「われわれの画家は、あたかもこの暴力の時代の予言者であるかに思われる。真黒な、嵐を前にした空の下に、人も馬も馬車も牛も、”恐慌”そのもののなかに蜘蛛の子を散らしたかのように右往左往をしている。・・・そうして暗い空と、黒い山脈の中空に、巨大な裸身の人間が、夢魔のように突き立ち、拳をかためて何かを迎え撃とうとしている。しかしその顔には、いささかも怒りや憤りはない。むしろそれは何かを祈るかのようである。・・・ゴヤ研究の通説では前景の、あわてふためいている群衆、あるいはキャラバンが突如として巨人が出現したために恐慌状態におちいったもの、としているようである。"しかし、・・・そうではない、・・・。第一に、前景の恐慌状態の民衆中に、誰一人としてこの巨人を見上げる姿勢のものが見当らないことである。そうして第二に、この巨人自体が山一つ向うに立っているのであり、しかも彼はこれらの民衆に立ち向って来ているのではまったくないことが挙げられよう。むしろ、彼はこれらの民衆を背にして、山の向うからやって来るらしい何者かに立ち向おうとしているのである。そうだとすれば、彼はこれらの民衆をこそ守ろうとしているのである。・・・私は長年、ひそかにそう思ってこの巨人と民衆、牛、馬に親しんで来た。筋骨たくましく、尻も背中もあくまで大きいこの巨人には魔神性はまったく認められないのである。そうして画面左方から水平に来ている赤褐色の陽光は、おそらく朝日の光りであり、巨人の腰をかすかに蔽っている白いものは朝靄であろう。・・・この巨人=暴力画においての、唯一の救いは、人も馬も牛も馬車もがわれ先に四方に逃散しようとしているのに、前景の左に寄った部分で、ただ一頭 ・・・ だけ、一匹の驢馬が、まことに超然かつ悠然として立っていることである。この驢馬だけが大騒ぎに一切関係ないのである。私はこの驢馬を愛する。彼、あるいは彼女は眼をさえ瞑っているようである。そういう驢馬、あるいは人もいてくれなくては困るのである。ゴヤはこの驢馬によって何を表象したかったものであろう」 堀田善衛『ゴヤ 巨人の影』新潮社 p107
ゴヤの『巨人の影』左下部分を拡大した。全体図は驢馬をクリック
「北朝鮮」の影に怯えて慌てふためいているのは、我々である。
小出裕章氏が友人宛のメールで書いている。
「・・・朝鮮には熱出力で25メガワットのごく小さな原子炉しかありません。京大原子炉実験所の原子炉は熱出力で5メガワットでした。日本でも世界でも標準的な原子力発電所は100万キロワットです。これは電気出力で、熱出力は300万キロワット、メガワット単位で示せば3000メガワットです。つまり、朝鮮が持っている原子炉は、日本の原発の原子炉の100分の1以下という小さなものです。その原子炉を動かしてどれだけのプルトニウムができるかについては、昔計算して書いたことがあります。・・・仮に朝鮮が原爆を作れたとしても、その数は知れています。朝鮮戦争は1953年の休戦協定が結ばれただけで、未だに終戦していません。その一方の当事国である米国は気に入らない国があれば、地球の裏側までも攻め込んで政権を転覆させる国であり、米国を相手に戦争中である国はハリネズミのようになるしかありません。俺は強いんだぞ、攻撃してくるならやっつけてやるぞと言うしかありません。 朝鮮が原爆を作ったということすら、私はいまだに懐疑的です。でも、マグニチュード6.1の地震をもし爆弾で引き起こすとすれば、通常の爆弾では無理です。本当に、先日の地震が自然のものではなく、人工的なものだとすれば、原爆だろうと思います。水爆を作るためには重水素が必要ですし、起爆剤としての原爆も必要です。そうした材料や技術を朝鮮が持っているとは、私は思いません。 ただ、問題は、そんなことではなく、朝鮮半島の分断を終わらせ、平和を回復することです。お互いに敵を威嚇することなどやってはいけません。朝鮮の分断に誰よりも責任のある日本は、まずそのためにこそ力を払うべきです。それなのに、米国の尻馬に乗り、「あらゆる選択肢がある」などと安倍さんは言うのですから気が狂っています。また、本当に危機だというなら、日本国内の原発をまず停止すべきなのに、地下鉄をとめてみたり、迎撃ミサイルを配備してみたり、警戒警報を出して見たり、ひたすら危機を煽ることだけやっています。ひどい国ですし、ひどいマスコミだと思います」
原爆を落とした将軍に最高の勲章をささげ、広島長崎の被爆者たちが米軍の研究機関に屈辱的な扱いを受けても抗議すらしない、日本政府である。その政府が石油禁輸が怪しからんと鬼畜米英を絶叫して、2000万ものアジア民衆を殺害、自国民300万を失ッた挙句に敗北、一転してアメリカに沖縄を差出し、全土に基地とその予算をばら撒き、独立国とは思えない振る舞いを続けている。そうまでして従属するなら、膨大な犠牲は何のためか。これだけ犠牲を出したから従属すると国民を説得するためとでも言わんばかりである。
ゴヤの巨人に描かれた逃げ惑う民衆は、巨人すら見ていない。「逃げるから怖い」それが怖さを更に煽って怯え逃げ惑う。今我々は「北朝鮮」に怒りながら怯えて、役に立たぬ武器を言い値で買い、宗主国を喜ばせることに余念がない。
ゴヤの驢馬だけが「超然かつ悠然として立っていることである。この驢馬だけが大騒ぎに一切関係ない」僕には、この驢馬が立ち止まり眼を瞑って、何かを聞こうとしているように感じられてならない。日中戦争・太平洋戦争突入時、我々は浮かされて、静かに内外の声を聞く精神の自由を持てないでいた。驢馬のように頑固に立ち止まり聴き入る、それがまず求められている。怒りながら怯える前に、まず相手を冷静に知り分析しなければならない。
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