「音楽のレッスンも嫌いだった。先生が時代遅れの機械的な方法を使ったりするのがとんでもなく嫌でね。でも、13歳くらいの頃だったかな。モーッァルトのソナタ曲に出会って音楽に対する興味が目覚めたんだ。私はモーツアルトの独創的で素晴らしい健雅さを再現できるようになりたいと思った。私の本当のレッスンが始まったのはそのときだった。残念ながら、正式な指導はたった1年くらいしか続かなかったけどね。だけど、そういった美しいソナタの音色を奏でようと試みることによって、私はテクニックを磨いていけた。私はいつだって何だって独学で学べると信じている」
宋人有閔其苗之不長而揠之者。/芒芒然帰、謂其人曰、「今日病矣。予助苗長矣。」/其子趨而往視之、苗則槁矣。 天下之不助苗長者、寡矣。
孟子の「助長」である。抜かんばかりに引っ張っても、芽生えようとする勢いを削いでも。どちらも枯れる。我々の教室では、指導と助長は相互に重なり合い、教師の少なくない者が、宋の農民のように振る舞って嘆いて見せるのだ。それが大人の、教師の努めであると言いながら。
Cuba独立の父マルティは、詩人でもあり、ラテンアメリカ最初の子供向け雑誌「黄金時代」を発行している。当時の書評は「子供のための月刊誌で、子供ためのよりよい教育と大人の楽しさを持っている」と書いてその高い水準を激賞。
ホセ・マルティの語りは一貫して子どもと大人を区別しなかったという。
今、教師の創造性や試行の喜びを抑圧している授業評価、「わからない、難しい」の項目が小学校から大学までも付け加えられ、教師は脅えている。「わからない、難しい」がつかないよう工夫を凝らす。
だが「わからない、難しい」は、暫しの厄介を含むものの歓迎すべき贈り物でもある。
お茶の水女子大学の周郷博教授は、付属幼稚園園長も兼ねていたが、園児相手の話でも学生・院生と区別はしなかったという。その話を聞きたさに入学した学生も少なくなかったという。ただ難しくて分からないのではない。分かろうとする衝動を掻き立てる難しさ、それが何年も何十年も持続して、知的好奇心の核になるのである。
原石の果て知れぬ不思議に満ちた美しさは、機械的に加工された宝石を遙かに凌駕する。機械的に加工された石は経済的価値の基準でしかない。 わからないことを自力のみでわかり通す興奮は、その歩みがどんなに僅かで少なくとも、少年の内なる知的動機を掻き立てる唯一の源である。
それ故ホセ・マルティの言葉は、数十年を経てカストロ青年たちの心を深く捉えたのである。
カストロ青年らは、マルティ生誕百年を記念して「百年記念の世代」と名のり、モンカダ兵営を襲撃、革命闘争に立ち上がっている。襲撃は失敗、逮捕されたフィデル・カストロは、非公開裁判でも自からを弁護した「歴史は私に無罪を宣告するであろう」との名弁論のなかで、マルティこそが「7月26日の知的作者」だと宣言したのである。それ故、彼らは先ず、全土でことごとく兵営を教室に変え、識字運動を展開したのである。
追記 マルティはスペイン軍との戦い倒れるのだが、その前日メキシコの友人にあてた未完の書簡で
「合州国は、アンティル諸島に手をのばし、さらに強大な力でもって、アメリカのわれらの国ぐにに襲いかかろうとしています。それをキューバの独立でもって阻止するのが、私の義務です。そして、その義務のために、私は、生命をささげる危険に絶えずさらされているのです」と書き残している。革命当時Cubaは孤立していた。しかし今や、孤立しているのは米国である。カストロとゲバラはマルティの言葉を文字通り命を賭けて実現したと言える。1999年Cubaはマルティ主義を掲げた。
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