高校生たちの「荒れ」は「授業から逃亡する教師」への異議申し立てだった。

  承前 「校則強化肯定に潜む「因果関係」捏造」

  「・・・校則の厳格化や教諭らの指導が進む中、数年で生徒たちの行動も落ち着き始めた」「毎日新聞」(2022.02.16夕刊)と強弁して 、厳しい校則の効果を強調する論調は悲しいほど強い。

 しかし必要なのは、生徒管理に都合のいい現象を自らの取り組みに無理矢理結びつけることではない。表現の術を悉く奪われた荒れる少年たちの立場に立つことではないか。

 彼らの「荒れ」は校則で落ち着いたのではない。生徒たちの「荒れ」は、授業を忘れた学校への「異議申し立て」だった。異議申し立てを正面から受け止めた例は極めて希だ。いくら申し立てても、教師たちは聞く耳を持たなかった。

 疲弊した少年たちに広がったのは、「厳しい校則への依存」だった。

 アルジェリア独立革命を思想的に支え続けた精神科医ファノンの言葉がここでも有効だ。

  「植民地の民衆とは、その進化が停止し、理性を受け入れず、白身の事柄を処理できず、指導者の永遠的存在を求めている民衆である」 フランツ・ファノン『なぜ我々は暴力を行使するのか』1960年


 「因果関係」を「荒れ」と「秩序の欠如」の間に見い出す安逸な惰性が、如何に学校を堕落・停滞させたかを考えねばならない。「厳しい校則への依存」=指導者の永遠的存在への依存は、生徒だけの問題ではない。親にも教師にも行政にも広がったのだ。ファノンはこの屈辱的状況をこそ植民地的と呼び、独立への戦いを組織した。  

  

 90年代半ば、山手線に近い都立B高校定時制課程が荒れていた。生徒たちは校舎や校庭にバイクを乗り入れ、教室や廊下で花火、校庭にもたばこの吸い殻や菓子袋が散らばった。切っ掛けは校舎改築だった。教師たちは建物を可愛がった、壁にテープを貼るな、落書きをするな。建物が新しいから少しのゴミでも目立つ。口うるさくなる。生徒と校舎どっちが大事なんだと荒れる。近所からの苦情は絶えず、対策に追われて職員会議は週二回が定例。教員は疲れ果てるが為す術がない。

 ところが思い掛けない事で事態は一変する。夜間中学を卒業したお婆ちゃん数名が、勉強を続けるために入学したのである。

 彼女たちは、荒れる高校生に一瞬たじろぐが「なにしてるの、学校は勉強するところでしょう」と言いながら、教室に入り教科書とノートを広げた。数日の間に花火は姿を消し、静寂が訪れた。荒れ狂ったツッパリ達がおとなしく鉛筆を握ったのである。教師達が束になって説得し脅しても駄目だったことが、あっさり解決した。何が違うのだろうか。

 教師は、~するなと言う。命令である。お婆ちゃんたちは、~すると宣言し実行した。荒れるツッパリとその同調者だけで構成された均一の空間に、異質のお年寄りが加わることで突然起きる根底的変化、それが革命である。

 B高校定時制課程には、花火とバイクの日常があったのではない。学校の日常としての学習が無かったのである。式や行事と口やかましい清掃はやたらにあるが、日常としての学習は続かない。テストやオリエンテーションで芸術鑑賞など行事で呆れるほど中断される。退屈しないように、生活にメリハリを付けるとの御託であったが、退屈するほど淡々としているのが日常である。長閑で欠伸が出るのが極楽ではないのか。お釈迦様が欠伸をするほど長閑で退屈だから、蜘蛛の糸を地獄に垂らしてみたのである。それが日常である。それが無ければ、脅しても説得しても甲斐はない、彼らは何をすればいいのか分からない、しかし校舎が生徒より大切という教師たちには我慢がならないのだ。教師たちは、勉強しろと説教するのは得意だが、自ら勉強するのは何より嫌いなのだ。

 花火やバイクは少年たち自前の行事なのかも知れない。であれば、自前の手本で示すに限る。


 高度成長期、企業は気前よく泊まりがけの社員旅行を奮発した。海外も珍しくない。中でも人気はタイと韓国への買春ツアーであった。日頃国内では世間の目・世間体や社則に縛られ礼儀正しい筈の日本社員達は、飛行機のただ酒で酔い、ホテルロビーに着くや大声で「おんなはどこだ、女」と叫ぶ。彼らは日常を切り離して会社に置いてきた、その程度の世間であり常識であった。安手の日常が無ければ When in Rome do as the Romans do である筈だが、そこはローマでもロンドンでもない。アジアへの上から目線で、ここではカネが全て、日常も常識も要らない無いと決めてかかる。情事の後、ホテルのロビーに寝間着で繰り出し喚き歌い倒れる。一人ではやれない。成田に帰り着いた途端、常識や社則に復帰、「やっぱりみそ汁だね」と一等国意識に浸る。取り外しの出来る消費財としての日常・常識。男達だけではない、遅れて若い女性や主婦達が「男、オトコ」と海外リゾートで嬌声を挙げたのである。

 カントもこれが20世紀も後半の大人のことと知れば仰天するに違いない。中学生までは規律や道徳の規準は仲間集団にある。それが青年・高校生に成長するに伴い、道徳律は個人の内面に移り自立する。「たとえみんなが~しても僕は~しない」と。他者の異質性を容認擁護する覚悟はこうして芽生える。しかし我々の日本社会では、内なる道徳律は依然として確立困難。藩の掟、村の掟、家の掟、内務班の掟・・・が内なる道徳律の成立を妨げた。今、校則と部の掟そして会社の掟が青年の倫理的道徳的自律を妨げる。日常とは多様な個人が、コモンセンスによって合意する領域である。 違うことが、選別や憎しみの根拠となるのではなく、平等の前提となる。


 偏差値が異なることが選別の理由であり差別の根拠であると見せつけられた高校生が、「底辺」とは造られた体制と感じ、それを理不尽と捉えるのは知的成長の証である。荒れる怒りは、選別の体制仕組みに向けられねばならない。怒りが学校や教師に向けられるのは、選別体制の最前線と見なされたからであり、まさに文科省・教委の教員管理はそのように仕組まれている。善意で熱心であるほど生徒は荒れる。荒れる生徒を根拠に、行政は組織実態の無いに等しい教員組合を攻撃、教員教員の管理を強めるというわけだ。その点でも「底辺校」は選別体制に欠かせないものとなっている。

     

 B高校定時制に突然現れた「学ぶ」おばあちゃん達は、見かけも年齢も価値観も生活歴も全くの異質であった。中には民族や言葉の異なる場合もある。ツッパリから見れば他者。仲間内の掟が闊歩する言葉を要しない均質社会に、コモンセンスが浮かび上がらざるを得ない。冷静に見れば、おばあちゃんの存在は、あんこの中の僅かの塩にも似ている。教師は生徒が毛嫌いする饅頭を、旨いぞ旨いぞと手を変え品をかえ砂糖を増やすばかりであった。飽きるように怒りが込み上げるように工夫を凝らして無駄に消耗する。

 思いがけない展開で、B高校定時制は職員会議を減らし、やがて二週間に一度に変えた。こうして高校定時制の生徒も教師も学校の日常を発見したのである。

 

 学校は生徒の中にも教員の中にも、異質な他者を具体的に含む事で、普遍的健全性を実現するのだと思う。困難校の厄介で気の滅入る困難も、異質の他者性を回復することで容易く消える筈である。


 スーパーサイエンスハイスクール如きを賞賛すれば、その対極にB高校定時制同様に荒れる学校が必ず出現する。さもなくば社会全体が、厳しい校則への依存症に感染する。「総合学科」、単位制高校、特色ある学科、公立中高一貫教育校など高等学校の多様化・特色化が一気に進んだのがB高校定時制課程が荒れ始める少し前、90年代である。

 学校の日常は平凡に長閑に学ぶことを核に構成されねばならない。そのためには選別を排して、雑多な社会を教室に職員室に再生する必要がある。スーパーサイエンスハイスクールや底辺校の日常が個別に存在するのではない。それは教育の非日常なのだ。


  もう一度言う。「厳しい校則への依存は、生徒だけではない。親にも教師にも行政にも広がってしまったのだ・・・国会にも。

  「なにしてるの、学校は勉強するところでしょう」は教師にも向けられている。

校則強化肯定に潜む「因果関係」捏造

 かつて東海地方の中学校管理職がシャープペンシルを禁じた。「シャープペンシルは重いから頭が悪くなる」と言うのが彼の理屈であった。

 東京のある女子校で、遅刻三回で退学という校則を作った。見事「遅刻」する生徒はいなくなった。これをこの学校は、生活指導の成果と説明した。

 学校管理に潜む都合のいい「因果関係」捏造は絶えることがない。


 「因果関係」捏造は霞ヶ関の十八番だった。厚生行政は、「絶対隔離のおかげで日本のハンセン病は消滅に向かった」と言い続けた。それが業界の利益を守るからだ。

 その醜悪な政策を支え続けて来た「日本らい学会」のあまりにも遅い自己批判が有る。引用する。  

 ・・・最も確かな統計とされる徴兵検査の際に発見されたらい患者、・・・の年次推移は、1897年から1937年にいたるまでに、急速な減少・・・を示している。・・・疫学的に見たわが国のらいは、隔離とは関係なく終焉に向かっていたと言える。つまり、このような減少の実態は、社会の生活水準の向上に負うところが大きく、伝染源の隔離を目的に制定された「旧法」も、推計学的な結果論とはいえ、敢えて立法化する必要はなかった。・・・

 ハンセン病治療は、当初から外来治療が可能であり、・・・特別の感染症として扱うべき根拠はまったく存在しない。・・・

 「現行法(らい予防法)」はその立法根拠をまったく失っているから、医学的には当然廃止されなくてはならない。・・・

 隔離の強制を容認する世論の高まりを意図して、らいの恐怖心をあおるのを先行してしまったのは、まさに取り返しのつかない重大な誤りであった。この誤りは、日本らい学会はもちろんのこと、日本医学会全体も再認識しなくてはならない  1995年4月22日 「らい予防法」についての日本らい学会の見解 第68回会長 中嶋 弘

 全生園園長を務めた国立ハンセン病資料館長成田医師は、更に言う。                                  

 「はっきりといってわが国の癩対策は、予防的効果において自然減を越えたとは考えられず、癩による災いを本質的に取り除いたわけでもないから救癩でもなく、それに産業系列から生涯隔離したのでは救貧にもならない・・・療養所の医療は・・・はっきりいえば、、多くの患者はまさに見殺しにされていた・・・」 


 ・・・ハンセン病を「ペスト並みの恐ろしい伝染病」と脅威を捏造宣伝し、実体のない恐怖を煽り立てただけでも大罪である。事もあろうか、捏造した恐怖を根拠に、有無を言わさず患者を収容、全患者絶滅に向けて強制労働を課し、劣悪な衣食住環境に放置、治療を回避、尊厳も命も奪った。償いようのない未曾有の犯罪であった。世界の非難を浴び続け、世界に遅れること数十年、漸くにして隔離の無効性と間違いを、その専門医が「自己批判」した。1995年4月22日、余りにも遅いのである。彼らが謝罪すべき人びとの多くは、すでに惨めな死を強制されていたのだから。

 日本のハンセン病行政に、国際的な医療技術・理論・思想に謙虚に学ぶ姿勢さえあれば、日本のハンセン病者にはまったく異なった人生があったことは疑いない。らい学会自己批判がそれを明確に語っている。

 奪われた数万に及ぶそれぞれの、強いられた人生とあり得た人生を、想像しなければならない。

 隔離は死亡率の高い急性感染症だけに適用される。ハンセン病は急性ではなく、感染力も死亡率も極めて低いのである。感染症の隔離には、相対隔離と絶対隔離がある。相対とは条件付き、絶対とは条件なしということである。前者が例えば、自宅隔離を認めたり、治癒後は退院を認めるとか、家族生活や家族による看病を認めたりするのに対して、後者は本人の意志に係わりなく例外なく終生隔離するのである。日本では始め「浮浪癩」を対象にしたが、政策考案者光田健輔は当初よりすべての患者隔離を目論み、やがて実現させてしまう。                        拙著 『患者教師・子どもたち・絶滅隔離』地歴社刊


 絶滅隔離とハンセン病消滅の間に因果関係はない。栄養状態や住環境など生活環境向上がハンセン病を絶滅に向かわせた。結核とツベルクリンの関係も同様、業界に都合のいい辻褄合わせに過ぎない。


 画像の毎日新聞記事は、「・・・校則の厳格化や教諭らの

「毎日新聞」(2022.02.16夕刊
から切り取り
指導が進む中、数年で生徒たちの行動も落ち着き始めた」ことで 、厳しい校則の効果を強調している。

 我々に必要なのは、都合のいい現象を自らの取り組みに無理矢理結びつけることではない。生徒たちの「荒れ」は校則で落ち着いたのではない。生徒たちの「荒れ」は、授業を忘れた学校への「異議申し立て」なのだ。ここでは「因果関係」を「荒れ」と「秩序の欠如」の間に見いだすことが、如何に学校を堕落・停滞させたかを考えねばならない。

 厳しい校則への依存が、生徒にも親にも教師にも行政にも広がっていることに気づく必要が有る。我々は少しも歴史に学んでない。  

  「植民地の民衆とは、その進化が停止し、理性を受け入れず、白身の事柄を処理できず、指導者の永遠的存在を求めている民衆である」 フランツ・ファノン『なぜ我々は暴力を行使するのか』1960年

 90年代半ば、山手線に近い都立B高校定時制課程で起きたことを次回例示する。

追記 ハンセン病を「ペスト並みの恐ろしい伝染病」と光田健輔とともに宣伝し恐怖を煽り立てた渋沢栄一が新しい一万円の顔になる。日本の過去から都合のいい側面だけを抜き取る風潮は危険だと思う。

学校もfake 情報を操って、架空の「安定」を保って来た

 安倍晋三は、2017年2月17日、衆議院予算委員会における福島伸亨議員の質問に対し、「いずれにいたしましても、繰り返して申し上げますが、私も妻も一切、この認可にもあるいは国有地の払い下げにも関係ないわけでありまして・・・私や妻が関係していたということになれば、まさに私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい。」などと答弁した。これは学校法人「森友学園」への国有地売却問題と、その後に起きた財務省による公文書改竄に絡む発言である。

 対して英国では、コロナ対策でロックダウン実施中の2020年5月、首相官邸に100人以上を招待して「飲み会」が開催された問題で、首相が辞任寸前まで追い込まれる。

 この絶望的落差。あったことをなかったことにする、なかったことをあったように告げるのを「インチキ・いかさま・偽造・fake」という。


 国の基幹統計「建設工事受注動態統計」の不正をめぐり、国土交通省の本省職員が受注実績を無断で書き換えて二重計上していたことで、2020年度の統計数値が約4兆円過大になっていた。国土交通省が宗教政党の定位置となって以来の悪事。

   統計法は第60条で

〈次の各号のいずれかに該当する者は、六月以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する〉

〈二 基幹統計の作成に従事する者で基幹統計をして真実に反するものたらしめる行為をした者〉と規定している。 


 日本は首相が国会でいかさまを働いても、官僚が証拠を隠滅する。権力が私物化され、悪徳官僚は「異例の出世」。こうした権力によるいかさま=fakeが、革命やクーデターをもたらすどころか、隠蔽は更に大きな隠蔽を生み破局に向けて驀進する。帝国陸軍だけがfake 情報を流して、破局を招いたのではない。


 体系的fake 情報に、我々が初めてにさらされるのは学校である。 「学力が明るい未来を約束する」これが最初に子供の脳を洗浄する。そのためにはいい学校に。 

   だがそもそも学校をランキングする行為は、誰の為になるのか?   学校の何を取り出して何処と比べているのか。それは比較に値する事柄なのか。その数値に右往左往する。いい数値は学校に付いたもので、君個人の特性互いに独立したものだ。気付かないのか、学校のバッジや制服を身につけることは、君の君らしさを消し去ることなんだ。

 教科書自体がfake処理=検定される。教科書を使えばfake 情報は、「公認」の情報と化す。日本が如何に優れているか、美しい城郭と歴史ある家系を戴く国に生まれことが如何に幸福なことか。

 「学力が明るい未来を約束する」「服装の乱れは心の乱れ」「愛の鞭は体罰ではない」「校長は行政の末端である」  

  「学力が明るい未来を約束する」が本当なら、「低学力」に認定された側には絶望の未来を制度化する。成績に関わりなく、文化的で豊かな生活の保証が学ぶことの前提になければならない筈。にもかかわらず教員は低学力による格差の悲惨を煽り立てて、自らの職務から逃亡し続け来た。管理職になれば「校長は行政の末端である」と言い放って授業から逃亡。その怠慢が塾を繁栄させる。努力は塾資本を肥え太らせ権力に接近させる。競争は決して少年たちを豊かになどしない。

 受験戦争とはよく言ったものだ。闘い終えた本人には小さな墓標が与えられ、結果は全て「商人」が掠取する。「主権者」たる少年たちは、煽て騙され塾と部活に明け暮れ青春を潰された挙げ句、塾資本と教材屋に巻き上げられる。「頑張れば結果は着いてくる・・・」と本気にする高校生がいるとしたら、酩酊している。

 であれば学校では王子工高のM君のように「寝る」のが正しい。学ぶことは現在の順位や未来の栄達とは関係のないことだと気づくまで、自らの尊厳のためと悟るまで。   


遅刻・居眠り、実存 

  青少年の自立を促す役割を担う教員に欠かせない素養は、学校の尺度では測れぬ少年たち独自の時間(若い教師であれば、数年前までは少年だったはずなのに、早々とそのことを忘れていることに危機感を持つ必要がある)を感じること、長時間観察に耐えることだ。それは在籍期間を上回ることさえある。


 王子工高のM君は、遅刻(並の遅刻ではない、二時間、三時間はざらで六時間目終了間際に登校したことも)と授業中の居眠り(教卓の真ん前で、折りたたんだバスタオルを枕に「熟睡」する)。掃除もせずサッサと不機嫌なまま下校。その他諸々に生活は乱れ切った。

 少年らしい快活さが戻るのに、二年半。僕は成績会議の度に「優秀な担任は、こうした生徒を早期に退学させるものだ」と咎められて胃が痛くなった。

 困り果てたM君の父親は度々登校して「息子を殴って下さい」と懇願した。「それは僕の仕事ではありません」と僕は言い続けた。

 不思議なことにいつもギリギリの点を取り、実習や実験レポートもすれすれで提出して進級した。教科担任の中にはM君の顔を忘れた人もいた。


 秋のある日だった。倫理の授業中、突然M君が起きあがって腕組みして僕を睨んだ。「よう久しぶりだな」と言おうとしたが、険しい顔付きに押されて無駄口を出せない。長い時間を教卓の真ん前で身じろぎもせず睨み続けた。数日後、数人の生徒が「先生、大変だよ。来てよ」と言う。慌てて駆けつければ、「あいつが掃除してるんだ、大変だよ」とM君に聞こえるように言う。箒を握ったM君が笑いながら僕を見ている。「うん、これは大変だな」と笑い返した。それから、彼は卒業まで一日も遅刻せず登校し、居眠りもしなかった。彼の生活の変貌振りは、微笑ましく凄まじかったがここでは書くまい。


 最初これはこの日の授業(「実存とは何か」)のお陰だと考えていた。彼の熟睡は寝た振りと考えた僕は、彼の反応を狙って授業を組み立てたのだ。

 「親や教師から説教されると、それが正しいと分かってもムカッとする。人間は、自分でももうこんなことは止めようと思っているときに、そのことで説教されると殊更ムカッとするものなんだ。この反応を「反抗」と呼ぶ、反抗は誇りある人間の証だ」と講じていた時、M君はガバッと起き上がった。僕はこのことを「不当強調」したい誘惑に駆られた。しかし大切なのはM君の主観において考察することだ。「不当強調」は倫理上の罪である。


  M君は、学校や家庭の常識に振り回され続けた。「このままではろくな大人にはなれない」「世の中は甘くない」と。だがM君は、一方的に説教される客体ではなく、状況に主観的に自らを投入する主体である。そのことに気付き始めていたのではないか。M君が自力で辿って得たものこそ思想である。

 彼は、学校や親の一方的断定に押されて、心が受動的=パッシブになった。二年以上を「沈黙」のうちに過ごした。彼は「自由と不自由の際」に自ら立っていた。

 「青年は荒野を目指す」という科白があった。少年はいつか「自由と不自由の際」=荒野に立ったことを自覚して青年になる。教師や親の判断に依存するのではなく、自身の主観において世界を引き受ける。それが自立である。

 M君が二年余の眠りから目覚めたのは、僕の授業のおかげではない。そう思い込んだのは、教師の傲慢=「不当強調」だった。 

 

「飼育」を拒否して自立するには、安逸な「檻」から自らを隔離しなければならない。だからM君は敢えて堂々と「寝た」のだ。アランが、考えるためには「静かで暗く長い時間」が必要と言ったのはこのことだった。その暗く長い時間を、耐え抜き考え通したのは彼自身である。

 哲学は、少年/少女ら自身の中に生まれる。我々が「教えてやる」ものではない。


 この項は2019年のblog投稿「自然には独自のリズムがある 少年の自立と成長には深く静かな時が欠かせないから抜き書きした。


「開発」が伴えば、持続可能な未来はあり得ない

  SDGsは「Sustainable Development Goals」の略。我々「生物」にとってすでに進行中の絶滅は、Developmentを反転させることなしに止めることも減速させることもできない。持続したければ「縮小」再生産のみが、我々に残された選択肢、つまり選べない。しかし業界の利害は「持続可能」を自分に限る惰性を持っている。


 地球は、全生物種の大半が絶滅する「大絶滅期」を何度も経験している。6,500万年前(白亜期)の巨大隕石の衝突で、全生物の約75%が絶滅した恐竜の絶滅もその一つ。現在は「大絶滅」をはるかに上回る速度で加速している。


 恐竜時代以降絶滅した種の数は、恐竜時代は1年間に0.001種、1万年前には0.01種、1000年前には0.1種、100年前からは1年間に1種の割合で生物が絶滅した。現在では1日に約100種。1年間では約4万種が地球上から姿を消している勘定だ。驚くべきことに、わずか100年で約4万倍以上の速さで滅びる。加速の度は止まることを知らない。このままでは25~30年後には地球上の全生物種の1/4が失われてしまう。大食いやメダル競いに明け暮れている場合か。持続「不」可能な地球に首まで埋まっているのに。 


   生物の絶滅に最も大きな役割を果たしたのは人類ではないか。であれば人類そのものが絶滅種になることは、倫理的必然。人類人口の爆発的増加は、人間の「開発」行為がもたらしてきた。プラスチック製品はそのほんの一部、安く便利だからと大量生産・大量廃棄する。おかげで海のプラスチック塵の総重量は凄まじく増え続け、2050年までに魚類の総重量を超えてしまう。

   便利さと儲けに目が眩んで、全世界で軍用機の総数は5万2107機をこえた。このうち1万3717機をアメリカが保有。2位ロシア3547機、3位中国2942機、4位インド2086機、そして5位自衛隊が1590機。空中で二炭素炭素をまき散らす殺人兵器の圧倒的多数をアメリカが持っている。 

 ストックホルム国際平和研究所による武器製造と軍事サービス企業の売上高は、1位アメリカ「ロッキード・マーティン」軍事部門の売上高は357億ドル(2兆8584億円)、2位イギリス「BAEシステムズ」328億ドル(2兆6304億円)、3位はアメリカ「ボーイング」313億ドル(2兆5088億円)と続き、上位10社のうち7社がアメリカの企業で占められた。また、上位100社ではアメリカの企業は44社で、世界の総売上高の60%を占めている。

 銃による死亡の多くは、家庭内で起きている。同様に武器の主要な矛先は国内にある。


 「死の商人」には「破壊と殺戮」の「持続可能」性こそ希望なのだ。であれば地球は絶滅を回避できない。

 小さなことを積み重ねて、絶滅を僅かに遅らせることしかできない。

 例えば、すべての公用車を廃止して、閣僚も議員も官僚も自転車やバスでの通勤や移動を義務づける。議員も高官も街の喜怒哀楽を肌で受け止めることになる。教師や学生も自治体職員も徒歩を原則にして、入試は廃止する。石油も鉄も単純に減少する。大勢が失業する、ワークシェアリングの絶好の機会も訪れる。暇と適度の所得と自由は、我が国が経験したことのない「発展的」事態をうむ。


 中国青島では、青岛啤酒のビニール袋での売り買いが昔から定着している。
紹興では夏の暑い盛りに、路地に薬缶に沸かした麦茶が置かれ、添えられたコップで行き交う人々が自由に飲むようになっていた。ロシアではソ連時代から清涼飲料水「クワス」を、車輪付きタンクで売り回っている。

 アルミ缶清涼飲料は中身より缶の方が高い。


「一に遊べ、二に遊べ、三・四がなくて、五に学べ」

 挨拶に立った校長は、風貌だけで入学式に居並ぶ参加者をシーンとさせた、痩せて哲学者を思わせる鋭い眼差し。而も「一に遊べ、二に遊べ、三・四がなくて、五に学べ」と生徒・父兄一同を仰天させた。親も子も、勉強好きを自負していたからだ。それを校長は叱った。君たちは点数が好きなのだ。遊びとは点数や順位から自由になること。そこから「学ぶ」事の意味が見えてくる。

 聞けば、校長は農業経済学者。放課後、僕は引き込まれるように農学部の研究室に向かった。 ノックすると内側からドアが開き、賑やかな部屋から校長の「入りなさい」と言う声が聞こえた。もうすでに校長と馴染んでいる者がいたことに吃驚。狼狽えた僕は「又今度、来ます」と言ってしまった。

   大きな転機だった。翌日僕は『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』の読書会に誘われたからだ。文庫版『空想から科学へ』をファラデー『ろうそくの科学』の類だろうと買ったが、まるで歯が立たない。休み時間に四苦八苦していたのを上級生が見かけて誘ってくれたのだ。崩壊寸前の旧校舎での読書会は、放課後から星の出る時間にまで及び、毎回企業や大学の最前線で活躍する卒業生が招かれた。

    面白かった。中学とはまるで違う世界がそこにはあった。ベトナムについては卒業生による現地報告が切っ掛けだった。トンキン湾事件が起きたのは中三の時だったから、真相とその背景を知ったときは驚いた。それから様々な討論会や学習会に参加するようになった。ビラを作り教室を回ってアジった、デモも呼びかけた。高校から大学卒業を経て、サイゴン解放までは長かった。ホーチミンはすでに亡く、僕は就職していた。

 記憶の中に、校長の研究室に出入りしていた同窓生が浮かぶことがある。晴れた日も長靴を履き、寡黙で皆と一線を画していた。彼らが温室や畜舎に入りながら顕微鏡やシャーレー相手に奮闘していた姿を想像する。少年は、式や学年によって一律には成長するものではない。早熟も晩成もあって、なかなか混じらない。それでいいのだ。

 二中で僕は理科室の鍵を任され、夜も一人で実験を繰り返していた。だから顕微鏡とシャーレーは僕にも魅力的な世界だ。

 卒業名簿には、日本ではなく直接オランダやデンマークの農科大学に席を置く者が毎年何人かあった。外貨の持ち出しが厳しく制限された時期、特異な例だ。僕は一時期ローマのシネチッタに留学して、フェリーニから学ぶことを考え色々調べた。絶望的に難しかった。彼らはオランダやデンマークの農科大学へのツテをどのように掴んだのだろうか。 

 ベトナムが解放されるなら、何もかも諦めてもいい。そう考え行動し、父や母を泣かせ怒らせた。また同じことをするような気がする。この頃の自分に一言いうなら、苦虫を噛んだような顔で低くこう言う。「バカだな、お前」。

ぶれない事が重要か

 「我が「党派」はぶれない」と宣言するのが流行った。 

 オウム真理教のサリン殺人実行犯や戦中の皇道主義者たちは頑強に「ぶれ」なかった。彼らは揃いも揃って、ぶれを知らない「エリート」であった。ノーベル賞を目指す快活な大学の研究者、士官学校や兵学校出。彼らは民衆がどんなに犠牲になろうとも、些かも「ぶれなかった」。信念があったからだ。傍目には愚劣極まる宗教儀式に邁進しても「ぶれない」どころか信心を深める。信じれば信じる程「ぶれず」に虐殺は激化。たとえ負け続けても「ぶれ」ない。だから玉砕まで止まらない。

 切羽詰まって藁をも掴もうとする人には、それは藁だと教える必要がある。敗戦の半年前、「赤飯とラッキョウを喰えば爆弾に当たらない」という迷信が流れていたと、当時の朝日新聞が社説に書いている。人々が藁に縋りたくなったのは軍国政府が事実を伝えないからだと新聞までが書くほど流言蜚語が激しくなっていた。鬼畜米英や大東亜共栄も現人神も「流言蜚語」以外の何物でもない。 

 しかし藁を信じる者が「権力」ある多数派になれば、皇道主義以外を排除する言論報国会如きが組織され、藁だと指摘する者が迫害される。藁を掴めと叫ぶ事が「ぶれない」姿勢であった。竹槍で艦砲射撃やB29に勝てると信じて疑わないのが「ぶれない」愛国心であった。いま言論報国会は「電通」と風貌を変えている。

 電線の鳥や一本足で立ち尽くす鳥は、よく見ると畳んだままの翼や体を微妙に動かして絶えず重心を調整している。しかも夜はその状態で睡眠する。微かに絶えず「ぶれる」ことで落ちない。普段は飛ばない鶏でさえ、枝や棒に留まったまま睡眠を取れるのはそのおかげだ。

 

 教養とは「ぶれる」ことである。誰かどんな時にどのようにどこを向いて「ぶれる」かが問われる。陶器製の鳥はいとも簡単に電線から落ちる、絶対「ぶれない」からだ。安定と「ぶれる」ことは対立しない。

  

王様に貰ったミカン

 深酒して 終電車に乗り遅れ、交番で補導された事がある。身分証明を見せると、巡査は慌てて「失礼しました」と敬礼した。修学旅行引率では、宿の仲居さんから面と向かって「先生はどこ」と聞かれた。「僕です」と答えると、仲居さんは 一瞬呆然の後 生徒と一緒に大笑いした。引率されたのが二十を...