校が毅然として一致して生徒に迫るためには、目に見える目安が必要、心の乱れは服装の乱れとして現れる」と支離滅裂なことだけが罷り通った。
 ではいつになれば解除するのかと僕は食い下がった。「4・5年」という。自由を奪われたまま卒業する生徒たちが続出するのではないかと切り返すと「 2・3年」と言った。
 こうして学校は、生徒の外見に気を取られ、授業の充実から逃避し始めた。教研に集まる教師の「実践レポート」から授業に関するものが目立って減り始めたのである。
 もうあれから50年弱。一体どこの学校が服装や頭髪などの規制を解除したのか。これは迷いか悟りか。ただの無知蒙昧の結果としての過ちか。生徒の生活の乱れを規制しているつもりが、いつの間にか教師の内面を権力が規制し始めても、抵抗を自粛する有様だ。そして、九条に関心を持ち行動する高校生も大学生も若い労働者も減っている。

 管理強化が生徒と学校のためになるのか、という疑問や不安はどの教師にもあったのだと思う。だから高生研の合宿や指導の手引き書が流行った。「迷い」が教師の学習を促し、「悟り」を注入した。しかし自ら悟る事は少しも出来なかった。「生活の乱れる」生徒への言葉は、冷静さを欠くものになり体罰を伴うようになったからだ。

 教員は起立・礼や前へならへに中毒している。それが無ければ不安で禁断症状も出る。そんなに「前へならへ」が好きなら、食堂や駅で勝手に大声を張り上げて一人でやればいいではないかといつも思う。「気をつけ」「起立・礼」が必要と思うなら、家庭や銭湯で、一人で毅然としてやったら良いだろう。君が代が素晴らしいと考えるなら、自宅でカラオケで原っぱで、思う存分歌え。止めないよ、だが他人に強制するな。迷いを隠すために、人は毅然を装う。

   大雪が降れば雪掻きをする。だが元気な小学生も中学生は出てこない、体力の有り余る高校生や大学生も出てこない。スコップを握るのは、足もとの覚束ない年寄りと長時間労働の疲れが溜まる中年ばかりだ。去年も一昨年もその前もそうだった。評価に結びつかぬことには見向きもしない、強制的ボランティア教育の見事な成果である。震災のようにマスコミが騒げば動く、政府が指図すれば動く、動員されれば動く。自分で判断せずに指図にだけ反応する。なるほど「迷い」はない。
 校庭やグランドで野球やサッカーをやっていた健康な連中は、雪の日に何をしているのだろうか。あちらこちらの雪掻きをして歩かないのか。大会目指してスポーツする若者が、年寄りや親に雪をかかせて、本人は炬燵でゲームに興じる。そして「健全な魂は健全な肉体に・・・」を座右の銘にする。なるほど、迷いがない。校庭や体育館では、立ち止まってお辞儀する。なるほど、悟りの境地か。絶対にデモにはゆかない、絶対迷いはない。

王様に貰ったミカン

 深酒して 終電車に乗り遅れ、交番で補導された事がある。身分証明を見せると、巡査は慌てて「失礼しました」と敬礼した。修学旅行引率では、宿の仲居さんから面と向かって「先生はどこ」と聞かれた。「僕です」と答えると、仲居さんは 一瞬呆然の後 生徒と一緒に大笑いした。引率されたのが二十を...