「遠き山に 日は落ちて・・・今日の業を なし終えて・・・いざや 楽しき円居せん」家族にとって子どもが学ぶことの意味は、ここに尽きる。我々は、卑しくも常に教育の利を言う。「楽しみ」は、嬉しさや愛情に満ちて、成果や競争をいとも軽く退ける。奥多摩の山麓から通う生徒であった。
こういう知らせは、PTAで聞くこともある。卒業式当日、わざわざ準備室を訪ね来ての話もある。父親であれば、この日ぐらいしか時間はとれない。授業参観の次の日、感想と共に「是非いっぱいやりましょう」との手紙が届くこともある。生徒が親や兄弟に伝える授業の内容は、様々に変容する。親が我々に伝える内容は更に変容する。その変容の豊かさ・多様さから、僕たちは生徒・家庭・地域・労働の実態課題を掴むことも出来る。学校への思いも知ることが出来る。それが学校を変えてゆく。
学区制の解体が、地域とのこうした結びつきを断ってしまった。むしろ結びつきを断つために、学区解体と強制異動があった。
授業が家庭に伝わり、その評判が学校に戻ってくる。これもまた「参加」である。我々の知らないところで広がる多様な波紋にこそ、鋭敏でなければならない。遠いところでしか交わされない、我々に対する痛烈な批判がある筈だからだ。
円居の楽しみとしての教育への期待が、親と子にはある。国民の学習権が学問の自由の基礎にあるように、全人類的視点は、家族個人の楽しき円居があってこそ。人類には、円居の楽しみが重要な位置を占めている。
子供がその日習ったことを両親や祖父母の前で喋る。その時、両親や祖父母は最良のワキである。漱石の師匠は宝生流の名ワキであった。ワキの動きや言葉は、シテのの演技が始まると極めて少なくなる。場合によっては物陰に隠れて居ないかの如くである。しかしワキが舞台から姿を消せば、芝居全体のリアリティが消えてしまうのである。 家事をしながら、お茶を点てながら子や孫の話を聞く親や祖父母の姿は、まさに名ワキである。
僕の家族たちも、僕たち兄妹が小学校から帰ると、先ず国語の読み方の復習を聞くのを楽しみにしていた。正座して、背筋を伸ばし腕を伸ばして読む。聞く方も正座しながらお茶を飲んでいる。親戚も「どれ、伯父ちゃんにも聞かせんね」と催促する。僕は門で待ち構える近所の友達と遊ばなければならないから、大急ぎで読む。おかげで大変な早口になってしまった。一年生の妹は、ゆっくり丁寧に読み、算数や音楽までやって見せていた。僕は夕食後、理科の実験をやることがあった。
時には祖母たちが、昔からの仕来りを季節ごとに教える。月見には、あんこ作りを数日前から始める、学校から帰ると蒸した米の粉で団子を作り湿った布巾が掛けてある。夕方には丘に上がってすすきを刈る。この日は月が海から上がるのを見るために、晩御飯は早く済ませた。三方に盛り付けた団子とすすきを前に、みんな縁側に正座する。昔話や言い伝えを聞くのである。月は波に映え、入江の崖に自生する松が美しく思い出されるのは、こうした懐かしい光景があるからである。こうした行事は少なくとも月に一度はあった。教育は学校の独占ではなかった。
追記 学校も教師もワキに徹しなければならない。教師はどうしてもシテになりがちである。教育行政や議員がそれに乗じてシテを演じる危険は常にある。シテは青少年だけである。
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