「宇高申先生」番外 小中高生の勤評闘争

                                                                                          承前

  勤評反対の札つけて授業してをれば児童がかはるがはるきてさはりゆく  
                            小谷稔「アララギ」

  代用監獄の宇高先生に休み時間ごとに声援を送った中学生は突出した例外だったのだろうか。もしそうなら、闘争支援運動の広がりを当局は余り恐れなかったのではないか。ここの映像は、京都府議会を小中学生が占拠して、勤評反対の意思を表明したものと思われる。新聞各社が、闘争の拡大は生徒に迷惑がかかると言い続けていたことへの雄弁な反証である。子どもたちにとって、誠に迷惑なのは、
勤評そのものであることは子供自身が身に染みて感じていたことで、決して、勤評に対する抗議行動が迷惑だったのではない。すり替えも甚だしい。


二つ目の写真は、勤評反対の全国統一行動を前に反対闘争を支持する高校生が都教育庁に座り込み警官に排除される光景である。僕はこの時小学四年生の秋、東京に出てきたばかりであった。五年生になって、急に業者テストを多用、席順は成績で分けられ、僕は少しづつ反抗的になり、ついに担任と学級会で対決してしまった。blog 「番外 勤評は小中学生に何をもたらしたのか 1 」
  しかし僕は、自分自身が反抗的になり担任と対決するに至った根源が勤評であることをまだ知らなかった。

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