61年のルムンバ暗殺に責任 ベルギー政府が謝罪と賠償

  「61年のルムンバ暗殺に責任 ベルギー政府が謝罪と賠
ルムンバは、1960年6月24日に初代首相に就任1961年
1月17日ベルギー人将校に軽機関銃で処刑された。
償」これは2002年2月のニュースである。

   僕がこの古いニュースを思い出したのは、ミャンマーの混迷するロヒンギャ民族を調べていたからである。かつてミャンマー、かつてのビルマは英国の植民地だったが、第二次大戦中、日本が侵攻。仏教徒の組織が日本を支持したのに対し、英国はムスリムのロヒンギャに、日本を追い出したら独立させてやると約束し、仏教徒とムスリムの戦いを誘発して混迷を深くしたのである。アウンサンスーチーは英国と利害を共有している。だから発言が歯切れ悪い。パレスチナにおける英国の二枚舌外交が、中東の大混乱を招いたのと同じ状況がある。僕は、英国の知らんぷりと日本の無責任が、我慢ならない。 

 ベルギー政府は、ルムンバ暗殺の道義的責任を正式に認めることになった。ミシェル・ベルギー外務大臣が「今日適用されるべき判断基準に照らして、当時の一部政府役員とその時期の一部の政府関係者はパトリス・ルムンバを死に至らしめた一連の事件に対する弁解の余地なき責任を担う」と声明。
 暗殺計画をこの上ない明瞭さで綿密に記述して暴露したのは、Ludo De Witteの”The Assassination of Lumumba.“である。Ludo De Witteは文献資料漁りと暗殺に関係した人々証言に数年を費やした。この本が出版された後、ベルギー政府は国会でこの暗殺を調査することを迫られることになったのである。国会調査委員会はベルギー政府関係の諜報部員の広い範囲にわたって証言を聴取。ベルギー政府声明はこの暗殺に関する調査研究の結果である。
 暗殺計画の組織化に関して、ワシントンのアメリカ政府から発せられた電報の数々とCIAの果たした役割は既に明らかになっている。また、英国諜報部MI6の役割も明らかになっている。
 1975年に米国上院議員フランク・チャーチは“外国元首を含む暗殺計画疑惑”の調査を行い、結果は1975年上院報告書94-465 として出版された。(「朝日ジャーナル」1975年12月25日号『臨時増刊 CIAの外国指導者暗殺計画 全訳 米上院調査特別委員会レポート』)  カストロ議長らの執拗な暗殺計画も報告されている。
 このチャーチ調査委員会の報告とこのベルギーでの議会諮問の存在にもかかわらず、ルムンバ殺害陰謀に関する情報は広く流布されていないのが現実である。ベルギーなどヨーロッパの学者たちは依然として彼らがコンゴでやってきたことをアフリカ人の文明化と唱えている。更に看過出来ないのは、この暗殺行為とそれが産んだモブツ政権によって、コンゴ社会の政治的文化と知識人を毒し破壊し続けたことである。モブツの政権は、不法殺戮を遂行し続け、学生や組合幹部を殺害してきた。
 1990年、コンゴで国家主権会議なるものが開催され、国民的論議の基礎を発展される試みがなされたのだが、コンゴ人の職業的政治家たちも,ワシントン、ブリュッセル、パリの帝国主義的支持者たちも、真実が表に出てくることを望まなかった。モブツの失脚以来の中央アフリカ地域の大量虐殺戦争と500万を超える死者数は、ひとたび、何をやっても刑罰を受けないという政治状況が社会に根をおろすと、それを根治するのに、数世代ではすまない深い傷を作る。
 1997年にモブツが転覆された時、アメリカでは、コンゴに関する文書を公開する必要があるという討論があまた行なわれた。ルムンバの暗殺が行なわれた当時、キンシャサ(コンゴの首都)のCIAの長であった年老いたLarry Devlin がそうした討論会の一つに顔を出した。彼の出席が意味したのは、モブツの犯罪におけるアメリカの役割に関してはすべてが伏せられたままに留めるべきこと、列を乱すことは許されないことであった。
 しかし、1999年の末には、ワシントン・ポストの記事で、1960年、コンゴでパトリス・ルムンバを抹殺すべしという命令をアイゼンハワー大統領が直接与えていたという事実が公式に確かめられた。この暴露記事は、それまでの40年間、すでに公然の秘密であった事実、つまり、アイゼンハワー大統領が時のCIA長官アレン・ダレスにルムンバ暗殺の指令を直接出していた事実を確認するものであった。 冷戦状態も過去となった今、アメリカの行為で破壊されたコンゴの社会の新生のために、関係の秘密文書の公開が改めて要求される。
  ミシェル・ベルギー外相はユーロ議会で「当時の政府関係者は暗殺に至った事態に責任がある。遺族とコンゴ国民に心からおわびする」と言明。旧宗主国の「暗い過去」に一定の決着をつけることになる。ベルギー政府は賠償代わりとして総額375万ユーロでルムンバ基金をコンゴに設立、紛争予防や法の支配強化、教育に役立てるという。                
 
  ユーロ議会を傍聴したルムンバ首相の長男のフランソワ・ルムンバ氏は「暗殺で民主化が阻止され、内戦で数百万人が死んだ」ことを指摘した上で「ベルギー政府の政治的勇気を称賛する」と述べたと報道されている。      
 コンゴは「アフリカの年」といわれた1960年にベルギーから独立。しかし、ダイヤモンドなど鉱物資源が豊富なカタンガ州が独立を宣言、内戦状態となり、ルムンバ首相は同州内に拉致され、殺害された。


追記 ルムンバ首相の長男のフランソワ・ルムンバ氏は寛容なのか、怒りを抑えているのか。375万ユーロの賠償額は人をなめている。  9.11事件への寄付金は、3億5,000万ドルを目標にしている。
 1885年にベルギー国王、レオポルト2世の私有地「コンゴ自由国」とされたコンゴ。「国」となっているが、当時のコンゴは、ベルギー議会の影響も及ばない国王の完全な私有地。現地住民は象牙やゴムの採集を強制され、ノルマ達成できないと手足を切断するという残虐な刑罰が情け容赦なく科された。殺害したコンゴ人の数は、1000万人とも3000万人とも言われている。 当時ヨーロッパ帝国主義は、いずれも過酷な収奪弾圧に明け暮れていたが、その彼らさえ、レオポルト2世には恐怖を覚えたという。
  この残虐極まりない植民地支配の責任については、今なお、ベルギーは全く触れていないのである。知らんぷりで、文明化したつもりでいる。
 

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