高校生が市長選に繰り出し演説した頃

  1998年11月~1999年2月にかけて実施された 「戦後学制改革期における新制高校卒業生の意識調査」 がある。 調査は京都と静岡の1950年度公立高校卒業生を対象に行われた。当時の高校生自身の回想証言である。京都の例を幾つか抜き出した。
敗戦直後の雰囲気を伝えている。県立飯田高社会科学班。
  「生徒大会での白熱の討議、クラス誌・クラス新聞の発行、活発なクラス行事などを通じてピカピカの「民主主義」を身につけていったとおもう。クラブ活動も花盛りであった。今もってありがたく思うのは、その運営が生徒の自主性にまかせてもらえたという事である。・・・新聞部においても、企画・編集の段階からすべてを生徒の手で行えたし、およそ検閲に類する事は、いっさい受けた覚えはない。・・・おかげで三年間、思うさま青春の醍醐味を満喫することができ、出会うべき友と出会い、持つべき志を抱くことができた」      加藤豊

  「「ここには素晴らしい本がある」・・・と、何人かの先生たちが・・・冷えきった書庫の中で、長い時間、まるで真剣勝負のような厳しい表情で本と対峙しておられる姿に・・・深い感銘を受け、いつしか、私の人生の中にも、本が大きな位置を占めることになっていった。・・・図書部は完全なクラブ制で・・・毎日毎日遅くまで新しい分類法を学んで取り組んだ。この作業は、時を惜しんで夏休みも続けられた。・・・時には書庫の窓明かりで長時間読み耽っていた記憶が、すうっと体全体に甦ってくる」 川口則子 

  「・・・向かいの島津製作所には進駐軍が駐留し、夜になると、塀もなく、窓ガラスも破れ放題の教室に女を連れ込んで、狼藉を繰り返した。・・・市長選挙目前に、立候補予定の高山義三氏に面談・・・選挙戦になると、生徒会役員らを動員して選挙演説を繰り返した。・・・勝手連の走りである。予想通り彼は当選した。・・・アッという間に塀ができ、守衛が置かれ、学校の環境は一新された。・・・学校側にも明確な指導方針が打ち立てられない混乱期だからこそ、自由にクラブや生徒会活動を行うことができた」                 仙元隆一郎  
  まさしく新制高校発足の日々、この高校は京都市内。一学級は50人を超え、一学年10 学級以上、教室さえ足りず午前と午後に分けて二部授業、便所も足りず仮設のベニヤ作り、物質的には無いものだらけの新制高校であった。

 当時の高校生たちは、「高校の印象」を聞かれて、非常によかった 23.0%、 まあよかった 62.7%、 あまりよくなかった 13.4%、 非常に良くなかった 0.6%と回答している。
  続いて「高校が良くなかった」と答えた14%(13.4%+0.6%)に対して、複数回答でその理由を聞いているが、多い順に授業、設備、教師が挙げられている。教師に対する不満が非常に小さい。
 「先生に相談できたか」を「新制意識調査」で聞いている。非常によく出来た 7.2%、よくできた 39.9%、あまりできなかった 36.3%、全くできなかった 4.2%と約半数が肯定的に回答している。

 教師、高校生、共々充実した日常がよく分かる。ここで回想の中に登場している教師たちは、旧制の高等教育を経験している筈である。軍隊と特高による苛烈な弾圧は、反面教師でもあった。京都の新制高校一期生たちの、教師に対する不満が極めて少ないのは、そこに何も無かったからであり、自主性に任せる以外になかった。あらゆることが、造り上げる自由に満ちていたからである。  
ひとつの橋の建設がもしそこに働く人びとの意識を豊かにしないものならば、橋は建設されぬがよい、市民は従前どおり、泳ぐか渡し船に乗るかして、川を渡っていればよい。橋は空から降って湧くものであってはならない、社会の全景にデウス・エクス・マキーナ〔救いの神〕によって押しつけられるものであってはならない。そうではなくて、市民の筋肉と頭脳とから生まれるべきものだ。・・・市民は橋をわがものにせねばならない。このときはじめて、いっさいが可能となるのである」 
フランツ・ファノンが言ったことがここに示されている。
 敗戦直後の高校生たちは、「泳ぐか渡し船に乗るかして、川を渡」らねばならず、自らの「筋肉と頭脳」によって事態を打開する力を得たのである。それが「このときはじめて、いっさいが可能となる」と言うことである。高校生が主権者として現れる。正しい指導方針としての「デウス・エクス・マキーナ〔救いの神〕」を予め示さないことが、教師に対する生徒の信頼を形成したのである。

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