主権者とは解釈の主体でもある。
1980年代初め、「憲法違反には罰則はないのか」と質問した生徒がいた。彼は生活保護行政が、米軍基地が、憲法違反なのに何故放置されているのかと怒らずにはいられなかった。同時に彼は、教員を罵倒して胸ぐらを掴んだ生徒が退学処分になって、体罰好きの教師が大きな顔しているのは何故かを同時に問いかけた。この問いに実践的に答えねばならない。
良心的教師の応答は「模範解答」であった。「まずクラスで話し合い、その結果を学年集会で、そして生徒総会を開き、職員会議に訴える。正当な訴えは必ず・・・」
なぜ表現の自由を集団の権利と誤認させようとするのか、めんどくささに呆れて、諦めさせようとしたとしか考えられない。僕は職員室入り口にポスターを張れ 演説をやれ 三人でいいから集会とデモを校門でしろと言った。投書も、ゼッケンもいいと。彼らは言った、デモの仕方がわからないと。彼らの多くもまた言うだけだった。しかし実行したものもいる。
憲法は「暮らしの中に」あってこそ意味がある。学校の日常がいつまでも違憲違法無法状態では高校生は面白くない。所詮「憲法は画餅」にすぎないと生徒が冷ややかに言ったのは1970年代の終わりだった。
悔やまれてならないのは、生徒たちの思いを基本的人権に位置づけて、多数決で奪うことの出来ないものであるとして徹底的に突っ張らなかったことだ。突っ張りを生徒の専売にしてはいけなかった。僕らが、いや「僕らが」と複数の中に逃げ込む情けなさが僕にはついて回る。僕個人が「突っ張」るのでなければならなかった。せいぜい一匹オオカミと揶揄される程度でしかなかった。
職員会議は学校の最高決議機関との解釈に、僕達の精神は弛みきっていた。なぜ職員会議で憲法が最高法規と生徒や保護者に断言しなかったのか。(そうでなければ大阪府や東京都の「最高決議機関」であれば、国会の決議だろうが憲法の規定だろうが無視して、「嫌なら選挙で落選させろ」と嘯いて平然としている首長の傲慢な無知を超えることは出来ない。なぜなら彼らはその根底的な無知ゆえ自己に対する懐疑を有し得ないからである)
1933年佐野学の転向を聞いた丹野セツが、即座に「思想が感覚にまでなっていない」と批判したことを思い出す。ここで感覚は態度や習慣と言ってもいい。佐野の思想が単に知識であり遅れた大衆を説教教化するものでしかなかったことを突いている。
条文や解釈の説教ではなく、憲法「感覚」を日常生活に根付かせたいと思った。リベラルな雰囲気と古い職人気質が拮抗して緊張感のある、制服のない古い工業高校であったが、生徒の意向を無視して制服化を強行。生徒たちの憤懣は古めかしい授業や公教育の選別体制にも向けられていた。彼らは、敗戦直後の高校三原則には心からの賛意を示した
「生徒と教師の集い」を、社会科準備室で四方山話に夢中の生徒会役員に後ろ向きのまま仄めかしてみた。当時僕は、ひとりでやるという条件で生徒会係を引き受けていた。
体育祭や文化祭の運営は生徒たちに任せ、面白くてためになる授業という難しい生徒の要求には精一杯時間と費用を費やした。面白くてためになる授業をしてくれと言ったのは、前任校定時制の働く青年たちだった。
ある日会議が延びて遅れて教室に入ろうとすると、「坊ちゃんの授業は面白いだけじゃない、俺達の生活を変える道具になる。ためにならなきゃ授業じゃないんだ」四年生たちがそう言っているのを僕は廊下で聴いていた。二十歳を越して酒もタバコも飲み、メーデーに参加する労働者にとって、僕は大学を出たばかりの坊ちゃんだった。
ある日会議が延びて遅れて教室に入ろうとすると、「坊ちゃんの授業は面白いだけじゃない、俺達の生活を変える道具になる。ためにならなきゃ授業じゃないんだ」四年生たちがそう言っているのを僕は廊下で聴いていた。二十歳を越して酒もタバコも飲み、メーデーに参加する労働者にとって、僕は大学を出たばかりの坊ちゃんだった。
授業を何とかしてくれという要求は生徒には、特に工業高校では切実であった。表現の自由はそれを教員に直接伝えることを権利として保証している。
かつては方々で行われたという「教師と生徒の集い」を生徒会に仄めかした。「おもしれえ」が彼らの反応だった。「対話って対等ということだよね」「脅したりしなければ何を言ってもいいんだね」・・・たちまち彼らは日程を決めた、職員会議のない水曜日。主催は生徒会、司会は三年生。大きめの教室は満員になった。ひとこと言わずにおれないのが、生徒にも教師にもあふれていた。当blog「我々は憲法を、本気で擁護するつもりがあるのか 1」
かつては方々で行われたという「教師と生徒の集い」を生徒会に仄めかした。「おもしれえ」が彼らの反応だった。「対話って対等ということだよね」「脅したりしなければ何を言ってもいいんだね」・・・たちまち彼らは日程を決めた、職員会議のない水曜日。主催は生徒会、司会は三年生。大きめの教室は満員になった。ひとこと言わずにおれないのが、生徒にも教師にもあふれていた。当blog「我々は憲法を、本気で擁護するつもりがあるのか 1」
生徒や教師の一人ひとりあるいはクラスという小さな部分は、学校という全体の前に「我儘な」異物として糾弾され、均質空間としての学校の「自主的。主体的」充填剤となることを要請される。それは多数決や選択の自由(嫌なら入らなければ良いという論理)によって正統化。企業なら金で雇ってやているんだという逆転した虚構で・・・、政府や自治体は嫌なら選挙で落とせ・・・では学校は何を「根拠」にしているのか。大人と子どもという関係か、成績という仕掛か。 何れにせよ薄弱な根拠である。それ故「喫煙という逸脱」は、日米体制にとっての「北朝鮮」の「挑発」に似て、学校管理体制には有り難いのである、処置の根拠に出来るからである しかしこの「法」は子どもにタバコを吸わせる大人を処罰するにすぎない。「おれが処罰されるのだからタバコ吸うお前たちを処分する」は、呆れた言い草である。指導であるという逃げもある、もしそうなら拒否する自由が示されねばならない。
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